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正義の在処 -10-
翌日。神崎と桐島が、突破口が見えたことで、これまでよりも少しだけ明るい表情で共通スペースにあるパントリーでコーヒーを淹れていると、そこに、少ししょげた様子の隼人がやってきた。
「…昨日は、すみませんでした。出過ぎた真似を…」
神妙に謝る隼人に、桐島は、悪戯っぽく笑いかけた。
「ああ、俺も指導する立場として指摘した。実際に顧問やってれば株主説得するのも俺たちの 仕事になるからな。それに、君のおかげで、面白いものが見れたよ。なあ、徹」
俺も、柄にもなく、静かに頷いた。
「ああ。お前のおかげで、突破口が見えた。…よかったぞ、お前」
「え…っ、本当ですか!?」
予想外の、神崎からの賞賛の言葉。隼人の顔が、ぱあっと、花が咲くように輝いた。 そして、その喜びと興奮のあまり、彼は、言ってはならない一言を、口にしてしまった。
「よかった…! これで、5年前のあの事件も、やっと…!」
「……5年前?」
瞬間、パントリーの空気が、絶対零度まで凍りついた。
俺と圭吾の顔から、笑みが消える。
「……隼人」
神崎の、地を這うような低い声が、響いた。
「お前、なぜ、そのことを知っている?」
そうだ。俺たちは、隼人に詳しい話は一切していない。
俺の過去に至っては、圭吾にでさえ、つい先日、魂を分かち合うように打ち明けたばかりの、重い秘密のはずだ。
途端に、誇らしげにヒーロー然としていた隼人の顔から、すっと自信の色が消え、その瞳が気まずそうに左右に泳ぎ始める。
怪しい。
俺は俺たちの指令室となっていた訴訟チームの業務エリアにあるミーティングルームにあった、小さな観葉植物が脳裏に浮かんだ。あれは、女性職員が隼人から「皆さんが和めれば」といって射し入れた者だと言って持ってきて、ここに置いたものだった。
「隼人、ここで待ってろ。圭吾、隼人を見張っといてくれ」
俺は急いで俺たちの根城となっているミーティングルームに行き、植木鉢に近づくと、土を少しだけ指で掘り返す。 そして、そこから現れたのは、土に汚れた、小さな黒い電子機器だった。
ぞわり、と背筋に、今までとは質の違う悪寒が走った。
隼人が善意で差し入れたはずの「癒やし」の贈り物が、その正体を現した瞬間だ。
俺は、その小さい物体を指でつまみ上げると二人の元に戻って机に機器を置いた。
「リチウムイオン電池内蔵型か。このサイズなら、音声起動式ってところか。つまり、隼人、お前は、俺たちがこの部屋で話している内容全部、お前はずっと聞いてたってことだな…?」
俺は、隼人を睨み上げた。
圭吾が、絶句したまま目を見開いている。
「お前…こんなことまでしてたのか…」
「だって…! 心配だったし、何が起きてるかどうしても知りたかったし…!」
隼人は、しどろもどろに弁解する。
圭吾が、青ざめた顔で呟く。
「…相葉君。君は、自分が何をしたか、わかっているのか。これは、ただの悪戯じゃない。犯罪なんだぞ…」
俺は、そんな二人のやりとりに冷ややかな目線を送って、さらに低い声で隼人に問い詰めた。
「そうだ。これは犯罪だ。お前、まさか、他には仕掛けてないだろうな。この部屋とか、圭吾のネクタイの裏とか」
「ひっ…!?」
隼人の顔が、さっと青ざめる。 その、あまりに分かりやすい反応を見て、全てを察した圭吾が、静かに、でも、その奥に凄まじい怒りをたたえて、ゆっくりと立ち上がった。
「――相葉君」
圭吾の肩が、わなわなと震えている。
「君には、弁護士を目指す者として、そして、人として、少し、教えなければならないことがあるようだ。所長には、俺から言っておく」
「き、桐島先生…あの…」
