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赤毛との再会④
「レルシュさん、まって、ください」
たどたどしいエルラント語に振り向けば、赤毛の人物が立っていた。
(マリウス……! いや、リージュ公!)
リージュ公は振り向いたエミーユにきれいな微笑を浮かべている。
(リージュ公が私に何の用だ?!)
リージュ公はエミーユのそばまで近づいてきた。触れるほどの距離まで来た。
エミーユはリージュ公を間近で見てハッとする。
(似ている…………! この方はリベルに似ている!)
リージュ公にはリベルとの血のつながりを感じさせるものが確かにあった。
(やはりこの方はマリウスだ、思い過ごしなんかじゃない。マリウスその人だ)
リージュ公の笑みはこなれている。すっかり一人前の男だ。
エミーユの胸に感慨深いものが広がった。
(随分、大人っぽくなった。もう軍務大臣だもんな。あなたが大泣きしたあの子だったなんて信じられない)
まぶしげに見つめるエミーユに、リージュ公は照れたような笑みを浮かべた。
「まえ、会った、ですか」
「え?」
「わたしたち、まえ、会った?」
(私のことを思い出した…………?)
エミーユの目に涙が浮かんできた。リージュ公は目を見張った。
「わたしと、あなた、まえ、会ったね?」
エミーユは目からこぼれる涙を慌てて指先で拭いて、笑みを浮かべた。
(いや、違う。私を思い出すはずがない。あなたは私の顔も知らないのだから)
あまりにエミーユがリージュ公を見つめて、何度も目が合ったから、知り合いかもしれないと考えたのだろう。
「いいえ、リージュ公。あなたに会ったような気がしたのですが、私の思い違いでした」
エミーユが流暢なグレン語で返すと、リージュ公は目を見開いた。リージュ公もグレン語で話しかけてくる。
「あなたはグレン語が喋れるのですね?」
「はい」
「そうだ! 私にエルラント語を教えてくれませんか?」
目を輝かせるリージュ公とは対照的に、エミーユの目は曇っていく。こうして間近で話しているのにエミーユだと気づきもしない。
(あのころのあなたは、目が見えなくてもすぐに私の居場所が分かったというのに。あの頃のマリウスはもういない。もうマリウスは私のことなどすっかり忘れてしまったんだな)
自分の存在が思っていたより遥かに小さなものだったことを思い知る。
悲しみに襲われたが、同時に安堵も覚えた。もう、決してマリウスはエミーユをエミーユとして認識しない。それを確信して、やっとマリウスへの未練を断つことができる。
エミーユは自分をそう納得させるしかなかった。
「レルシュさん、私にエルラント語を教えてください」
リージュ公はエミーユに頼んでくる。姿かたちはマリウスと同じなのに、まったくの別人に感じる。
そんなリージュ公を見ながら、エミーユは寂しい気持ちを抑えて、愛想よく笑い返した。
大事な客人とあって断るわけにもいかない。
「ええ、私でよければ」
「では、今日の夜、私の部屋に来てくれませんか? 案内を向かわせます。どこに向かわせればいいですか」
「西棟の二階に楽長室があります」
エミーユの返事に、リージュ公はうなづき返して、にっこりと微笑んだ。
その微笑は余裕のある大人の、色のこもった笑みだった。
「では夜を楽しみにしています」
そう言い残してリージュ公は背中を向ける。
(マリウス、もう別人なんだな)
エミーユは寂しい気持ちでその背中を眺めていた。
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