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第4章_誰よりも_第23話_君を抱きしめたなら2

 僕はよほどひどい顔をしているんだろうか、和葉が心配そうに僕に声をかけて来た。そして僕はなぜか一瞬、その視線に違和感を覚えた。 ——あれ? 和葉はそっちだよね?  そう思って混乱してしまう。これは何だろう。  杉井くんから漂う香りは、なぜか僕に彼が僕のものだと思ってしまわせるような、異常な強さを持っていた。でも、僕は杉井くんには今日初めて会ったはずだ。それなのにこんな事を思うなんて、僕は頭がどうかしたんだろうか。自分が少し怖くなってしまった。 「朋樹? 大丈夫?」  和葉が僕の顔を覗き込む。そして、かき抱くように僕を抱き寄せた。僕は混乱したまま和葉を抱きしめ返す。大好きな人が心配してくれている事に、体が反射するように自然と動いてしまった。 「……大丈夫だよ。ただ、ちょっと気になることが……」  そう言っていると、和葉が僕に顔を擦り寄せて来た。 「それならいいんだけど……。なんだかすごく不安になるような顔をしてたんだ」  そう言って強く抱き竦められた。二人分の体温に、ボディクリームから香りが立ち上る。 ——あ、これもしかして……。  その時、僕は分かってしまった。山井が和葉に執着する理由、それはきっとこれだろう。  そして、同時に理解した。山井はやっぱり和葉を好きなわけじゃ無いんだ。彼に、杉井くんと同じものがあるからついて回ってる、その事に確証をえたような気がした。  焦がれているのに失ってしまったものがある人なら、きっと分かるだろう。これほど似たものが現れてしまったら、惹きつけられても仕方が無いとさえ思えた。  彼は和葉を杉井くんの身代わりとしてそばに置いている。それほど二人は似ているのだと、気がついてしまったんだろう。 ——一度でも、彼が君を抱きしめたなら……。  それを確認しなければならない。そして、もし二人が抱き合ったことがあるのなら、それが決定打になるだろう。正直なところ、そんな事は聞きたくない。けれど、確認するためにはそうするしか無かった。 「和葉、君は山井くんに抱きしめられたことってある?」 「え? なに、いきなりどうしたの……」  突然の事に、彼は狼狽えた。  彼がそれを僕に知られたくない事くらいは、もちろん分かっている。それに、僕だって出来ればそんなことは知りたくもない。今ここには杉井くんもいるし、普通ならすべき話では無いだろう。和葉が正直に答えると、彼は傷つくかも知れないのだ。  そう思って躊躇っているであろう彼に、僕はその目をまっすぐに見て言った。 「和葉、薫、それから杉井くん。僕、なぜ山井が和葉に執着してるのかが分かったよ」 「え、今?」 「何か分かるような事があったか?」 「……執着? 好きじゃなくて?」  三人とも突然の僕の言葉に驚いていた。  杉井くんに至っては、何を聞かされるんだろうと怯えているようで、泣きそうな顔をしている。僕はそんな彼の肩に手をかけた。 「心配しないで。それに気がついたら、山井が君を好きだっていう確信が持てたよ」  僕がそう声をかけると、彼は眉根を寄せて困惑した。 「樋野くんを好きな理由が分かったのに、それが俺を好きだという確証になる? どういう意味だ?」 「あーそうだよね、まわりくどくてごめん。これは薫に確認してもらうのが一番だと思う。薫、ちょっと和葉に抱きついてみて」 「はあっ?」  薫は思い切り顔を顰めた。それはそうだろう、僕も酷い事を言っている自覚はある。それでも、この中でそれを出来る人は薫しかいないのだから、やってもらうしかない。  何が悲しくて和葉に抱きつかないといけないんだという顔でこちらを見ている彼に、僕はほんの少しだけあざとさを発揮する事にした。 「ね、薫。お願い!」  きっと僕は地獄に堕ちるだろうなと思いながら、出来る限り全力であざとく見えるように薫に視線を送った。彼はそれで溜飲を下げてくれたのか、長いため息をつくと面倒くさそうな顔をして和葉に抱きついてくれた。そして、さっきまでよりも深い皺を眉間に刻む。 