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第4章_誰よりも_第24話_僕は幸せに包まれる1

「でも、呼び出したって来ないんじゃ無いかな」  まるで叱られた子供の様に肩を落として、杉井くんはそう言った。 「え、どうして?」  僕にはそれがなぜなのか分からない。  山井が彼をそれほどに好いているのなら、彼の方から会いたいと言われれば喜んでやって来ると思うのが自然だろう。  山井は大好きな彼に会うことを諦められず、和葉を代わりとして利用している。つまり、それほどそばにいたいと思っているはずだ。それなのに、会いたいと思われている当事者がそれを否定する。どうしてそうなるのか、僕には全然分からない。 「なんでそう思うの? 山井は君を好きで、ずっと会いたがってるって和葉は言ってたよ。ねえ、そうだよね、和葉」  僕がそう問いかけると、和葉は何度も頷いた。彼も僕と同じように杉井くんの言葉に驚いているようで、その美しい目が大きく見開かれている。  普段そういう大きな感情の揺れを見せることがあまりない彼が驚いているのだから、やっぱり杉井くんの判断は不可解なものなのだろう。薫の方を見てみると、彼も同じ様な表情を浮かべていた。僕ら三人の認識は合っているようだ。  そう思って改めて杉井くんの方を向き直ると、彼もそのことに気がついたようだった。そして、その事にやや狼狽えている様に見える。和葉はそんな彼の様子に怪訝な表情を浮かべながら、僕の問いかけに答えてくれた。 「うん、そうだよ。何度かそういう話をしてた。杉井くんに会いたいけど、連絡が取れなくなってるし、自分から会いにいくのは怖いって言ってたよ。君は連絡を取ってないんでしょう? それなのに、どうして彼が会いに来ないと思うの?」  杉井くんは強気な人だ。その彼が、そわそわと落ち着きのない動きを繰り返しながら、何度も拳を握っている。明らかに何かに動揺していた。それは、だんだんと言葉にも現れ始める。 「それは、その、俺が……」  苦しげに寄せられる眉根は、眉間に深い皺を刻む。  よく見れば、杉井くんはなんだか疲れた表情をしていた。高校三年生とはとても思えないような、疲労の色の見える顔をしている。それは、入院中に見ていた和葉の表情に少し似ていた。  和葉がその顔を見せたのは、僕に言えないことがあったからだ。彼が気づいた違和感を、僕に直接言ってしまうと傷つけてしまうと思って言えなかったと言っていた。  見逃せないほどに気になっている事があるのに、それを隠し続けた事で疲れてしまっていた、あの時の顔。今の彼の表情は、それにひどく似ている。 ——もしかして、何か隠してる?。  そう思っていると、薫が徐に杉井くんの肩を掴んだ。項垂れかけていた彼の体を、力任せにぐいっと起こしていく。乱暴な扱いに驚いた杉井くんは、一瞬それに抵抗しようとした。  でも、ついさっき力で敵わないと知ってしまったからか、すぐに諦めてしまったようで、大人しくされるがままになっていた。乱暴に揺すぶられる肩に、薫の指が食い込む。彼はそれに一瞬だけ顔を顰めた。 「お前、何を隠してるんだ? それ、大事なことなんじゃないか? そうじゃなきゃ、お前がそんなに弱気な発言をするなんて、おかしいだろ?」 「っ……」  杉井くんは薫の問いかけに、咄嗟に目を逸らした。その顔には、怯えの色が浮かんでいる。どうやら、彼はそれを話すことを恐れているみたいだ。  薫の目を見ることが出来ないという事は、彼に後ろめたい気持ちがあるという事だろう。僕は怒り任せに動いている薫に声をかけ、二人をそっと引き離した。 「薫、ちょっと落ち着こう。杉井くん、今薫に訊かれた事が何なのかは自分ではわかってるんだよね? それ、今まで何度か言おうとして言えなかった事なんじゃないの?」  