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ただ一人の人②

(皇帝が赤毛………?) 言われてみればリージュ公と皇帝は似通っている。体格もほぼ同じだ。 (はっきり違うのは髪の色に、それに目の色)  エミーユの手はわなわなと震えてくる。 (皇帝の目は紫色………!)  エミーユはそばのグレン兵士に声をかけた。 「皇帝の名は何です?」  震える声は談笑にかき消える。 「えっ?」  エミーユは声を強めた。 「皇帝の正式な名を教えてください」  グレン兵士は首を捻る。 「何だったっけか。すごく長えのよ。ゲルト・ウォルター・エレ・ガイアス・アウグスト、あとはちょっと覚えてねえな。覚えてなくても怒らねえしな。そういう次元の皇帝じゃねえのよ、俺たちの皇帝は」 「愛称では何と呼ばれてるんです?」 「白銀帝とか白狼帝とかのカッコいいあだ名で呼ぼうとしたらさ、皇帝にスンッとした目で見られてよお。なあ、楽長さん、いいあだ名考えてくれや」  エミーユはリージュ公の元まで這い寄った。リージュ公はそんなエミーユを見て口元をニヤつかせている。 「何、エミーユちゃん? どうしたの?」 「リージュ公」  エミーユのただならぬ様子にリージュ公の口元からニヤつきが引っ込む。 「エミーユ? どうした?」 「皇帝のことを何と呼ばれてますか? 愛称で何と?」 「俺はマリウスって呼んでるけど」 (何てことだ………!) 「こ、皇帝には傷痕はありますか。体に傷痕は」 「えっと、いっぱいあるけど」  エミーユは自分の左肩から右腹へと手刀で切った。 「こんな傷痕は?」 「あるけど」  リージュ公が訝しみながら答えた。  エミーユは息を飲んで口を両手で押さえた。  エミーユは立ち上がりかけて、そして、がくんと床に膝をついた。 「エミーユ!」 「楽長!」  エミーユの顔は蒼白だった。 「大丈夫」  エミーユは気を落ち着かせようとしたが難しかった。体じゅうがガタゴトと震えてくる。 (皇帝がマリウス……? そんな……) 「ちょっと外の風を吸ってきます」  エミーユは楽団室を飛び出た。エミーユを心配して追いかけてくる人影に「大丈夫、すぐ戻ります」と言い残して、建物から走り出る。建物を出てからも走った。ひと気のない方を選んで走った。 (皇帝がマリウス……?!)  走っている間じゅう頭に同じことを繰り返す。やがて、足を止めた。ゼイゼイと肩で息をする。 (あの甘えん坊の泣き虫マリウスが、不愛想なあの皇帝?)  到底、結び付かない。しかし、赤毛に目の色に、傷痕と呼び名の一致。これほど偶然が重なることなどありえない。 (皇帝がマリウスだった……! ああ、皇帝がマリウスだったんだ!)  本当のマリウスがわかった衝撃が、怖気に代わる。  軍務大臣も遠い存在だったが、皇帝となるとそれ以上だ。遠くて恐ろしいような存在、それが皇帝だ。 (リベルの父親が皇帝……!)  リベルの顔が浮かんだ。いつもまとわりついてくる。リベルも寝る前には頭を撫でてとせがむ。小さいマリウスを見ているようだった。 (赤毛に紫の目。リベルは色濃く皇帝の血を引いている)  唐突にリベルが手の届かないところに行ってしまう、そんなイメージがエミーユの脳裏に浮かんだ。 (リベルが遠い存在になる? いや、それだけはいやだ!)  皇帝の息子だと悟られれば遠いところに連れていかれてしまう。エミーユにはそう思えてきてならなかった。一介の使用人の抵抗など何の障壁にもならない。  エミーユはひと気のない庭を歩いた。歩いて頭を冷やす。 (大丈夫、まだ、誰も気づいていない。気づかれないようにしなければ。明日には皇帝は北に向かわれる。今日と明日だけ何とかしのげばいい。大丈夫、大丈夫だ。リベルを守る、守らなければ)  エミーユは悲壮な顔でそれを決意していた。 

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