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第4章_誰よりも_第20話_許したい2

「恐怖? まあ、確かに恐ろしい人だよね。僕凶器みたいなバッグで殴られてるし……」 「うん。その凶暴性もなんだけど、執着も酷くてちょっと病的なんだ」  そう言って、持っている通学バッグから何かを取り出した。  開いたバッグの中から出て来たのは、コンパクトなカメラだった。それは和葉が十三歳になった時に親に買ってもらったもので、バスケ部にいた時にシュートの軌道確認をするための動画撮影時に使っていた。  高校に入ってからは部活はしてなくて、昼休みにシュート練習を遊びのようにやっていることはあったけれど、その時は動画を撮ったとしてもスマホでやっていたはず。久しぶりに登場した懐かしいアイテムに、僕は思わず飛びついた。 「わあ、懐かしいー。昔シュート練習で使ってたやつだよね。そういえば、最近これ使ってなかったでしょ?」 「うん。これに山井くんの恐ろしい姿が映ってて、使うのが嫌になったんだ」  フリースローの練習をしている和葉の姿が映るサムネイルが、画面いっぱいにずらりと並ぶ。毎日記録を撮ることで、安定していくようにという几帳面な性格がそこには現れていた。その中の一つを表示させると、大きくため息をつく。そして、僕へカメラを手渡すと、 「トモ、この動画の最後の一分間を見てくれる? 薫も」  そう言って提示された動画を再生する。そこには、シュートを決めて笑顔で走り出す和葉が映っていた。カメラは固定されているため、彼は画面から消えていなくなった。どうやらこの時僕もいたようで、音声から僕の声も聞こえている。 「シュートが決まって二人で喜んでるみたいだね」 「うん。確かこの時スナップを色々試してたんだ。で、決まったところにトモが来たんだよ。このあと……。ほら、この画面の中央にある生垣のところ見てて。山井くんが出てくるから」  そう言われ、三人で生垣の中央を見ていた。僕らがはしゃいでいる声を聞きながら、画面の中央を食い入るように見る。そこへ、山井が現れた。  表示は四月十日になっている。三年になってまだ間もない頃で、僕も和葉以外の生徒とはそう話していないような時期だった。 「あ、山井だ」  初めて学校に来た時から女子生徒の制服を着ていた彼は、この日も短いスカートを翻してやって来た。そのスラリと伸びた足は、見惚れてしまいそうなくらいに美しい。手入れの行き届いたツヤのある髪は、この頃肩下まであるロングヘアーだった。自慢の美髪を靡かせながら和葉が座っていたベンチへと近づき、そこにあったタオルを手に取った。 「あ、和葉のタオル……」  そう思った僕の目に、衝撃的な姿が映った。  山井は和葉のタオルをキレイに畳むと、ポケットから取り出した保存袋にそれを入れた。そして、そのままカメラのある方へと走り寄り、それをカメラの前で振って見せたのだ。  それはまるで、獲物を手に入れたペットが飼い主に報告をしにくるようなものだった。得意げな顔でそれをしている姿を見ていると、ぞくりと戦慄が走る。  それ以外の動画でも同じようなことが続いた。飲み物、ボールペン、ハンカチ、そして、お弁当のゴミなどをこっそりと持ち帰っていく。そして、最後には必ず彼がカメラに向かって微笑む様子が写っていた。 「……もしかして、山井ってストーカーなの?」  僕の呟いた言葉に、薫は頭を掻いていた。そして、嫌悪感を丸出しにしてカメラを指差していく。 「確かにこいつにはそんな噂があった。何かを盗んで、見つかると都合のいい言い訳を捲し立てて、最後には被害者ぶって泣くんだ。何を話しても卑怯な言い訳ばっかりするから、いじめられる前からすっげえ嫌われてたんだよ」 「卑怯者の理屈……。薫、前にそう言ってたよね」 「そう、何を言っても自分は悪くない。自分が正しいっていう主張にすり替えていくんだ。だから、あいつをまともに相手すると気が狂いそうになるんだよ」  そう言われて思い出した。あの、カバンで殴られた日のことだ。  