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正義の在処 -8-
城戸との交渉が決裂してから、数時間が経っていた。 俺、神崎徹と桐島圭吾は、どちらからともなく、この執務室に戻ってきていた。まるで、他に帰る場所などないとでも言うように。
部屋には、通夜のような重苦しい沈黙が満ちている。 圭吾は、デスクで深く頭を垂れたまま、動かない。俺は、窓の外で無数にまたたく東京の街の灯を、ただぼんやりと眺めていた。
戦うと決めた。
あの時、城戸彰文を前に、俺も、圭吾も、確かに覚悟を決めた。そのはずだった。
でも、いざ二人きりで向き合ってみると、自分たちが置かれた状況が、どれほど絶望的か、嫌というほど思い知らされる。
相手は、巨大メディア企業『新星ジャーナル』。
そして、俺たちの手の中にあるのは、親友の父が残した、あまりに重く、そして汚れた罪の証拠だけ。
これを公にすれば、関係のない第三者から見れば『正義』を果たしたことになるのかもしれない。
でも、実際にそれをやれば、桐島法律事務所は最大級のクライアントを失い、圭吾は「クライアントを破滅させた弁護士」として、業界での未来を絶たれるだろう。
それは、ただ、全員が破滅に向かうだけの、無謀な心中への道だ。
人の未来を奪う道。
そんなものが『正義』であってたまるか。
まるで、チェックメイトを宣告された後の、白と黒のチェス盤。どの駒を動かしても、その先にあるのは、完全な敗北だけ。
「…どうすれば、いい…」
圭吾が、絞り出すような、掠れた声で呟いた。 俺は、何も答えられなかった。 探偵として、事実を見つけ出すことはできる。でも、その先にある、出口のない袋小路を、こじ開ける術を、俺は知らない。 霧のような絶望が、じっとりと部屋の空気を湿らせていく。俺たちは、ただ、その深い闇の中で、身動きが取れずにいた。
◇◆◇◆◇
その絶望に満ちた部屋の外で、一つの小さな奇跡が、生まれようとしていた。
相葉隼人は、数日前から、ある人物の帰りを、ずっと、ずっと待っていた。
新人弁護士・高槻航。
今日の深夜までかかると言っていた、地方出張からの帰り。
エレベーターの扉が開く音に、隼人は弾かれたように顔を上げた。疲れた顔で降りてきた高槻の前に、彼は、決意を固めた顔で立ちはだかる。
「高槻先生!お待ちしていました!」
「あ、相葉君…? どうしたんだい、こんな時間まで」
「先生、お願いです。少しだけ、俺の話を聞いてください」
隼人は、有無を言わさぬ真剣さで、高槻を誰もいない小さなミーティングルームへと連れ込んだ。そして、ここ数週間、彼がたった一人で図書館で読み漁った膨大な書物との戦い、考え抜き、そして見つけ出した、「仲介案」の全てを、熱を込めて語り始めた。
最初は、ただ驚いていた高槻の顔が、次第に畏敬の念に変わっていく。 法律で白黒つけるだけではない。傷ついた全ての人間の「未来」を創造するという、あまりにも眩しい、第三の道。
「…すごいよ、相葉君。君は、本当に…」
「でも、俺が直接、神崎さんや桐島先生に言っても、きっと聞いてもらえません」
隼人は、すがるような目で、目の前の誠実な弁護士を見つめた。
「だから、お願いです。この案を、先生から、お二人に届けてください。先生なら、きっと…」
高槻は、隼人の手に握られた、汗で少しだけ湿った企画書と、彼の、どうしようもなくまっすぐな瞳を、見比べた。 そして、固く、頷いた。 あの夏の日、自分に「弁護士の本当の仕事」を教えてくれた、この青年の想いを、無下にはできない。
高槻は、企画書をしっかりと胸に抱き、絶望が支配する、あの執務室のドアへと向かう。 二人の英雄を救うための、希望を運ぶ、たった一人の、忠実な使者として。
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