僕がそう問いかけると、彼はびくりと体を強張らせた。  おそらく当たっているんだろう。気持ちはわからないでも無い。言わなければならないと分かっていても、場の空気を読んでしまって言えなくなることというものは、あるからだ。  その場の空気を壊してまで正しい発言をできる人というのは、そんなにいるものじゃない。少なくとも、僕は出来ない。いくら彼が強気な性格をしているとはいえ、彼もまた普通の高校生だ。そういうところは、きっと僕らと同じだろう。  そして、その反応を見る限り、それは少し重要な事だったんじゃないだろうか。それを言わなかった事で、色々と拗れてしまったのだとしたら、彼が弱気になっている事にも説明がつく。 「山井は君を好きで、君に会いたがっている。でも、君は山井がそう思っているとはどうしても思えない。そういう話の流れだと、山井くんが君に会いたくないと思うはずだと言い切れるための根拠を、君は持っている事になるよね? そして、それがきっと誰にも言えていないことそのものなんでしょう? これは僕の意見だけれど、そんな事態になっているのなら、それはもう言わないといけない事なんだと思うよ。そうやっていちいち怖がって隠したままにしてると、本当に大事なものが逃げていってしまうと僕は思うんだ」  それでも、杉井くんは何も言わない。ただ、その瞳がゆらりと揺れた様な気がした。僕の言葉に少しは心を動かしてくれているみたいだ。それでも、どうしても言えないのだろう。僕は困ってしまった。 「杉井くん」  すると、苛立ちを隠せずにいる薫とは対照的に、優しい声で和葉が声をかけた。そのまま彼の前まで近づくと、座りにくい膝を折って正座の形をとっていく。 「あのね、君の事情もわかるんだけど、僕らは君の気持ちの整理がつくのを待ってあげることが出来ないんだ。山井くんが朋樹の人生の邪魔をするのを、黙って見てるわけにはいかないんだよ。申し訳ないんだけど、僕は君の気持ちなんて無視してでも、山井くんと君をくっつけたい。それも、出来るだけ早いうちに。そうすることが朋樹を助けるための近道なら、そうしてもらいたいと思ってる。彼にはもう時間が無いんだよ」 「……時間がない? どういうことだ?」  驚いた杉井くんは、和葉ではなく薫の方を向いた。どうやら薫はその事までは話してなかったんだろう。もしかしたら、僕がもうすぐ死ぬと思ったのかも知れない。その顔には悲壮感が漂っていた。 「ふっ……。あ、ごめん。大丈夫だよ、別に死んだりしないから」  あまりに顔色を悪くしていく杉井くんに、思わず笑ってしまった。時間が無いという表現に踊らされたとは言え、今日会ったばかりの人への心配の仕方にしては深すぎる。そのお人好し具合が、何だか微笑ましく思えたのだ。 「えっ、あ、そうか。それなら良かった……。でも、じゃあどういう意味だ?」  心配しているようなことでは無いと聞かされて安心した彼は、今度は勘違いをしたという事実に顔を赤くする。その表情豊かで優しい様子に、自分をいじめていた男を好きになってしまったという山井の気持ちを、少しだけ理解出来たような気がした。  そうやって笑っている僕とは対照的に、和葉は厳しい表情で彼を見ていた。彼に山井を説得してもらうために、僕自身よりも必死になってくれている。 「朋樹は推薦入試を受ける予定なんだ。そのためにずっと勉強を頑張ってた。でも、山井くんがついた嘘のせいで、暴力事件を起こした加害者として謹慎中なんだよ。でも、それはもともと山井くんが僕らを襲ってきたから、ただ身を守っただけなんだ。僕を守るために、山井くんのカバンを蹴り飛ばした。先生たちが山井くんの口車に乗せられてしまってて、このままじゃ朋樹は推薦枠を貰えなくなってしまいそうなんだよ。でも、今その事を正直に学校に話してくれたら、朋樹は推薦が受けられる。