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星空の出会い③

 小屋の外に出ると、馬が近寄ってきた。 「お前のご主人様は助かりそうだぞ」  馬は、軍袋と剣を口に挟んで差し出してきた。  草の上に放り出されたままの荷物を取ってきたのだ。  エミーユはそれらを受け取り小屋に入ると、剣を棚の上に隠した。  軍袋を覗けば、医療キットが入っていた。少年の胴体から包帯代わりの布を外して、傷口を医療用の糸で縫い直す。そして、膏薬を塗って包帯を巻く。  目に巻いた布も包帯に取り換えた。  もう一度、外に出て、馬に水をやる。  馬の黒毛はつやつやとしている。 (良い馬だ。賢くて毛並みも良い)  鞍の留め具が見えた。自分でも外せそうだったので、鞍を外すことにした。  馬はおとなしく外されるままにしている。鞍も上等そうで、革は柔らかく金細工の出来も良い。  畑仕事とヤギの世話を済ませて小屋に戻ると、ベッドが軋む音がした。見れば少年がベッドの上でもぞもぞと動いている。寝返りを打ったのだ。  順調に回復しているらしい。 (眠りが浅いうちに水を飲ませておこう)  水を与えると少年はごくりと喉を鳴らした。何度も水を与えて、最後にハチミツ水を与えた。  次の朝、エミーユが目覚めると、少年がベッドに起き上がっているのが見えた。慌ててベッドに向かう。  少年は物音に気付いて声を上げた。 「だ、だれ?」  エミーユは固まった。 (グレン語……! こいつはグレン兵だったのか……?) 「だ、だれ? あ、あなたはだれ……?」  少年は不安そうな声で尋ねてきた。遠慮深げな態度に、エミーユのこわばりがほどける。エミーユはグレン語で返した。 「まだ起きないほうがいい。傷口が開いてしまいます」  少年は目に巻いた包帯に手で触れる。エミーユは慌てて言った。 「失明したくなければ、その包帯を取らないで」 「……しつめい?」 「目に怪我を負っています。そうやって保護しないと何も見えなくなります」  少年はエミーユの出まかせを信じ込んで、従順に手をおろした。そして、自分の体を手で触って確かめたのち、エミーユに訊いてきた。 「傷がだいぶ治ってる……。あ、あなたは妖人?」  エミーユは咄嗟に答えた。 「いいえ、違います」  その答えに少年はほっとしたように見えた。少年は、エミーユが傷の手当てをしただけだと思い込んだに違いなかった。  妖人は獣人の怪我を引き受けることができる。そして、エミーユはほんの少しだけこの少年の怪我を引き受けた。  しかし、エミーユは恩に着せるつもりはなかったし、それよりも妖人だと知られたくはなかった。  妖人だと誰にも知られないためにも草原で一人暮らしているのだ。  エミーユは水差しからコップに水を注ぐと、少年の手を取って、コップを押し当てた。 「水です。飲んでください」  少年は渇きに気づいたのか、ごくごくと喉を鳴らして水を飲み干した。 「ありがとう」  毒が入っているなどとつゆほども疑っている様子はない。その疑心のなさが少し心配になるくらいだった。  怪我で弱っているせいか、少年には、兵士らしい横柄さや粗野なところが全くない。 (目が見えないと不安だろう。大人しそうだが、いつ豹変しないとも限らない。可哀想だがこのままでいてもらう)  少年の探すような手つきに、エミーユは少年に手を差し出した。手が触れたのがわかると、少年はぎゅっと掴んできた。 「俺を助けてくれたんだね……?」  そこには戸惑いながらも感謝している様子がうかがえた。エミーユは冷淡な声を出した。 「まだ助けるとは決めていません。あなたの命は私が握ったままです。これからあなたをどうするかは私が決めます」  少年はエミーユの意地の悪い言い方に何ら反感を抱かないようだった。自分が平和を乱す兵士という存在であることを自覚しているのかもしれなかった。  横になるように促すも少年はなかなか横にならなかった。 「えっと、あの、その」  少年は大きな背中を丸めてもじもじとしている。 「あの、トイレ、どこかな」 「ああ、それなら、ここでどうぞ」  エミーユは床から桶を取り上げた。少年の両足の間に桶を挿し込む。エミーユの手つきには遠慮はない。 「あっ、えっ、な、なに?」 「私はエミーユ。あなたの名は?」  こんなタイミングで名前も何もないはずだが、エミーユはそう言いながら少年の一物を持ち上げると桶に当てた。 「えっ、マリウスだけど。ていうか、ちょ、や、や、やめ」  マリウスと名乗った少年はエミーユの手を押し返そうとした。しかし、エミーユは一物を握って離さなかった。こぼしたら掃除が面倒だ。 (それに、全部見られておいて何をいまさら)  エミーユはマリウスが眠っている間に全身の汗を拭いたし、漏らした尿の始末もした。怪我人なのだから恥ずかしがる必要などない。 「さあ、この桶に」 「お、おけ?」 「ええ、桶です」  エミーユはマリウスの手を桶に触らせた。 「それはその、ちょっと」 「大丈夫ですから」 「あの、でも」  マリウスは抵抗する。 「さあ」 「で、でも」  抵抗しながらもこらえきれなくなったのか、桶にぽとっと尿が垂れる。一度垂れ始めると止まらなくなったのか、勢いよくほとばしる。 「あっ……」  マリウスはうつむいた。頬も耳も真っ赤になっていく。 (この子は燃え上がるような真っ赤な髪をしているから、大きなリンゴのようになってしまったな)  全部出し終えるとマリウスは唇をぎゅっと結んでプイッを顔をそらした。そしてエミーユに背中を向けた。すねているようだった。 (まあ、年頃だもんな)  エミーユはマリウスの頭を宥めるように撫でた。マリウスは耳の後ろを真っ赤にさせて、うつむいていく。 (次からはちゃんとトイレに連れて行ってやろう)  マリウスをこちらに向くように言うと、うつむいたままでしぶしぶ体を向けてきた。  包帯をほどいて傷口を確認すると、順調に塞がっているようだった。軟膏を塗ってガーゼを取り換えたのち、もう一度包帯を巻く。そして、そばを離れようとした。 「ま、まって」 「何か……?」 「ど、どこにいくの?」  マリウスは不安そうな顔つきになっている。 「おなかがすいたでしょう、スープを持ってきます」 「あ、うん……」  エミーユは椀を持ってくると、マリウスに持たせた。 「ミルクスープです。飲んでください」  マリウスは黙って受け取った。  やはり疑念を抱く様子もなく従順に口をつけたのち、首をひねった。 「変わった味のミルクだ」 「ヤギの乳です。口に合いませんか」 「う、ううん」  マリウスは慌てて飲んだ。よほど腹が減っていたようで、三口ほどで飲み干した。  翌朝、エミーユが台所で煮炊きをしているとベッドでゴトリと音が鳴った。

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