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第4章_誰よりも_第18話_許さない

「でも、何を話せばいいのか……」  そう尻込みする僕に構わず、事は進んでいく。呼び出し音が鳴り止み、通話中の表示が現れるとともに、『何?』という和葉の声が聞こえてきた。  その声は僕と一緒にいる時のものとはやや違っていて、少しだけ低くて太い。ぶっきらぼうという言葉がピッタリ当てはまりそうだ。あまりの違いに驚いて薫を見る。彼は僕の言いたいことを理解したのだろう。クスッと笑うと、いいから早く話すんだと言わんばかりにスマホを指差した。 「和葉」  思ったよりも緊張していたのか、声が喉に張り付く。あまりした事のない咳払いを一つすると、スピーカーから息を飲む音が聞こえた。 『トモ……?』  和葉は薫のスマホから僕の声が聞こえるとは思っていなかったようで、ものすごく驚いているようだ。その後ずっと、 『え、なんで? これ薫のスマホだよね』  と言いながら、要領を得ない独り言を繰り返している。よく考えてみると、僕と薫が二人で会っていたことを、和葉は知らない。僕が和葉とのことを相談していたと知ったら、どう思うんだろうか。ふと、そんなことを考えてしまった。 「うん、僕だよ。ほら、僕たち直接連絡取り合っちゃダメだって言われてるでしょう? だから、薫がスマホを貸してくれたんだ。だから……」 『それ、朋樹が薫に頼んだの?』  僕の言葉を遮るようにして、和葉はそう訊ねてきた。その声は、少しだけ怒りを孕んでいる。いきなり怒るなんてどうしたんだろう。和葉らしくないなと思って、僕は狼狽えた。 「ううん、薫が僕を心配して来てくれたんだ」 『ああ、そう。そうか、薫は知ってるんだね』  和葉は悲しげにそう言うと、少し長いため息をついた。それはどこか悲しげであり、苛立ちを含んだものでもあり、どうして和葉はこんなにも機嫌が悪いのだろうかと、僕はそればかりが気になってしまった。  これまでずっと一緒にいて、彼が僕にこれほどの不快感を示したことは多分一度も無かっただろう。長い眠りから目が覚めた直後の、あの僕に対する違和感を抱えていた時でさえ、言葉や態度には好意しか見えていなかった。それなのに、今はあからさまに言葉に棘を感じる。 「あの、ごめんね。電話しないほうが良かったみたいだね……。またかけ直そうか?」  あまりに不機嫌な和葉の声に耐えかねて、僕は電話を切ろうとした。これ以上聞いていると、本当に泣いてしまいそうだった。それを薫が制止する。あまりに真剣な面持ちで見られていたため、思わずドキリと胸が鳴った。 『え、どうして? 切らないで。折角久しぶりに話せたんだし、もう少しだけ……ダメ?』  和葉は甘えるようにそう言うと、まるで何事もなかったかのように話し始めた。少し面食らってしまったけれど、楽しそうに話し始めたのでそれを聞くことにする。  彼は謹慎になっていないから、学校での出来事を教えてくれた。  玲奈と翔也が和葉のサポートをしてくれているから心配はいらないということ、二人が僕を心配してくれているということを伝えてくれた。  でも、肝心の和葉が僕をどう思っているのかについては、全くと言っていいほど触れてくれない。あまりにも通じ合わない会話に、僕はだんだん辛くなってしまった。 「うん、うん……そう、なん、だ」  涙を堪えながら話を聞いていると、喉が窮屈になるような感じがしてくる。相槌を打とうとしてもそれを体が拒んでしまって、だんだん何も言えなくなってしまった。 「朋樹」  電話に相槌を打つことも出来なくなった僕に、薫がそっと声をかける。背中に優しい温もりが伝わってきた。そのまま僕にとろけるほど甘い笑顔を見せると、 「ちょっと代わってくれ」  と言ってスマホを触り始めた。  音声通話からビデオ通話に切り替えていたようで、ディスプレイには久しぶりに見る和葉の顔が見えていた。それを見ていると、思わず胸がキュウっと詰まる。  薫はそんな僕の表情を見てふっと微笑むと、徐にスマホをベッドのヘッドボードにセットした。何をするつもりなんだろうか。 「おい、和葉」  薫が声をかけると、和葉はこちらを睨みつけるように見て、 『なんだよ』  とさっきよりも更に冷えた声で応えた。  その目も声も明らかに腹を立てていて、不機嫌さを微塵も隠そうとしていない。薫との間ではいつも感情を素直に出している傾向にあったものの、これほどまでに明け透けな態度を見せた事はなかったような気がする。彼は一体何に怒っているんだろう。僕にはそれが分からない。 「あー本当に腹が立つなあ。お前さあ、少しは朋樹の立場に立って考えろよ。謹慎食らった原因を作ったやつと自分の恋人が仲良さそうに笑い合ってる写真をばら撒かれてて、それを友達から知らされて、本人からは何の説明もないんだぜ? しかもお前、知ってるのか? 山井と付き合ってるって言われてんだぞ」  それを聞いた和葉はさらに気色ばんだ。