僕は山井くんにその証言をする代わりに、一ヶ月だけ付き合って欲しいって言われたんだ」 「推薦入試? 謹慎なんて受けてたら、もうダメじゃ無いのか? 山井はそんな事を平気でやってるのか? なんで、そんな……」  話を詳しく聞こうとする杉井くんに、和葉は我慢の限界を迎えた。僕らの間に置いてあるローテーブルを手で思い切り叩き、声を荒げる。 「山井くんの事については、僕の知ってる事なら君が知りたいだけ何でも話すよ! でも、とにかく今は早く誤解を解いて欲しいんだ! 実は朋樹が謹慎で済んでるのは、担任の先生が僕らを信じてくれたからなんだ。本当なら即停学処分になるところだったんだよ。今日中に連絡が出来れば、謹慎解除が出来るかもしれないんだ。もう無理だって諦めてたんだけど、山井くんが君を好きだっていうなら、それを利用しない手はない。だから、お願いします。山井くんと会ってあげて。逃げないでちゃんと話してあげて下さい。そして、朋樹の蹴りが正当防衛だって、自分が悪かったって証言する様に言って欲しいんだ」  お願いしますと言って和葉は頭を下げた。僕は彼のその様子を見て、思わず涙を溢した。 ——和葉……。  それは、とても美しい所作の土下座だった。杉井くんは和葉のその姿に目を見張る。僕にために何の躊躇いもなく頭を下げた和葉を見て、激しく動揺していた。 「それは、その、そうするべきなのかも知れない。でも、俺が言ったところであいつが思った様に動いてくれるなんて……」 「分かってる。難しいだろうって事は、分かってるよ。でも、そんなに簡単に諦められる事じゃ無いんだ。だから、お願いします。動くまで説得して下さい」  和葉は叫ぶように懇願すると、また頭を床に擦り付けた。着くタイミングで、ゴンと鈍い音が鳴る。それでもお構いなしに頭を下げ続けた。  長いため息の音が響いた。杉井くんは両掌で顔を覆い、じっとしたまま動かない。葛藤する彼を見つめながら、僕は和葉の背中を見ていた。足に負担がかかってしまうから、本当はすぐにでも土下座なんてやめさせたい。床に頭を擦り付けている姿も、見たくは無い。  でも、そこに込められた想いに胸を打たれていた。和葉はこういう人だった。僕のためにした方がいいと判断がついた事は、躊躇いなく実行する。それがどんなに大変な事であっても、いつもそうしてくれていた。  僕は和葉のそんなところがずっと好きだったなと思い、胸がじわりと温まっていった。無くしていた愛されているという自信が、すっと戻ってくるような気がした。  彼の隣に膝をついて座り、その肩を支えて体を起こした。顔を上げた和葉は、うっすらと目に涙を溜めている。僕を思ってのものだと思うと、今温まっていた部分に重なる様にして甘い痺れが生まれた。 「杉井くん。僕たちね、ほんの一時間くらい前まで別れの危機だったんだよね。でもさ、薫が色々と動いてくれたから、なんとかそうならずに済んだんだよ。危機になるきっかけってさ、本当にちょっと話せば済む事でしょ? でも話す覚悟が決まるまでは本当に怖くて、何も訊けない。でもさ、訊かないとずっとそのままなんだよ。言わないとそのまま。逃げて離れてても、何も解決しないんだ。だから、これを機に山井に何か伝えないといけない事があるのなら、話してみたらどうかな? そして、そのついでに僕の事も伝えてくれると嬉しい」  杉井くんは僕の言葉に顔をあげると、じっと僕らを見つめていた。そして、再び俯いたかと思うと小さく頷き、 「……やれるだけやってみる」  と言って顔を上げた。 「ありがとう」  そう伝えると、小さく被りを振った。そして、薫の方へと視線を送る。二人は、何かが吹っ切れたかのように穏やかな表情で微笑見合っていた。

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