山井だと分からず、暗がりに突然現れた女子生徒に殴られたと思っていた僕に、彼が口にした言葉が頭をよぎる。僕のことを下僕だと決めつけていて、更に僕と一緒にいるせいで和葉が劣化していったのだと喚いていた。 「じゃあ、僕が殴られた時の身勝手な言い分って、怒りに我を忘れてとかじゃなくて、元々彼の素質ってこと?」  その問いに、和葉が頷いた。 「そうだね。あの時、僕は相手が山井くんだって気がついた。だから、トモを守ろうとおもったんだ。でも、僕じゃ守りきれなかったし、結果的にトモに守ってもらった上に迷惑までかけてしまった。このタオルの頃から、山井くんはずっと僕のものを盗み続けてる。盗撮とか盗聴とかまではやってないみたいだけど、待ち伏せされてたこともある。立派なストーカーだよね」 「だから言わなかったのか」  薫はカメラの中の映像を確認しながら、和葉へ問いかけた。和葉は黙って頷く。そういうことなら理解出来なくもない。 「話すと僕に危害が及びそうだから黙ってたってこと?」  和葉は自分を抱きしめるようにして腕をさすると、不安そうな声で「うん」と答えた。余程嫌なことがあったのか、辛そうに顔を歪める。 「ストーキングされてても、相手をしなかったら大丈夫かなって思ってずっとそのままにしてたんだ。実際事故に遭うまでは、たいしたことはされてなかったんだよ。色々とものは盗まれたけど、僕としては困ってなかった。でも、入院中に一度お見舞いに来たことがあって。病室に入るなり、『勝手に劣化してんじゃねーよ!』って怒鳴られて、花瓶の水をかけられたんだ。びっくりして何も言えなかったんだけど、それだけ怒ってるのにしっかり僕の洗濯物盗んで行ってたからね」 「えっ、気持ち悪い……」  また背筋に戦慄が走った。  山井が本当に和葉を好きだと言うのなら、どうして優しい言葉をかけてあげないんだろう。突然事故に巻き込まれて、目が覚めたら体が不自由になっていて、自分以外の人が成長してしまって疎外感を感じていた彼を、慰めるならまだしも怒鳴りつけるなんて僕には信じられない。  使用済みのものを盗んで悦に入っている暇があるなら、優しい言葉の一つでもかけてあげればいいんだ。そうすれば、僕だってもう少し救われるような気がする。 「それで、トモが謹慎になった次の日に『私が樋野くんをまた美しくしてあげるから、私のそばにいてよ』って言われたんだ。トモと一緒にいるからそんなふうになるんだって。自分ならもっと美しいままにしてあげられるって言われて、本当に恐ろしくなって。一度思い込むと、本当に話が通じないんだよ。僕が彼を蔑ろにするとまたトモが傷つけられるんじゃないかって思って、怖くなったんだ」  そう言いながら、彼は僕の左肩に視線をやる。そこには、あの硬い通学バッグが当たって出来た大きなあざがある。鎖骨の近くだったため、もう少し当たりどころが悪ければ脱臼していたか折れていただろうと言われていた。  骨に異常はなかったもののかなり傷んでいたため、僕はしばらく茶碗を保つことが難しかった。思い出すだけで震えてしまう。それくらいには、僕の心は傷つけられていた。 「事情は分かったよ。でもさあ、だからこそ余計に思うんだ。どうしてそれを僕に言ってくれなかったの? それを僕に教えててくれれば、僕はあんなに苦しまなくて済んだと思うんだ。和葉は僕が苦しむってことが本当に分からなかったの? それとも、言わないほうがいいと思った理由が他にあるの?」 「それは……。このことをトモに言わなかったら、謹慎が短くなるように学校に掛け合ってあげるって山井くんから言われてたんだ。だから……」 「お前本当にバカなんだな。あいつがそんな約束を守るわけねーだろ」  薫が呆れたようにそう言うと、 「そうだね。少し考えれば分かることだった」  と、和葉は笑った。それは自分を見下したような侮蔑の表情で、笑ってはいるものの悲しそうに見える。そして、彼は僕にもう一つ懺悔をしてくれた。 「それにね、僕カッコつけたかったんだと思うんだ」  吐き捨てるように言ったその言葉に、自分で傷つくように口を引き結んでいる。 「それって、どういうこと?」  