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第4章_誰よりも_第19話_許したい1

 小気味いいのに、ほんの少しだけ悲しく聞こえる電子音が鳴り響く。それを確認すると、薫はそのままゆっくりと体を起こした。  うっすらと潤んだ目の淵に溜まった涙がきらりと光る。それを手で拭いながら、もう一方の手で僕の頭をポンと叩いた。何度かそれを繰り返す。その間も涙は止まることなく、ゆっくりと溢れては僕の頬の上へと滴り落ちて来た。 「……薫。もしかして、和葉を焚き付けてくれたの?」  そう訊きながら、胸の奥の方がぎゅっと縮むような気がした。思わず泣き出しそうになってしまい、唇を噛む。ゆっくりと頷く彼の姿を見て、僕は申し訳ない思いにつぶれそうになってしまった。 「あいつはああでもしないと動けないだろ? さすがに飛んでくると思うぞ。いくら綺麗事並べたところで、本当に俺がお前を手に入れるかもしれないって突きつけられたら、ちゃんと焦るだろうからな」  そう言って俯く姿に、僕はかける言葉が見つからなかった。いや、言葉をかける資格が無いから何も言えないと言った方が正確だろう。自分をすいてくれている人に、残酷な事をさせているのだと気がついて、考えるだけで恥ずかしくなってしまう。  申し訳ない気持ちを抱えながらも、薫の好意を無碍にしないようにしようと思い、頑張って話すことにした。 「ねえ、和葉は薫が僕を好きでいてくれてたことって知ってるの?」  問いかけると、優しい笑顔がこちらを向く。そして、ゆっくりと頷いた。 「知ってる。俺が引っ越すよりもっと前から、お互いに教え合ってたんだ。『朋樹が恋人に選んだ方しか、二人っきりで会わない』って勝手に決めてた。俺はお前に選ばれなかったから、本当は二人で会っちゃダメなんだよ」  瞳を悲しげに揺らしながら、薫はそう言って笑った。 「そんな前から知ってたんだ……。じゃあ、二人は僕にそれをずっと隠してたんだね」  驚いてしまった。和葉は僕を溺愛していて、なんでも包み隠さずに教えてくれているのだと思い込んでいたから、まさか五年以上も僕に隠し事をしていたなんて思いもしなかった。今回山井の事を黙っていたのが初めての事じゃなかったと知って、僕はずんと気が重くなってしまう。 「和葉、結構隠してることあるんだね」  そう言って落ち込む僕に、薫はニヤリと笑いながら。 「それはお前も同じだろう? まあ、お前がして来たことは、自分のためじゃなくてあいつのためだろうけどな」  と言って意味深な視線を投げかけて来た。  僕は焦ってしまった。確かに僕には和葉に隠れてして来たことがある。それを和葉に知られたら、もっと早くに危機が訪れていたかもしれない。  和葉が可愛くて守りたくなると思っている存在の僕が、実はそうでは無かったという事を、薫はどうやら知っているみたいだ。そうなると、薫は僕のことを和葉よりも知っていることになる。  僕は思わず息をつめた。それは非常にまずいかも知れない。 「薫、もしかして僕が今までして来たこと、全部知ってるの?」  そう問いかけると、 「まあな。俺結構粘着質だから。お前のことは割となんでも知ってるぞ。和葉を逆恨みしてる男たちが女の子に頼み込んでリンチに誘い込もうとしてたのに、お前がそこに先生を呼び出してそれを潰したりしてたのとかは、本当に面白かった」  と言って楽しそうに笑った。 「その事知ってたの?」 「ああ、ごめんな」  そう言って、また僕の髪を撫でた。  そう、僕はそうやって少し警戒心の薄い和葉のことを影ながら守って来たんだ。出来るだけ本人にはバレないように気をつけていたんだけれど、まさか薫にバレていたなんて……。  恥ずかしさのあまり逃げ出したくなっていると、薫は微笑みながら額をこつりとぶつけて来た。 「でも、知ってるのと想い合うのは違うからな……。