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甘えん坊の泣き虫兵士①

 この大陸には、男女性のほかに第二性を持つ人たちがいる。それが獣人(α)と妖人(Ω)だ。  獣人の多くは体つきが獣のように逞しく、妖人は華奢でその匂いで獣人を妖(あや)かす。そして、彼らはつがいとなって子を成す。    身体能力の優れた獣人は、古来より、支配者層の地位にあった。そして、妖人はその妃として獣人にかしずかれる国もある一方で、妖人には人権もなく奴隷扱いの国もあった。  その最たる国であるグレン帝国では、周辺国を侵略しながら、妖人を狩っている。そして、妖人を従軍させている。  妖人には獣人の怪我や痛みを引き受けることができる特性があり、その特性を、侵略戦争に利用しているのだ。  グレン帝国は、獣人兵士を前線につかせ、妖人を獣人兵士の怪我のゴミ入れとして扱うことで驚異的な軍事力を保っている。  あってはならない非人道なことで、ほかの国では到底許されないことだった。  しかし、グレン帝国では、獣人兵士が妖人のおかげで生き延びている、と美談のように仕立て上げられていた。  マリウスも怪我を受ければ、妖人をあてがわれたはずだ。  しかし、軍から逃げた。大怪我を負ったまま。  エミーユに拾われなければ、死んでいたに違いなかったというのに。 *** 「うっ、うっ、お、おれ、怖かった……! 怖かったんだ……!」  マリウスはあられもなく泣いている。情けない泣きっぷりが、エミーユには滑稽というよりも、哀れに映った。 (マリウス……、可哀そうに……!)  エミーユがマリウスの背中を撫でてやれば、マリウスはますます声を上げて、激しく泣き始めた。 「いったい、何が怖かったんです?」 「こ、こわかった……」 「だから、何が怖かったの?」  マリウスはたどたどしく説明を始めた。 「け、怪我が怖かった」 「怖いなら、どうして、怪我のゴミ入れに移さなかったのです?」 「よ、妖人がたくさん死んでいった……」  グレンでは死ななかった獣人の数ばかり喧伝しているが、その陰でやはり数多くの妖人が死んでいるのだ。  エミーユの手が竦むように止まった。  マリウスは嗚咽をあげながら言う。 「獣人兵士だって、怪我を移したいわけじゃないんだ……。でも、怪我を移し始めるとだんだん麻痺してくる。そのうち遠慮なく怪我を移すようになってしまう。そうなってしまう獣人兵士がいっぱいいた」  固まっていくエミーユの横でマリウスは続ける。 「よ、妖人は逃げ出すのを防ぐために檻の中に入れられていた。起きていると暴れてうるさいから、いつも薬を飲まされて眠っていた。そして、怪我を移されるたびに目が覚めて叫び声をあげる。それに苛立って妖人を殴る兵士もいた。戦争は怖い……。敵も怖いけど、味方のほうが何倍も怖い……」  エミーユはしばらくの間、口を開くことができなかった。 (お母さん………!)  エミーユの脳裏に母親の姿が浮かぶ。  いつも父親の横で朗らかに笑っていた母親。  エミーユはいてもたってもいられないような気持ちになった。 (グレン兵など何故助けた……! こいつは親の仇なのに……!)  英―ユは蒼白になっていく。 「うっうっ……、お、おれ、こわかった……。妖人に怪我を移すのが怖かった………」 (怪我を移すのが怖かった……? この子はそれで逃げてきたのか……?) 「お、おれ、もう兵士に戻りたくない、もう戦いたくない………」  不意にエミーユにマリウスへの同情が湧いてきた。  確かにグレン軍は憎い。しかし、目の前のグレン兵士は「怖い」と泣きじゃくる一人の少年だ。 「あなたは怪我を妖人に移したくなくて、逃げたのですか……?」 「怖かった………。だから、逃げた……」    目覚めるなりマリウスはエミーユに妖人かどうか訊いてきた。そして、妖人ではないと言えば、ほっとした顔をした。 (マリウスは怪我を移さないために逃げてきたんだ。死ぬよりも、怪我を移すことのほうが怖かったんだ……) 「うっ、うっ、おれ、こわかった、こわくてこわくてたまらなかった。ううっ……、もう戦争なんかいやだ、いやなんだ、ううっ………」  呆れるほどにみっともない泣きっぷりだ。  マリウスを親の仇とは思えなくなった。こんな情けない泣き虫が親の仇のはずがない。  マリウスもグレンの犠牲者だ。  エミーユはマリウスの背中をもう一度撫で始めた。  マリウスは、エミーユに手探りでしがみついてきた。 「あ、ありが、とう……。お、俺、あなたに撫でられるのが好きだ。寝ている間、こうやって撫でてくれてた」  エミーユは眠っているマリウスが苦しそうにしているとき、ときどき、マリウスの痛みを引き受けていた。そのとき頭や肩や胸を撫でていた。 (私がマリウスの怪我を引き受けたことは決して知られるまい)  自分の死よりも、怪我を移すことを怖がった心優しいマリウス。エミーユが怪我を引き受けたと知ると傷ついてしまうだろう。  マリウスは顔を上げ、エミーユに顔を向けた。よだれに鼻水でひどい顔になっている。 「つ、つらいことも、かなしいことも、おさまってくるんだ。あなたに撫でられると……」  涙に包帯が濡れていた。  泣き終わるとマリウスは包帯に手をやった。 「こ、これ、取っちゃ、だ、だめ……?」  エミーユは慌てて言った。 「それはいけません。失明してしまいます」  マリウスは従順に包帯に当てた手を下ろした。  エミーユはマリウスが落ち着くと、ベッドに連れて行った。  乾いた包帯を取ってくると、濡れた包帯と取り換えた。包帯が外された間もマリウスには目をつむっておくように言うと、マリウスは言いつけを守って、ちゃんと目を閉じていた。  マリウスの体に巻いた包帯も解く。  ガーゼの下の傷口は膿もせずに順調に塞がっている。治りが早い。  マリウスはベッドに横になるとエミーユにせがんできた。 「そばにいて。お願い」  一緒に寝ようとばかりに、ベッドの端に寄る。 「こわい……。夜中に目が覚めてひとりきりだとこわいんだ……、お願い、一緒にいて……」  マリウスはエミーユに泣き姿を晒して、みっともなく甘えるのに抵抗が薄れたようだ。  エミーユはマリウスの横になれば、マリウスの頭を撫でてやった。マリウスは甘えるようにエミーユの胸に顔をうずめると、寝息を立て始めた。 (ずいぶん甘えん坊だな。大きいくせに怖がりの心優しい甘えん坊だ)  エミーユはマリウスに庇護欲が湧いているのを自覚していた。

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