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第4章_誰よりも_第21話_信じられない

 薫は、僕らがこれまで見たこともないような怖い顔をしていた。  考えてみると、彼は一貫して山井の話になると過剰なまでに怒りを露わにしていたように思う。それでも、ここまで激昂する様子を見せることは無かった。  でも、山井が蔑ろにして来た人が、僕と和葉という幼馴染だけではなく、薫が全てをかけて挑んでいた野球の仲間も含まれていたと言うのなら、それも頷ける。  将来の夢に掲げていたプロ野球選手を諦めて教師になることにしたのだから、高校の野球の思い出を汚されたことは許し難いんだろう。彼の表情は、まるで目の前の獲物を喰らう寸前の鬼のようだった。 「杉井と俺は中学の時からずっとバッテリーを組んでた。お互いに高校で野球を辞めるつもりで、でもプロになる人と同じくらいに上手くなりたくて、ずっと一緒に甲子園を目指してたんだ。でも、あいつ少し良くない性質があって、たまに気に食わないやつをいじめるようなところがあったんだよ。俺はそれをずっと直せって注意してた。あんまり仲間内で酷い態度を取り続けてると、いつか痛い目を見る日が来るぞって。その痛い目っていうのが、あの動画だ。自分からわざわざ罠にかかりに行ったようなもんだったんだ」 「それって、あの、ふ、二人がえっ……ちな事をしてたのを撮られてて、拡散されてしまったっていう、あの?」 「そう、それ。でも、拡散『された』んじゃねえよ。拡散『させた』ようなもんなんだよ。山井がな」  それを聞いた和葉が、突然黙ったまま立ち上がった。見開かれた目には、驚きの色が滲んでいる。それも、よほど強い衝撃だったんだろう、握った拳がふるりと震えていた。 「……待ってよ。僕、その動画を使って元彼から脅されてるって言われてたんだよ。またこれをばら撒かれたく無かったら、もう一度付き合えって言われてるけど、嫌だから僕に恋人のフリをして欲しいって……もしかして、そこから嘘なの?」  呆然とした様子の和葉に、薫はため息をついた。そして、 「なんでそんなにあっさりあいつの事を信じるんだよ」  と、呆れた様子で頭を掻いている。 「だって! な、なんかすごいものだったからさ……。あんなの拡散されたら、生きていけないでしょ!」 「……何、お前あれ見たの? ストーカーされてるような状況で、どういう感情で見るわけ?」 「うっ、そ、それは、ちょっと……。言いたくない、けど」  彼はそう言って僕らから顔を背けた。  和葉は、山井と杉井くんの情事を撮った件の動画を見ているらしい。隠そうとしてはいるものの、耳や首元まで真っ赤になっていた。  僕はそれを見ていないから何とも言い難いけれど、薫の話を聞くだけでも恥ずかしくて目を背けたくなるような内容だった。それなのに、動画を見てしまったのなら、きっと山井くんが可哀想に見えても仕方が無いのかもしれない。 「女装して目隠しされて、軽い拘束までされてるんだぞ? 後ろから突かれて喘ぎまくってる山井なんて、よほどあいつの事を知ってるやつしか分かんねーだろ? それに比べたら、杉井の方がよっぽどリスクはでかい。あいつ、完全に顔が分かる状態で撮られてんだからな」  薫が杉井くんから聞いた話だと、そのカメラを仕掛けたのも、拡散させたのも山井らしい。それが本当なのだとしたら、彼は誰に脅されていると言うのだろう。  全てを自分で仕掛けておきながら、被害者ぶった物言いで自分の都合のいいように事を進める。薫が言っていた「卑怯者の理屈」というものは、確かに感じのいいものでは無いようだ。 「あれのせいで、杉井は野球をやめたんだ。転校してからも上手くやっていけなくて、俺に何度か相談して来たりしてて、その話の中で山井がお前たちの学校に行ったことを聞いた。でも、お前が入院したきっかけがあいつの運転した車のせいだって知ったのは、ごく最近だ。あいつは無免許で事故を起こしてるわけだから、家裁で審判を受けてる。反省が認められたのと家庭環境が良好なのもあって、不処分になったから良かったけれど、山井が関わってることを一切口にしてないし、山井も名乗り出てない。あいつは自分だけ何の痛手も負ってないんだ。そんなやつの言うことが信じられるのか?」  