俺はお前の全てを知った上でお前がいいと思ってるけど、隠してることがバレる怖さがあったとしても、お前は和葉がいいんだろう?」  そう言って微笑んだ顔の神々しさに思わず吐きそうになってしまう。薫は優しい。僕には少し優しすぎるくらいだ。だから、彼を傷つけるのは気が進まない。  それでも、ここで変な気の回し方をすれば彼はもっと傷つくだろう。だから、意を決してその問いに正直に頷いた。 「僕は和葉がいい。薫、ごめんね」  見返りを求めずに愛されるということはこういうことなんだろうなと思いながら、それを受け取るには不釣り合いな自分に嫌気が差す。  薫をまっすぐ見る事が出来ずに足元を見つめていると、不意にまたぎゅっと抱きしめられてしまった。 「……それでいいんだよ。親にも認められてるような恵まれた関係だ。変に諦め上手になるよりも、まっすぐぶつかって行けよ。ずっと幸せでいてくれ。あいつがお前を泣かせるなら、俺が話を聞くし慰めてやるけど、最後はちゃんとあいつのところに帰って欲しい」 「……うん。分かった」  もうそれしか言えなかった。本当に親の愛のように広くて深くて、ただ安心させてくれる薫の温もりに、子供のように甘えた。  そんな庇護のもとに弱さを曝け出していると、階下から聞いたことも無いような慌てた足音が鳴り響いた。母さんが「危ないから落ち着いてよ!」と叫んでいる声が聞こえた。 「ほら、来たぞ。……もう一回だけ、キスさせてくれ」  薫はそう言うと忙しなく触れるだけのキスをした。そして、そのまま僕の顔を見ずにドアの近くへと移動する。  ドアがノックされた乾いて軽い音が聞こえると同時にそれは乱暴に開かれ、和葉が部屋の中へと駆け込んで来た。 「朋樹っ!」  そして、それを見計らったように薫は和葉の前に足を出した。まだちゃんと脚力の戻っていない足に、それに抗う力は無い。 「わー!」  和葉は叫びながら飛んだ。そして、目の前の僕の方へと倒れ込み、そのままの勢いで抱きついて来る。思い切り飛び込んで来たから、僕は腹筋に力を入れてダメージを減らそうとしたけれど、和葉が痛がってはいけないと思って少し手加減する事にした。  ドスンと音を立てて、彼が僕の腕の中に収まる。和葉の体からは、ふわりとレモンバームの香りがした。 「ごめんトモ、大丈夫?」 「う、うん。大丈夫だよ。和葉は? 足を捻ったりしてない?」 「うん、大丈夫。痛いところとかは全然ないよ。ただ、よろけかたがカッコ悪かったから、恥ずかしいだけ」  そう言って恥ずかしそうに微笑んだ。うまく力が制御出来なくてドタバタとした不恰好なよろめき方をした彼は、すごく可愛らしかった。そんな和葉を見る事が出来て僕は嬉しい。  でも、まだ足の力は安定していないはずだ。危ないからダメだよと薫に注意しようとしたところ、薫は不貞腐れながら、 「お前の足がまだ完全に治りきれてない事まで計算して引っ掛けたんだ。でも、これくらいは許せよ。本当はぶん殴ってやりたいくらいなんだからな!」  そう言うと、僕らからふいっと視線を逸らした。 「分かってる。薫、さっきの君の行動が僕への忠告だって事、ちゃんと分かってるよ。自分が気にしてたことがどれほどくだらない事なのか、すごく身に染みた。きっとこうしてくれなかったら、気がつけなかったと思う。突きつけてくれたから分かったんだ。ありがとう」  和葉はそういうと、薫に向かって深々と頭を下げた。薫はそれを黙って見ている。そして。深く長いため息をつくと、 「お前はこれでいいんだよな?」  と僕へ訊いてきた。だから僕は大きく頷いた。僕も今突きつけられたんだ。目の前に和葉が立つとはっきりと分かった。彼がそこにいるだけで、僕の世界は輝き始める。やっぱり、僕は和葉が好きなんだ。 「薫の気持ちは嬉しいし、たくさん助けてもらって嬉しかったよ。ありがとう。