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女王との出会い③

 サロンに通されれば、エレナ女王が間もなくして入ってきた。  エミーユはソファから立ち上がった。  エレナ女王は、背が高く、高く結い上げた髪も、切れ長の目も、茶色だった。父方の血を濃く曳いたのか、エルラント人らしい外見をしていた。  真っ黒いドレスに身を包んでいるのは、夫を弔うためだろう。  エミーユを愛情深い目で見ると、エミーユの直角隣りのソファに腰かけた。  エミーユが座れば、膝が触れそうなほど、にじりよってきた。  その声音はとても温かみのあるものだった。 「そなた、エルラントの出身と聞きました。両親を失ったとか。そなたにも苦労をさせてしまいましたね」  エレナ女王の目にはいたわりが浮かんでいた。  エミーユは女王たる立場の人にいたわられて、自分が被害を負った身であることを自覚し、エルラントでのことが胸に去来した。  港町での幸福な生活、それが壊された夜。 「え、ええ……」  エミーユの胸が詰まった。 (お父さん、お母さん………)  思えば父親を弔ってもいない。  エレナ女王は膝に置いたエミーユの手を握ってきた。 「さぞ、つらかったことでしょう」  エレナ女王も夫を失っている。家族を失う苦しみに身分の差はない。エミーユはエレナ女王の手を握り返した。  エレナ女王は深い慈愛の浮かぶ目で、エミーユを見つめてきた。 「そなた、名を何と申すのですか」 「エミーユ……、エミーユ・レルシュです」  ファミリーネームを数年ぶりに口にした。 「では、そなたの親御殿はグレン出身なのですね」  レルシュは、グレン固有のファミリーネームだった。 「はい」 「両親がグレンを離れたのは、ご両親のどちらかが妖人だったためですか」  女王は単刀直入に訊いてきた。この様子ではエミーユが妖人であることは見抜かれているかもしれなかった。  エミーユは警戒を抱くよりも、すべてを打ち明けてしまいたい衝動に駆られていた。   (エレナさまなら、私の苦しみを、過去から今までの苦しみを打ち明けられる)  女王に両親に対するような安心を感じていた。 「はい、母親が妖人でした。それで私の両親はグレンから逃げ落ちてエルラントに移りました。でも、グレンのエルラント侵攻で父は殺され、そして、母はグレン軍に連れていかれました」 「そうでしたか………。さぞかしつらかったことでしょう……」  エミーユはいたわられて、嗚咽するのを止められなかった。エレナ女王はそんなエミーユをじっと見守っていた。  エミーユは泣き止むと、ソファの座面のバイオリンを膝に置いた。  エミーユは自分がエレナ女王のもとに連れてこられた理由に思い至っていた。そして、それを誇らしく感じていた。 「つらいときには、バイオリンがそばにありました」 「私はそなたのバイオリンを気に入っています。ここに住んで、そなたのバイオリンでときおり私の心を慰めてはくれませんか」 「……ええ!」 「エミーユ、では、私のそばにいてくれますね? そなたのバイオリンを私に聞かせてくれますね?」 「はい、私でよければ」  その次のエレナ女王の言葉はエミーユに思いもよらないことだった。 「では、そなたとそなたのお子の身は、私が預かりましょう」  エミーユは目をしばたいた。 (えっ?)  エミーユは何を言われたのかわからなかった。  戸惑うエミーユをエレナ女王が微笑みを浮かべて見守っている。 「えっと」 「そなたは子を身ごもっています。心当たりはありませんか」 (子………?)  エミーユは混乱しながら考えた。  そういえば、エミーユには月に一日程度あるはずの発情が、小屋を出てから一度もなかった。なかったことにも気づかないでいた。そして、ここ最近の体調不良。 (わ、私は、子を授かっていたのか? マリウスの子を?)  エミーユは何も声が出なかった。ただ戸惑うばかりだった。  エレナ女王は慰めるような目を向けてきた。 「子がいることを知らなかったのですね」 「は、はい」  エミーユは腹に手を当てた。 (ここにマリウスの子が?) 「その子の父親は誰かわかりますか」 「はい」  マリウスのことを思い浮かべれば、心配しか頭をよぎらない。  甘えん坊の泣き虫マリウス。 「良い父親にはなってくれそうにない人なのですね?」  エレナ女王がエミーユの状況からしてそう判断するのも当然だった。路上生活をしているくらいなのだから相手は死んだか逃げたか、とにかく頼りにならないに違いない。  エミーユにとって、庇護の対象だったマリウス。 (甘えん坊の泣き虫のマリウス、父親になるなんてとてもじゃない)  エミーユはうなづいた。 「では、あなたは望まぬ形で子を授かったのですね? それならば、子を下ろす薬を持ってこさせましょう。今の時期ならばそれが可能です」 「はい、あの子は到底父親になんかなれるような人ではなかったし、私にも親になる覚悟なんかありませ……」  エミーユはそう言ってから、首を横に振った。 「い、いいえ………!」 (マリウスは獣人兵士のくせに妖人に怪我を移さないで軍から逃げるような人だった。マリウスは誰かを傷つけることなどできない人だった。私の発情にも抵抗して、私を傷つけないように離れようとしていた。マリウスは、泣き虫だけど、すごく強い人だった。心優しくて、とても強い人だった)  エミーユの目から涙がこぼれ落ちた。 (目が見えないのに、いろいろ手伝おうとしていた。目が見えていればおそらく何でもできた。どんな役にも立った。マリウスがいれば小屋での暮らしはもっと良くなっていたはずだ。それを私は知っていた。マリウスが小屋に長居すれば長居するほど離れられなくなるとわかっていた。だから、私は置いてきた。マリウスは、立派な人だったから。私には立派過ぎる人だったから)  エミーユは涙をこぼしながら言った。 「彼はとても強い人でした。立派な父親になったと思います」  エミーユは腹に手をやった。 (マリウスの痕跡がここにある)  エレナ女王はほほ笑んでエミーユを見つめた。エミーユの表情に、エミーユの気持ちは如実に見て取れた。 「エミーユ、その人のことを愛していたのですね」 「えっ?」  エミーユは一瞬詰まって、それから大きくうなづいた。 (そうだ、私はマリウスを愛していた) 「はい……! 私は彼を愛していました、そして、今も愛しています……!」 (たとえ、マリウスと離れていようと、そして、二度と会えないでいようと。私はマリウスを愛している。そして、マリウスはきっとり立派な人になって、雄々しく生きている。それを信じて私は生きる) 「元気なお子を産みなさい」  エレナ女王はエミーユにほほ笑みかけてきた。

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