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第3章_変化_第13話_悪意との出会い5

「……どういうこと?」  狼狽える翔也の隣で、玲奈の視線が尖る。六年間僕ら二人を見て来た彼女にとっては、この距離の近さは見慣れた光景だろう。それでも、僕が和葉に顔を寄せていたこの状況は、やっぱり受け入れ難いものなのだろうか。そう思うと胸が苦しくなった。 「前からスキンシップ激しかったけど、もしかして付き合ってるの?」  噛み付くような勢いの玲奈に僕は気圧され、エレベーターの中に押し戻されそうになる。一階に着いたタイミングで和葉とは離れたものの、降りてくるところを見られていたのなら言い逃れは難しいかも知れない。  多分、今の僕らは、顔を見られるだけでそれに気づかれてしまうような、人に見せてはいけないような表情をしているだろう。二人だけの時の表情から友人といる時の表情への切り替えが、まだ完全には出来ていない。  付き合いが長い彼女には、それをすぐに見抜かれてしまうだろう。いつもとの違いを指摘されてしまえば、もう逃げ道はない。そんな状態で下手な嘘をつくのは、決定的な友人関係の破綻を招くだけじゃ無いだろうか。 ——今言うべきなのかな。  和葉はどう想っているんだろう。そう想って視線を落とすと、彼は穏やかな顔で笑っていた。それは、ピンチを迎えているはずなのに、むしろ秘密から解放されることへの安堵に満ちた表情のように見えた。 「朋樹、良い機会だから二人に話そうか」  狼狽える僕とは対照的に、迷いなく彼はそう言った。でも、僕はそれになんて返事をしたら良いのかが分からない。  彼はまだ回復途中にある。この状態で僕との付き合いを宣言すると、色々と負担になってしまうんじゃないだろうか。  ただでさえ友人関係でそれまでの自分の記憶との違いに悩んでいる時なのに、実は僕と恋人関係にありましたなんて言って、この先も平静でいられるんだろうか。そう思うと簡単には答えられなかった。  目を覚ましてからこれまで、和葉が悩み過ぎて倒れたことは何度もあった。考え込むとかなり疲労が溜まるようで、すぐに調子を崩してしまう。そんな彼に、自分とのことでさらに負担をかけるのは出来れば避けたかった。 「どうせそのうち話すことになるでしょ?」  何も言えない僕の心情を察したのか、彼は僕の胸元を指でトンとつついた。そこにはあの約束の指輪がある。彼の指の爪が当たって、チャリと金属の擦れ合う音が聞こえた。 「これを嵌める時まで隠しておくの? 玲奈たちは多分一生の友達だよ。もう話しても良いんじゃないかな」  そう言って、二人へ視線を送った。  玲奈はさっきよりも不機嫌そうな顔をしていて、翔也は絶望感に満ちた目をして視線を落としていた。反応は違えど、僕らの関係性を知りたいことには変わり無いようだ。 「付き合ってるんでしょ?」  それでも答えない僕に、玲奈が詰め寄る。その目が近づいた時に、玲奈は怒っているのではなく悲しんでいるのだということが分かった。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。 「いつになったら教えてくれるのよ。私だってずっと一緒にいた幼馴染じゃないの?」  話して欲しかったんだろうか。そんな風に考えたことが無かった僕は、思わず玲奈を抱きしめてしまった。その目に光るものが増えていくたびに、寂しがらせてしまった罪悪感に胸が焼ける。 「ごめん、そうだね。玲奈には言うべきだった。翔也は逆に知りたく無かったのかも知れないけれど……。言っても良い?」  翔也はずっと下を向いていて、とても辛そうに眉を寄せていた。でも、どのみちこれ以上隠す意味は無いだろう。胸がドキドキと大きな音を立てている。和葉と想いを伝え合った時よりも、退院後に抱いてもらった時よりも、もっと激しい鼓動が聞こえていた。  同性同士の付き合いはまだ問題になりやすい。その事に友人を巻き込みたく無かった。でも、僕らじゃなくて彼らが望むのなら、その秘密は分け合うべきなのだろう。僕は覚悟を決めた。  玲奈を抱きしめる腕に力を込めた。出来るだけ堂々とした印象になるようにと気をつけながら、僕らの関係性を告げる。 