ごめ」  気持ちに応えられないことに申し訳なさを感じていた僕は、薫に謝罪をしようとした。でも、薫は僕の口を手で塞いで、その言葉を言わせないようにする。そして、被りを振った。 「謝るのは無しだ。最初からこうなると分かってた。むしろ俺の方が謝るべきだろう。弱ってるところにつけ込んだような告白をして悪かった。困らせてごめんな」  そう言うと、また優しく頭を撫でてくれた。  小さい頃から野球に明け暮れた手が、優しく僕に触れる。太陽の匂いと努力の跡が残っているそれは、いつも僕を安心させてくれた。離れていた期間などまるで無かったかのように僕を勇気づけてくれたし、ずっと味方だと伝えてくれているようだった。 「薫、トモに告白までしたの? ……でも、そうだね。それをされても僕には文句を言う資格なんて無い。朋樹を弱らせたのは、僕がバカだったからだもんね」  そう言いながら肩を落とす和葉に、薫は 「そうだな。恋人としては最低だろ、お前は」  キッパリとそう言い切った。そして、その言葉とは裏腹にふっと温かい笑顔を見せる。その表情のまま僕の背中と優しくトンと押すと、和葉の腕の中に僕がうまく収まるようにと押し込んだ。  よろめいた僕が和葉の胸に手をつくと、彼は瞬時に僕をその腕の中へと捉えた。そして、囲いを狭めるように強く抱き竦めていく。 「和葉……」 「朋樹っ」  ギュッと僕を囲む彼の独占欲が心地いい。  今までこんなに強く抱きしめられたことなんて、きっと無かった。その腕の力と、堪えきれない想いに詰まる彼の声が、僕をどれほど好きなのかと告げてくれているようだった。  和葉には、薫の最後通牒が相当効いたのだろう。完全に僕を失ってしまうかもしれないという恐怖を味わったことで、これまでになく必死に僕を求めてくれていた。 「ごめんね、朋樹。さっき薫が言ってたこと、多分当たってると思うんだ。僕、君と僕の関係は僕がどうするかで決まるとタカを括ってたんだと思う。だから、自分から離れることはあっても、朋樹から僕を捨てるなんてことは無いと思い込んでた。さっきの通話が無かったらずっとそのままだったかもしれない……。こっちに来るまでに自己嫌悪で死にそうになったよ」  話しながらその時の気持ちを思い出したのだろうか、抱きしめていた手に更に力が込められた。  体を震わせてしまうほどに、僕を失うことは怖いことだったのだろうか。そう思うと、不謹慎だとは思ったけれど、思わず顔が綻んでしまう。  でも、今はそれを喜んでいるだけではダメだ。これからの自分に自信を持って生きていくためにも、和葉との間にあるわだかまりは解消しなくてはならない。僕は和葉へ聞いておきたいことをちゃんと聞く事にした。 「ねえ、和葉。どうして山井と一緒にいることを僕に教えてくれなかったの? それもつまり、僕のことを蔑ろにしてることに気がついて無かっただけってこと?」 「それは……」  和葉は僕の体をそっと引き離した。そして、真剣な面持ちでその先を続けていく。 「実は違うんだ。意図的に話さないようにしてたんだよ。ちょっと長い話になるから、座って話そう。薫も一緒に聞いて欲しいんだ。山井くんが転校して来る前の話からになるから」  和葉はそう言うと、僕と並んでベッドに腰掛けた。 「分かった。俺もお前たちに言わないといけないことがある」  そう言って、薫は丸いローテーブルを挟んで僕らと向かい合うように床に座る。  和葉はみんなが落ち着いたのを確認すると、ふうと短く息を吐いた。そして、気持ちを整えるとしっかりとした口調で話を始めた。 「僕が山井くんと一緒にいるのは、彼にそうして欲しいって言われたからなんだ。でも、僕が彼に抱いている感情は、シンプルにだよ。断ると何をされるか分からないから、言う通りにしてるだけなんだ」  そう言って、顔を顰めた。

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