「そこに、直りなさい」
その夜、桐島法律事務所のエース弁-士による、愛と正義と、ほんの少しの呆れが詰まった、こってりとしたお説教が、深夜のオフィスに響き渡ったという。 俺は、それをBGMに、ただ静かに、頭痛薬を飲んだ。 まったく、俺のヒーローは、とんでもない問題児らしい。
◇◆◇◆◇
桐島による、愛とコンプライアンスの詰まったお説教は、実に一時間にも及んだ。 すっかりしょげ返り、まるで雨に濡れた子犬のように縮こまった相葉隼人が、俺、神崎徹の前に進み出て、深々と頭を下げる。
「…すみませんでした。もう二度と、しません」
その、心から反省している殊勝な態度に、俺は深く、長い息を吐いた。まったく、どこまで手のかかる男なんだろう。 でも、同時に思う。 こいつの、常識外れで、無謀なまでの執念がなければ、俺たちは今も、出口のない暗闇をさまよっていたのかもしれない。
「…お前、俺が初恋だって言ってたよな。そして俺を盗聴してた。それってストーカーだよな」
俺が静かに言うと、隼人の肩がびくりと震えた。
「俺が被害届出したら、お前は俺に接近できなくなる。それだけのことしたって、わかってるのか?」
隼人が、震えだす。
「ス、ストーカーって、俺、でも、そんな変なことする気は、」
「俺のこと初恋だなんだって追い掛け回してたこと、桐島弁護士事務所の連中はみんな知ってる。みんな証言してくれるだろう。証明する野は簡単だ」
「か、神崎さん、…っ!」
眉をハの字にして泣き出した。びるびる震えながら泣くこいつをみてたら、可哀そうになってくる。
そう、可哀そう。
盗聴されるのは嫌な気分だ。二度としてほしくない。
「でも」と、俺は続ける。「結果的に、隼人のその執念が道を拓いたのも、また事実だ。…だから、今回だけは若気の至りってことで不問にしてやる。その代わり、絶対に二度とやるな。今度やったら通報する。いいな?」
それは、俺なりに最大限の譲歩と、そして、不器用な賞賛の言葉のつもりだった。
俯いていた隼人が、ゆっくりと顔を上げる。
その大きな瞳が、みるみるうちに潤んでいくかと思うと、次の瞬間には、ぱあっと、暗い部屋の電気をすべてつけたみたいに、太陽のような笑顔が咲いた。
「はいっ!神崎さん!」
そのあまりに現金な変わりように、俺の頭痛が、また少しだけぶり返した気がした。
俺は、まだどこか夢見心地で頬を緩ませている隼人の額を、人差し指で、こつん、と軽く小突いた。
「…お前、わかってんのか?」
「へ?」
「この一時間、お前のせいで、このパントリーを事務所のみんなが使いたくても使えなかったんだぞ」
桐島の、静かだが、だからこそ恐ろしい説教の声は、防音性のないパントリーからオフィスフロアに駄々洩れだったはずだ。誰もが、嵐が過ぎ去るのを、息を殺して待っていたに違いない。
「あ…そう、ですね。すみません…」
隼人は、そこで初めて、自分のしでかしたことの「二次被害」に気づいたように、ばつが悪そうに頭を掻いた。
俺は、そんな彼に、最後にもう一つ、命令を下した。
「事務所の全員に行きわたるよう、美味い菓子でも買って、配っておけよ。お詫びのしるしだ」
「はい、分かりました!すぐに!」
ぱっと顔を輝かせ、敬礼までして見せる隼人。そして、付け加えるように、満面の笑みで言った。
「神崎さんの好きなものも、一番に買ってきますね!」
…こいつは、本当に。
俺は、それ以上何も言うのをやめた。言いつけを実行しようと駆け足でパントリーを出ていく、嵐のような後輩の背中を、ただ黙って見送った。
どうやら、俺の頭痛が完全に治る日は、まだ当分、来そうにない。
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