薫はそれを横目でチラリと確認すると、さらに和葉を煽っていった。 「お前が寝てる間ずっといい子で待ってた朋樹と違って、お前は恋人が謹慎食らったらすぐ乗り換えんのかよ。信じらんねーな」  薫の言葉に、和葉は歯を食いしばっていた。僕は彼のその様子を見て、何かおかしいような気がした。もしかして、和葉は自分の意思だけでは明かせないことを隠しているのだろうか。ふとそう思った。そんな状況にあるのに煽ってくる薫に、苛立って歯噛みしているのかもしれない。  それなら、山井のことはまず置いておこう。正直、彼と和葉の間に何があろうと、僕らの関係性さえしっかり確立されていれば、あとはどうでもいいはずだ。 ——僕が最も知りたいことだけを教えてもらおう。  それだけ分かれば、他はなんとかなるような気がしていた。  意を決して、前を向く。  僕は画面の和葉をまっすぐに見据えて口を開いた。 「ねえ、和葉」  僕の声に、彼はふっと毒気を抜く。そして、ふわりと微笑むと 『なに?』  と優しい声で応えてくれた。僕はそれを聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。  その声は、僕が小さな頃から聴き慣れた大好きなものだった。ようやくそれを聞けた安心感が、胸のわだかまりをすうっと溶かしていってくれた。 「ねえ、和葉はまだ僕のこと好き? それとも、もう好きじゃなくなった?」 『好きだよ! 僕は朋樹を大好きだよ。今だって本当はすごく会いたいんだ』  和葉は間髪を入れずにそう答えた。  即答する様子に僕は安堵したものの、彼の言葉と態度がなんだかチグハグに見えるような気がしてとても引っかかる。その違和感は、その言葉を信じてもいいのかどうか、だんだん自信がなくなってしまうくらいに大きなものだった。 「……じゃあ、どうして僕と話してる途中に機嫌が悪くなったりするの? どうして僕の今の気持ちを知りたいと思ってくれないの? ……どうして、山井とそんなに楽しそうにしてるの? どうして……。どうして何も自分から話してくれないの?」  気がつくと泣いていた。自分の思いを大声で吐き出そうとすると、堰を切ったように涙も流れ始めていた。 『トモ? ……泣いてるの?』  口に出したら最後だと思って堪えていた感情が、予想通りに僕を飲み込んでいく。体が悲しみの詰まった狭い世界に閉じ込められてしまったような気がした。  和葉はいつも僕を好きだと全身で表してくれるような人だ。でも、今の彼からはそう思えない何かがある。どうしてかは分からないけれど、画面の向こうから好きだと言われる度に、それが本当の言葉ではないような気がしてしまって、更に寂しくなっていくような気がしていた。  山井が和葉に付き纏うことでカースト上位に君臨しようとしていたとして、和葉がそれが迷惑だと思っているのなら、僕にそう言わないのはなぜだろう。  僕の未来へ影響を与えてしまった男と秘密を持ち、それを僕へ明かさないことで、僕がどんな気持ちになるかということは、本当に分かってくれていないんだろうか。  それどころか、被害者っぽい言い回しをすることで、僕が寂しがっていることを責めているようにすら感じてしまう。こんなに彼のことを理解できないと思ったことは、今まで一度もなかった。  僕が見ている彼は、本当に僕とずっと一緒にいたあの和葉なんだろうか。そう思ってしまうくらい、分からなくなってしまった。 ——僕は何を信じたらいいんだろう。 『あの、ごめんね。機嫌が悪いように聞こえたのなら、それは僕が悪いんだ。今そこに薫がいるでしょう? だからだよ。僕がトモのそばに行けないことを知ってて、薫はそこにいるんだろう? そんなの見てたら、そりゃあ嫌だよ。僕がいない時はトモに近づかないって約束したのに』  和葉はそう言うと、薫に向かって指を差し、 『約束を破ったお前が悪いよ』  と憤った。  僕にはそれがどういうことなのかよく分からない。不思議に思い薫の方を見やると、薫は心外だと言わんばかりに驚きと怒りの両方を滲ませていた。 「お前……、いつの話してんだよ! 小学校の時にした約束だろう?」 『そんなの関係ないよ。薫は朋樹と二人で会っちゃダメだ』 「お前……。本気で言ってんのか?」 『えー? 何でダメなの?』  争っている二人の間に、なぜか山井が割って入ってくる。そして、何かを言いたげに和葉に向かって無言で首を振った。僕はその彼の表情を見て、ふと気がついた。 ——山井、……震えてる?  山井の体が小さく震えていた。どうやら彼は何かに怯えているみたいだ。よく見ると、ディスプレイ越しにも分かるくらいに顔色が悪くなっていて、和葉に向かって懇願するような視線を送っているように見えた。 「……お前には関係ない」  それに気がついたのか、薫は言葉を飲み込むようにしてその話をやめた。 ——だから、何?  でも、僕にはそれが出来なかった。