「僕と和葉ね、一年の頃から付き合ってるんだ。一度もはっきり言わなくてごめんね」  言い終わると同時に、玲奈の体が一瞬強張るのを感じた。翔也は逆に、何かから解放されたような表情で笑っている。僕にはその二人の反応の意味が理解できず、段々と怖くなってきた。膝が震えている。どうやら情けないことに、僕はさっきの一言を言うだけで勇気を使い果たしてしまったらしい。  二人が僕らの関係を受け入れてくれなかったらどうしよう、これから残りの学生生活はどうなるんだろう。みんなに知れ渡ったりするんだろうか、その中でどう過ごせば良いんだろうか……たくさんのことが胸の中で渦巻いていた。  でもそれは杞憂だったらしい。僕を抱きしめ返して来た玲奈が、 「もー! 遅いのよ、バカ! 付き合い始めた時におめでとうって言いたかった!」  そう大きな声で叫ぶ。そして、そのまま僕を振り回すから、そのうちに目が回ってしまい、僕はふらふらになってしまった。 「ちょ、ちょっと玲奈。危ないからやめて……」  クラクラしながら玲奈の腕にしがみつく僕を見て、和葉が笑っていた。翔也がその彼の隣に立ち、何かを耳打ちしている。和葉はそれを聞きながら、何か驚くようなことを言われたのか、一瞬目を見開いた。でも、その後も話し続ける翔也の言葉を聞き、次第にその顔が優しい笑顔へと変わっていく。 「……ありがとう」  そう言って彼が微笑むと、翔也は涙を流して和葉に抱きついた。 「あ、ちょっと! 翔也何してるのよ。ダメじゃない、恋人がここにいるのにそんなことしたら! 朋樹を浮気で苦しめたりしないでよ!」  玲奈はそう言って和葉から翔也を引き剥がした。そして、その腕を掴んで外へと引っ張り出していく。 「おい、痛えからやめろよ!」 「だめだって。ほら、あんたはこっち来て。ねえ和葉、秘密を明かすっていう大役を果たした朋樹に何かご褒美あげてよ。ウチら車のところで待ってるからさ」  玲奈はそう言うと翔也を引きずるようにして職員用の駐車場の方へと歩いて行った。二人の騒がしい声が遠ざかり、出入り口のドアが閉まる。エレベーター付近には僕らしかいないため、一瞬にして静寂が訪れた。 「ちょっと……、全てが唐突すぎて頭がついて行ってないんだけど。えっと、キス見られてたってことだよね? で、玲奈と翔也に僕らのことを話して、だからもう二人は僕たちを恋人として見てるって事で……」  僕は和葉の車椅子のグリップを握り、それを何度も握り直しながら気持ちを落ち着かせようとしていた。ドアの向こうで玲奈と翔也がおばさんに挨拶をしている声が聞こえている。 「あの二人、あんなに声が大きいと僕らのこと他の人にも知られたかも知れないよね」  僕がそう言うと、和葉はくすりと笑った。そして、ふっとこちらへ振り向く。その柔らかな髪と白い肌に、夕焼けのオレンジ色が差していった。 「さっき言ってたでしょ。多分みんな気がついてるんだよ。だって、僕かなり朋樹にベタベタしてたはずだから。ただ言わないでいてくれてるだけだよ」 「え、そうなの? 僕ってベタベタされてたの?」  驚く僕に、和葉は少し声をあげて笑った。それはとても楽しそうな笑顔だった。  夕焼けの光を受けて赤みの差した肌は、それだけでとても美しかった。その上にその幸せそうな笑顔の輝きが重なる。 ——もう一回、したいな。  吸い寄せられるようにその美しさに身を寄せた。そして、実は緊張していたのだとわかる少し乾いた唇に、僕のガサガサに乾燥した唇を合わせた。  触れて、少し押し付けて、存在を感じ合うために少しだけ長く触れていた。 ——ああ、幸せだな。  そう思ったその時、遠くの方にスマホの電子音が聞こえた。 「……おばさんかな?」  そう言ってスマホを確認しようとすると、和葉にまたシャツを掴まれた。 「んっ……」  そうして今日三度目のキスを交わした時、電子音が鳴り響いた。でも、僕らのスマホには何も通知は来ていない。二人でそれを確認して不思議に思っていると、また電子音が響くと共にどこかでフラッシュが光のが目に入った。  そこで初めて気がついた。  僕らは、姿の見えない誰かにキスを撮られていたようだった。

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