「……好きでも無い男に抱きつくと鳥肌が立つな」 「うるさいよ、僕だって今背中がぞわぞわしてるわ」  二人はそう言って、いつものように口喧嘩を始めようとした。僕はそれを制すると、 「うん、いいよ。じゃあ、今度は杉井くんに抱きついて」  と言って彼を和葉から引き剥がした。 「はあ? 何だよもう……分かったよ、分かった! その顔すんなって。ずるいんだよ、お前。おい、杉井! こっち……」  伸ばした手を杉井くんに巻き付けるようにしてその腕の中へと収めると、薫はハッと息を呑んだ。そのまま黙り込んでしまう。そして、真剣な面持ちのまま、さらに強く杉井くんを抱きしめる。すんと鼻を鳴らすと、驚きの表情を浮かべて彼の首元の匂いを嗅いだ。 「……おいっ! 何してんだよ!」  驚いた杉井くんは、薫を突き飛ばそうとした。でも、つい最近まで野球をやっていた彼と、辞めて半年経った杉井くんでは力が違う。抱き竦められたまま、驚いて香りを嗅ぎ続ける薫にされるままになっていた。 「薫、分かったでしょ?」  僕が声をかけると、薫は動きを止めた。そして、ゆっくりと頷く。 「……ああ、分かった。杉井と和葉は同じ匂いがする。これ、レモンバームだろ?」  そう言って、テーブルの上に置いてあるレモンバームの葉を指差した。僕はそれを手に取り、葉を一枚擦り潰す。ふわりと爽やかな香りが立った。 「半分正解だね。今の和葉は、レモンバームだけだとダメなんだ。だから、少しだけジャスミンが混ぜてあるんだよ。それは僕が作ってるから間違いない。そして、杉井くんのは……」 「俺のは香水だ。確かにレモンバームとジャスミンがブレンドされたものを使ってる。じゃあ、山井は彼に俺の香りを感じてたってことか?」  驚く彼に、僕は頷いた。  これまでの山井の話を聞いていて、ずっと感じていた違和感がなんだったのかを思い出す。あれほどの執着があるなら、手に入れたいであろうものを、彼は一度も盗んでいないのだ。 「和葉、山井からよくものを盗まれてたんだって。汗を拭いたタオル、着替え、ハンカチ、筆記用具……本当に色々盗まれてた。その映像もあったんだよ。ストーカーまがいなこともするし、入院中にはパジャマも盗まれてる。でも、下着だけは盗まれたことがないんだよ。そうだよね?」  僕がそう和葉に問いかけると、彼はハッとした。 「そういえば……。それに、僕自身に興味があると言うよりは、ボディクリームを使った後のものが無くなってた気がする」 「そうでしょ? そして、上半身に塗られたクリームって、体温が上がると香りが広がりやすくなるんだ。だから、抱きしめると自分を包み込んでくれるんだよ。和葉を抱きしめると杉井くんと同じ香りが彼を包むんだとしたら……」 「それほどにこいつのことが好きだと、証明してるようなもんだな」  薫の言葉に、僕は頷く。それを聞いていた杉井くんは、湧き上がる思いに心を乱されたようだ。俯いた瞳に、涙が揺れる。 「おかしいと思ったんだ。あれほど色々執着を見せるのに、アイドルが好きだっていうのと感覚が変わってないみたいだし、抱きつくけどキスをしようとしたりはしないんだよね。ねえ、和葉。それはして無いでしょ? してたら、君は僕に触れられないと思うから」  その問いに、和葉はぱっと顔を上げた。 「してないよ。そういうのは絶対に無理だって、最初にきっぱり断ったんだ」  そう言って、僕の頬を包み込んだ。僕はその瞳を覗き込んで、その言葉が本当であるという事を思い知らされる。薫のおかげでまっすぐに想いを伝えてくれるようになったからか、僕もそれを信じられるようになった。 「山井を呼ぼう。杉井くん、君も山井が好きなんでしょう? もう素直にそばにいたらいいじゃない。誰かの命を奪うとかじゃ無いなら、何も気にせずに一緒にいればいいと思うんだ。もう転校もしてるんだし、部活も関係ない。君は人の話を聞くようになったし、罪はないと言われてるんだ。興味本位で文句を言う人なんて、潰してやるくらいの気持ちでいたらいいんだよ」  そう言って僕が拳を振り上げて見せると、 「おお怖い。お前これから大変だな」  と薫が和葉を揶揄った。

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