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エミーユ?!②

 港湾を案内される間じゅう、マリウスは上の空だった。 (楽長の声は……、あれはエミーユの声だった。でも、俺を他人のような顔で見ていた。エミーユが俺にあんな態度を取るはずがないのに……。それに目はハシバミ色で髪は栗色だった。やはりエミーユではないのか?)  匂いを嗅ぎさえすれば確信が持てたのだが、嗅ぐタイミングもなかった。 (しかし、あの声は確かにエミーユだった。俺がエミーユの声を聞き間違えるはずがないんだ。でも、エミーユなら、俺にあんな冷たい目を向けるはずがない……)  港にいる間じゅうぐるぐると思考と感情は乱れに乱れて、帰りの馬車の中でもマリウスは悶々と考え込んでいた。 (あれはエミーユや否や……?)  そんなマリウスの様子は側近らを心配させていた。  いつも不愛想だが何事も真面目にこなす皇帝が、その日は上の空だった。何を話しかけても、適当な返事しかしない。  いったい皇帝に何が起きたのか。  側近たちは気が気でならなかった。一番の側近であるリージュ公がいれば、頼りになるのに、なぜか港湾視察にはついてきていない。  いつもと様子の違う皇帝が、エレナ女王に突拍子もない質問をぶつけてきた。 「使用人の中に、エミーユという名のつく人はいますか」  側近たちが漁獲高や通運について質問し終わり、「では他の質問はありますか」とエレナ女王が言い終えた後の質問だけに、何とも気まずかった。ただし、気まずかったのは側近だけで、当の皇帝は非常に真剣な顔を女王に向けている。  これでもマリウスは考え抜いた上での質問だった。  楽長がエミーユだと決め手になるものがほしい。  楽長の名を聞けば早いが、楽長についてだけあれこれ訊くのも皇帝として公平性に欠ける。ならばエミーユという名前に興味があると思わせたほうがいいのではないか。  しかし、マリウスの目論見は大外れで、エレナ女王を戸惑わせるばかりだった。 「エミーユ、ですか?」 「はい、エミーユです!」  皇帝の食い付きぶりに、側近らはひやひやするも、皇帝の考えていることがわからない以上、下手に手出しもできない。 「料理長に、宮廷楽長に、あと庭師にも一人いますが、あとは、はっきりしませんわ。帰ったら侍従長に確かめてみますけど……?」  マリウスは息を吸い込んだ。 (やはり、楽長がエミーユだ……! ああ、エミーユ!)  マリウスの目が異常にらんらんと輝き始めるのを見て、側近らは一層の不安に陥った。  そんな側近らなど目にも入らずに、マリウスは喜びにあえいでいる。 (見つけた! 俺のエミーユ! 俺はエミーユを見つけたんだ!)  そのエミーユが今はリージュ公と過ごしている。腹立たしいことこの上ない。リージュ公がエミーユと約束を交わしたのは、マリウスの耳にも届いていた。 (くそう、リージュ公め。あいつ、堂々と港湾視察をさぼりおって。エミーユに何かしたらただじゃおかないからな!)  しかし、次の瞬間には気弱になる。 (でも、エミーユもリージュ公のことを好きだったら俺はどうすればいいんだ。だから俺に冷たい目を向けていたのだとしたら。いや、俺のほうがエミーユを先に好きになった。ぽっと出のリージュ公なんかに渡してたまるか)  権力でエミーユを自分のものにしようと考えないところが立派ではあるものの、目まぐるしくいろいろと考えるマリウスに、女王の声が届いた。  エレナ女王にとって楽長のエミーユはノルラント亡命中に出会った思い入れのある使用人のようで、エレナ女王は自分からエミーユについて話し始めた。  しかし、そのことがマリウスをどん底に突き落とすことになるとは、エミーユに関する話に耳を傾け始めたマリウスは思いもしなかった。 「あの子は、路上でバイオリンを弾いていたのです。とても繊細な音色で私はすぐに気に入りました。出会ったときには可哀想なほどに痩せこけていましたが、今は、立派な宮廷楽長になってくれました」 (エミーユが路上でとな? 痩せこけていた? エミーユ、俺と別れた後にそんな目に遭っていたのか……)  マリウスは頭を掻きむしる。側近がおろおろするもマリウスは気づかない。そんなマリウスに衝撃的な言葉が届く。 「あの子を支える家族のおかげですわ」 「家族?」 「ええ、エミーユは、愛息と母親の三人暮らしです」 「ええっ?!」 (愛息と母親?!)  マリウスはその衝撃に、思わず馬車の中で立ち上がってしまい、天井に激しく頭をぶつけた。 「陛下?!」  側近らが慌てた声を出すも、マリウスは咳払いでごまかす。 「ゴホゴホンッ」  エレナ女王の目に涙が浮かんでいた。 「ええ、ええ……! エミーユのもとにも家族が戻ったのです……。それも、皇帝陛下のおかげですわ。エルラント国民に家族を返してくれたのはあなたです! 戦争が終わって、皆が帰ってきた。それもこれも、陛下、あなたの、そしてあなた方の、おかげです…………!」  しんみりとした声を出すエレナ女王が、深い感謝の言葉を皇帝とその側近に向けたが、マリウスにはそれどころではなかった。 (エミーユに子どもと、その母親がいる……?!)  マリウスの目にもじんわりと涙が浮かんできた。  エレナ女王は皇帝の涙に、ますます涙を誘われる。 「ああ、陛下、あなたは本当に情の深い立派なお方です……」  エレナ女王はマリウスの涙を人々のために流す涙と勘違いしていた。しかし、そのときのマリウスは個人的ショックに涙を浮かべただけだった。 (エミーユに妻子……) 「本当に新グレン帝国には感謝しております……!」  エレナ女王の涙に側近たちも鼻をすすり上げ、一同は温かい涙に包まれていた。  しかし、マリウスだけは冷たく凍えていた。 (エミーユに妻子……)  エルラント王宮に戻ってきたマリウスは指で押せば倒れそうなほどに魂が抜けた顔つきをしていた。

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