和葉の顔色が徐々に蒼白になっていく。よほどショックを受けたらしく、体がフラフラと揺れ始めていた。 「和葉、大丈夫? ちょっと落ち着こうか。ほら、横になっていいよ」  力なく頷く彼をベッドに横たえる。顔にかかった髪を手で掬い上げていると、涙の粒が転がり落ちてきた。 「嘘だろう……、あんなに無垢そうな顔をしてるのに。あんなに、怖いって言ってたのに。全部自分で仕組んでたなんて……」  呆然としたまま泣く彼を見ていると、胸が苦しくなって行った。僕の大切な人を、和葉をここまで欺いて、彼は一体何がしたいんだろうか。山井はきっと和葉の事を本当の意味で好きなわけじゃ無いんだろう。それは何となく分かった気がする。  彼の中には何か重い問題があって、それを誰かを欺くことで解消して行っているのかもしれない。それはそれで、可哀想な気もする。  でも、だからと言って僕らがその犠牲にならなくてはならないと言われれば、全力で抗いたいと思う。僕らだって未熟なりに一生懸命生きている。誰かのストレス発散のために、人生を潰されては黙っていられない。 「あの事故な、本当は杉井が風船か何かを車で轢いて、破裂音でお前を驚かすだけだったらしいんだ。でも、あの女の子が不注意で飛び出して来たせいで、あいつらの想定よりも大問題になった。だから、山井も杉井も不運だったのかもしれない。予定と違うことが起きて、どんどん取り返しがつかなくなってしまって、どうしたらいいか分からなくなった。そして、そのストレスをなぜか朋樹にぶつけてるみたいなんだ」 「想定外のストレス……」  そう言われて、僕は山井が震えていたことを思い出した。  あの震え方は、明らかに怯えを表しているものだった。この一連の騒動が全て山井の仕組んだことだとしたら、彼が怯えている意味が分からない。薫が言うように想定外のことが起きてしまって、それを挽回することが出来ずにから回っていたのだとしたら、あの怯え方も理解出来なくも無い。  だとしたら、ただ単純に彼らを懲らしめても話は終わらないだろう。  僕らは一体何を目指してこの騒動を収めたらいいんだろうか。少し分からなくなってしまった。 「ねえ、薫。じゃあ、山井は最初から和葉を轢き殺そうとしてたとか、そういうことじゃ無かったんだよね? それだと救いようが無いけれど、あれが運悪く起きたことだって言うなら、少し捉え方は変わると思うんだ。そのあたりはどう?」 「ああ、それは間違いないだろうな。最初から殺人計画だったら、さすがに杉井が引き受けねーよ。そこは信じてもいいと思うぞ」 ——良かった、少し安心できた。  そう思って胸を撫で下ろした。 「そうだよね。山井だってそこまでおかしくは無いんだよね。良かった、僕ら殺されるまでこの問題がついて回るのかと思って、ちょっと怖かったよ」 「多分な」と言いながら薫は困ったように笑っている。さすがに命の危機まで感じる必要は無いのだろうか。それならもう少しだけ気を楽に持ってもいいのかも知れない。  笑っている僕らをよそに、和葉はやや考え込んでいるようだ。顎に手を当てて、形のいい唇を指で少し引いている。 「……ねえ、薫。多分だけどね、山井くんは杉井くんに会いたいんだと思う。それが叶わないから、僕を推して寂しさを紛らわせてるんだろうと思うんだ。一週間一緒にいただけだけど、僕そんなに悪い扱いは受けてないんだよ。むしろ優しかった。それが僕を騙すためだったとしても、酷い扱いを受けてないことは間違いないよ。ただ、いつもどこか寂しそうだったんだよね。僕、それがずっと気になってたんだ。だから、それが元彼くんと引き離されたからだったとしたらさ……、山井くんの中の問題は、彼らが付き合えば解決するんじゃないの?」  和葉の言葉に、薫は眉根を寄せた。何か言いにくそうにしているように見えるのは、きっと気のせいじゃ無いだろう。  僕と和葉もだけれど、薫も山井に人生を狂わされているところはある。彼が杉井くんとのことで動画を拡散したりしなければ、二人は最後までバッテリーを組めていただろうし、もしかしたら甲子園にも行けていたかも知れない。  二年の終わりに突然別の人と組まされ始めた薫は、相手とうまくコミュニケーションが取れず、いつも打たれてしまい、試合は常に打撃戦になっていた。