山井に何か都合があるのだろうということは、何となく分かった。そのために二人は協力してあげているんだろう。 「山井の都合なの?」  ただ、だからと言って僕が我慢をしなくちゃいけない理由は無いはずだ。  少なくとも僕は、彼によって人生設計を少し変えられてしまっている。彼の意味不明な行動によって謹慎という処分を受け、挙句恋人を奪われているような状態だ。文句の一つでも言ってやりたいと思うのは、自然なことだろう。  それに、もしここで彼を問い詰めることをしてはならないのであれば、和葉が僕にそれを教えてくれればいいだけだろう。それをせず、こんなにも回りくどいことをして、いったい何をどうしたいんだろうか。  こんな理不尽な思いをさせられて黙っていられるほど、僕はいい人じゃない。 ——知らなかった。僕、最低なんだな。  自分の心の狭さに絶望した。こんなにも僕は自分勝手なのだということを、今初めて知った気がする。  出来れば穏やかで物分かりのいい優しい恋人でいたかった。湧き上がる思いを止めようと思うけれど、言いたいことを溜めておける場所は、もうとっくに限界を超えてしまったようだ。身勝手でわがままな言葉が、息を吐くようにするすると出て来てしまう。 「じゃあ、じゃあ僕は何も説明してもらえなくても、黙って和葉を待っていればいいの? 一人で言いたいことも言えずに、ただ待ってればいいの? 話を聞いてくれる唯一の人が薫なんだよ? それなのに、薫に会っちゃダメなの? 僕、いつまでそうしてればいいの? ねえ、和葉。何も言ってくれない君を待つのは辛いんだよ。僕、まだ待たないといけないの?」  そこまで一気に捲し立てた。  そして、全てを言い切った直後、ふっと力が抜けてしまった。体はゆっくりとベッドの上へ沈んでいく。 「朋樹!」  薫が僕を呼び、そっと支えてくれる。画面から僕らが消えたのだろうか、向こう側にいる和葉が慌てて僕を呼ぶ声が聞こえた。  でも、もう僕は顔を出す気になれなかった。きっと何を聞いても彼は答えてくれない。僕のことよりも山井の都合の方が大事なのだろうから、僕は彼のそばにいない方がいいんだろう。 「どうしてこうなるの……。一緒にいたいって思ってたのは僕だけだったの?」  事故の後、特に理由もなく眠り続ける彼のそばに、僕は何時間も付き添っていた。  誰かに声をかけられても誰かに連れ出されても何の感情も湧かなくて、ただその大好きな目が開く時だけを待っていた。  ひたすらにかけ続ける言葉はいつも返るものを持たず、そのまま暗がりの中で悲しく溶けて消えていった。その音は、いつも寂しく響いていた。レモンバームの香りも、だんだん寂しさの象徴になっていった。  彼が目覚めた後、もうあんなに辛いことはないだろうと思っていた。彼さえいてくれれば、そんなことは起こり得ないと思ったからだ。  でも、会話が可能な状態の和葉がいるのに、何故かそうしてもらう事が出来ない。そう思うとあの時以上の孤独が襲いかかって来た。  僕は薫に抱きしめられたままだ。二人で抱き合ったままベッドに倒れ込んでいる。それを和葉が見たらどうなるだろう。いつもなら、きっとこんな事をされたら、相手が誰だろうと跳ね除けるだろう。でも、僕にはもうその力も残っていなかった。  薫は僕を抱きしめていた手を緩めると、和葉と山井が揉めている画面をこちらへと向けた。そして、とても低く鋭い声を一つ放つ。 「和葉、大事なもんは本当にそれか?」  そう言うと、誰の答えも待つことのないまま、僕の唇へ自分のそれを重ねて来た。優しく触れ合う薄い肌から、薫の優しさが伝わってくる。とても大切何だと言ってくれているような、優しいキスだった。 「……は、あ」  その甘いキスの優しさに、思わずほおを濡らす。欲しい人からは与えられず、してくれた人には応える事が出来ない。それがとても悲しかった。 『トモ……。どうして……』  呆然と僕らを見つめている和葉は、僕が薫を突き放さない事にショックを受けていた。僕はそれがショックだった。薫を突き放せないほどに、僕から力を奪ったのは和葉のはずだ。それなのに、まだ僕を責めようとしているんだろうか。 「和葉、お前の大事なもんってなんだ? 今お前がしようとしてることは、朋樹を傷つけてまですることなのか? お前、何をしても朋樹を失うことなんてないと思ってるだろう? 自惚れんなよ。お前がこれ以上朋樹を泣かせるなら、俺が奪ってやるからな!」  そう言って通話の終了ボタンに手をかけながら、もう一度僕にキスをした。そして、横たえた僕のほおをするりと撫でると、 「朋樹、好きだ」  今日何度目かの告白の言葉と共に、僕に体を預けてくる。重みで言葉が出ない僕が戸惑っていると、画面にひどくショックを受けた和葉の顔が見えていた。  薫はそれを確認するとくすりと笑い、もったいつけるようにして終了ボタンをタップした。

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