自分で言った言葉だけでも傷ついている様子だったけれども、この言葉の真意はきちんと理解しなければならないような気がした。僕たちがこれから二人でやっていくためにも、適当に流してはいけない、なぜかそう思った。 「僕ね、もし山井くんがトモに何かしたら、きっと僕には守ってあげられないって思ってたんだ。でも、ただ黙ってるだけでトモを守れるなら、そうしようって思ったんだよ。笑っちゃうよね、だって今のトモなら山井くんに勝てるんだもん。実際この間勝ったんだから。僕はそれを認めたくなかったのかもしれない。自分は何もしてやれないのに、トモは僕に色々としてくれる。その上、僕のことも守ってくれる。それが情けなくて嫌だったのかもしれない」  そう言うと、つうっと涙を流した。その涙に、ドキリと胸が跳ねた。なんて悲しそうな顔をして笑ってるんだろう。 ——自分に絶望した人って、こんな顔で笑うの?  そう思ってしまうほどに、自分を嫌って諦めている人の笑顔を見たような気がした。  でも、それを薫は鼻で笑う。そして、痛烈な一言を和葉にお見舞いした。 「どっちにしろ自己保身だろ? お前が勝手をしても朋樹が許してくれるってタカを括ってた証拠だ。朋樹に事情を話して、山井にそれを言わなければ良かっただけだ。お前たちは家族ぐるみの付き合いだろう? 繋がろうと思えば、いくらでも出来たはずなんだ。それをお前は小さいプライドを守るためにぶっ壊したんだよ。なあ、朋樹。こんなやつと別れて俺と付き合おうぜ」  そう言うと、僕の方へと擦り寄ってきて膝に手を置いた。  和葉はそれを見るとハッと我に帰り、慌ててその手を叩き落とした。そして、僕をギュッと抱きしめる。身動きもできないほどの強さで抱き竦められ、僕は思わず全身がカッと熱くなっていくのを感じた。 「ごめん、薫。それだけはやめて! ……お願いだから。正直に言うと、途中から山井くんがすごく純粋な人に見える時があって、惑わされたのは、ある。ちょっと前の朋樹に似てて……。二人だけの秘密なんだから言わないでって懇願されてたら、だんだん守ってあげなきゃって思ってしまう時もあって……」  和葉の言葉に、薫は激怒した。立ち上がると、彼のシャツの襟を掴み、思い切り引き上げた。和葉の顔が苦しさに歪む。 「だから、そういうところだろ! 本当にお前は……。いつまでも、昔の朋樹にこだわって今のこいつを見ようとしねえから、悪党につけ込まれんだろうが、バカ! ダメ出ししてる本人が諸悪の根源ってことくらい、いい加減に気がつけよ!」  薫はそういうと、和葉の肩を思い切り拳で殴りつけた。その顔には、真剣な光が宿っている。 「薫、どうしたの? それどういうこと?」  薫は和葉の肩を掴んだ。殴られたばかりの肩を掴まれ、彼は痛みに顔を歪める。 「ちょっと、痛いよ。どうしたの」 「あの事故は山井が仕組んだんだよ!」 「……は?」  あまりの事に、僕らは言葉を失った。   「……え、何言ってるの? 山井くん、普通の高校生でしょ? そんな暗殺計画みたいな事はいくらなんでも出来ないでしょ?」  和葉はそう言って、震えながら何度も被りを振った。意識を失って寝たきりになるほどの事をした人が、同じ学校に通う高校生だなんて信じたくないのだろう。僕も同じ気持ちだった。  僕は山井がそこまで危ない人間だという事すら今初めて聞いたんだ。同じ学校にそんなに危険な人物がいるなんて、信じたくなかった。  それでも、冷静な薫は僕たちに事実を突きつける。山井の過去を知る彼は、山井(まさる)という人物に対して、少しの情も持ち合わせていないようだった。 「あの突っ込んできた車を運転してたのは、山井と関係のあった男なんだよ。あの動画が原因でいじめられて、転校して行ったもう一人のやつ、杉井貴良(すぎいたから)っていうんだ。俺とバッテリーを組んでたやつだよ。杉井は無免許で車を運転して、事故って、しかも人を巻き込んでる。あれをさせたのが山井なんだ。あいつは、そういうやつなんだよ」

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