そのせいで他の選手の疲弊が激しく、薫の立場自体も悪くなっていたらしい。 ——僕なら、山井を恨むだろうな。  そして、僕ならそんな人の幸せを願うことなんて、きっと出来ない。自分の未来に悪影響を与えた人なんて、幸せになんかならなければいいと思うに決まってる。  実際今がそうだ。僕らがこのまま離れ離れでいなくてはならないのなら、山井だって杉井くんとは永遠に会えなければいいんだと思ってしまっている。ただ、そうすることで彼が僕の謹慎解除に協力してくれる可能性があることは否めない。それが腹立たしい。 「……薫、僕もそう思う。和葉の言う通りだと思う。でも、山井が杉井くんと連絡を取ると幸せになるって考えたら、ちょっと許せない。薫もそうなんでしょ? 分かるよ、その気持ち」 「朋樹、お前……」  薫は、僕が心の中の黒い部分を隠さなくなったことに驚いていた。ただ、僕がこれまでこの部分を表に出さず、必要な時だけ強かに動いていたことを知っているからか、割とすぐに納得もしてくれたようだ。  でも、和葉はついさっきまでそのことを知らなかった。前知識が無い分だけ、薫の数倍驚いているようだ。 「わあ、朋樹ってそういうところもあるんだ。びっくりしたけれど、意外と嫌じゃないよ」  そう言いつつ、目が飛び出しそうになっている。 「でも、山井が杉井くんと付き合えたら、和葉への執着がなくなる可能性が高いんでしょ? それなら、杉井くんに山井と会ってもらおうよ。もちろん、彼がそれでいいならね」  僕はそう言って、精一杯笑顔になるように頬を動かす。本当は気が済むまで殴らせて欲しいと思っているけれど、それはさすがに胸の内に止めることにした。でも、和葉は僕のその思いには気がついてくれたようで、目に少しだけ怯えたような色が乗る。 「か、薫っ。杉井くんの想いはどうなの? もうこの件を終わらせて、受験まで他のことに気を揉まずに済むようにしたいんだけど。朋樹が爆発して山井に暴力を働いたりしないようにするためにも、急いだ方がいいかも知れないなー。ねえ、山井と杉井くんをくっつけちゃダメ? 薫もその方がスッキリするんじゃないの?」  それを聞いた薫は、とても不本意そうに顔を顰めた。  それは、自分が傷ついたことを思い出しているという彼自身の痛みと、それを元にした山井と杉井に対する良心の呵責という二つがせめぎ合って起きているように見える。 「杉井も山井に会いたがってる。不処分になったから、二人で会ってはいけないっていう決まりも無効になってるらしいから、会わせても問題は無い。でも、俺はあいつらが幸せにしてる姿は見たく無い。ただ、そうすればお前たちは困ることも無くなるんだし……」  そう言って、一つ大きなため息をつくと、 「二人が会えるようにするよ。すっげえ嫌だけど」  と言ってくれた。  和葉はその薫の言葉に表情をパッと明るくする。 「ありがとう、さすが薫! 頼りになるね。これで山井くんが幸せになったら、朋樹の謹慎解除も出来るかも知れないし、きっと全部がうまくいくよ!」  すると、薫の表情が見る間にどんよりと曇って行く。そして、もう一つ大きなため息をこぼした。 「朋樹、お前本当にこいつのどこが良いんだ? 俺には結構ダメで最低なやつに見えるんだけど」  そう言って、ガシガシと短い髪をかき混ぜる。僕は彼のその姿に深い友情と愛を感じた。なんだかんだ言っても、彼はいつも僕らのためを思って動いてくれる。その想いを受け取ると、胸がじわりと温っていった。 「二人揃って迷惑ばっかりかけてごめんね。ありがとう、薫」  懐の深い彼の優しさに顔が綻ぶ。薫は僕が笑いかけるとうっすらと頬を染めた。そして、その照れを隠すように大袈裟な咳払いをすると、 「おい、和葉。俺は朋樹のために杉井に聞きにくいい話を色々と聞いてやったんだぞ。朋樹もお前のためにこの一週間黙って耐えてやってたんだ。お前、結局俺たちに甘えただけで大して何もしてないだろ? 自覚があるなら、次は無いようにしろよ。二度と同じ理由で朋樹を泣かせるな。つうか、次泣かせたら絶対許さねーからな!」  と言いながら、床に落ちていたレモンバームの入っていた空の紙袋を掴む。それを丸めると、和葉の背中に向かって思い切り投げつけていた。

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