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第4章_誰よりも_第25話_僕は幸せに包まれる2

◇ 「うん、ああそうなんだ。うん……ありがとう。じゃあ待ってるね」 「……玲奈、なんて?」  通話を終えてスマホをテーブルの上に置くと、和葉が心配そうに僕を覗き込んで来た。僕らは、杉井くんからの話を聞いて、山井に直接連絡を取るのではなく、彼と仲のいい玲奈に、彼をここへ連れてきてくれるように頼む事にした。  玲奈は僕の頼みならと快く引き受けてくれたのだが、きっと普通に話したとしても素直に行く事はないと思うと言っている。そうなれば力ずくで連れて来る事になるだろうから、翔也に手伝ってもらうと言っていた。  こんな事で翔也を煩わせるのも申し訳ないなと思ったのだけれど、彼女が言うにはその点については何も気にしなくていいらしい。  理由はよく分からないけれど、この件に関しては翔也も一緒に関わっていたいと思っているらしく、三人でうちへ来てくれると言って話は終了した。 「山井が逃げ無いように、翔也が捕獲して連れて来てくれるって。玲奈はどうも山井が杉井くんに会いたく無い理由を知ってるみたいだったよ。それでも連れてくるって言ってくれてる。だから、僕たちはとにかく待つ事にしよう」  僕がそう言うと、薫と和葉が頷く。杉井くんはまた辛そうに顔を歪めたけれど、どうにかして笑顔を作り、 「ありがとう」  と声を絞り出した。  気がつくと外は暗くなっていて、そろそろ夕飯の時間になりそうだった。僕の謹慎を解除するためには、あと一時間以内には学校に連絡を入れなくてはならない。  今から山井が来て話をしたとして、それがうまくまとまる保証はどこにもない。正直、希望を全て捨ててしまって楽になりたい気持ちもあって、落ち着かない思いをしていた。 「なあ、杉井。和葉の事故の件なんだけどさ」  突然静寂を破ったのは、薫だった。薫は窓の外を走る車を眺めながら、あの日の事故の様子を思い浮かべているように見える。彼は実際にそこにいたわけでは無い。僕が話した内容を知っているだけで、それ以外のことは杉井くんから聞いたはずだ。 「山井が和葉を手に入れたがっているのにそれが叶わなくて、嫌がらせに驚かそうとしたんだとしてもさ、なんで無免許のお前に車を使わせなくちゃいけなかったんだ? 騒音で驚かせるだけとかだったんなら、別に自転車でも良かったじゃねーか。なんで車だったんだよ。お前、下手したら殺人犯になってたかも知れねーだろ?」  窓の外を眺める薫の顔を、車のヘッドライトが照らした。それはどうやらタクシーのものだったようで、ドアの開閉音と共に玲奈と山井が言い合っている声が聞こえてきた。 「あいつは、お前にそんな酷いことをさせようとしてたのか? そんな事をさせておいて、まだ好きだとか言ってるのはなんでなんだ? お前もなんでまだ好きでいられるんだ? 俺にはそれがわかんねーよ」  確かに、薫の言うとおりだ。  二人の秘め事を流出させられた上、野球を辞めなくてはならなくなってしまうほどの目に遭い、その上犯罪に加担させられている。そんな相手を、それでも好きでいると言うのは、僕にも理解出来ない。  巻き込まれた事件の全てに、よほどそうせざるを得ない事情があったのか、何があっても好きでいるような特別さが山井にはあるのか……。聞いても理解出来なさそうな気がするけれど、知りたくもある。 「山井はもともと卑怯者だっただろ? そんなやつを好きになった時点で俺には意味が分かんなかったんだぞ。それなのに……」 「……その優ちゃんの噂が全部嘘だったとしたら、お前どう思う?」 「はあ? ……山井に関する噂が全部嘘だって言いたいのか?」  驚く薫に、杉井くんは観念したように頷いた。まるで叱られた子供のように背中を丸め、目に涙を浮かべている。そして、そこから涙滴が落ちるのに合わせるようにして、彼が感じていた無力感について教えてくれた。 「……そもそも、山井がいじめられてたのは、見た目が可愛くて嫉妬してた女子からのイジリが発端だ。どうもその子が俺を好きだったらしいんだけれど、俺はそれを知らなかった。俺はそれと関係ないところで山井を好きになった。その時は、何も問題なく普通に付き合ってたんだ。それが気に入らなくて、女子の間ではイジリが酷くなって行ってたらしい」  山井の女装姿に惹かれた杉井くんは、彼に純粋に惹かれていき、そのうちに付き合う事になった。いじめを主導していた野球部員たちには、彼らが付き合う事になってからは、それをやめる方向で彼が話をつけていたらしい。 「俺もその頃には部内で偉そうな態度をとるのを控えて、あいつらとちゃんと和解したつもりだったんだ。そうして優ちゃんを守ろうと思った。他の奴らもその頃にはもう優ちゃんイジリに飽きてたし、俺の提案を受け入れてくれたんだ。だから、そのまま全部解決すると思ってた」 「でも、じゃああの動画はなんだったんだ? 撮ったのは間違いなくお前らだろう?」 「それはそうだ。正直、あんな事をしなかったらこんな事にはならなかっただろうから、あれについての後悔で何度も死にたくなったよ」  杉井くんはそう言うと頭を抱えた。両腕の間からは、絶え間なく涙が溢れている。 「あの動画、俺が練習で使ってたデジカメで撮ってたんだ。それを優ちゃんが自分のスマホに移してたんだけど、それが晒された。だから、みんな優ちゃんが自分でそうしたんだって言ってただろう? でも、違うんだ。いくら俺たちが浮かれてたとしても、優ちゃんはあんなものを拡散させたいと思うほど変態じゃない。女装だって、そもそも俺がさせたんだし、優ちゃんは普通だった。冷静になった後からはそう思えた」 「……ちょっと待て。待てよ、杉井。それ大変な間違いじゃないか」  薫は驚きのあまり、そのまま呆然と立ち尽くしていた。僕と和葉は、薫がこれまで見せていた、山井への嫌悪の表情を思い出していた。彼は、山井に相棒を奪われたと思っている。その理由は、山井がハメ撮りを拡散させた事に起因していた。それなのに、その犯人が山井では無いとしたら……。薫は怒りの矛先を失う事になる。 「拡散させた犯人は、山井じゃなかったのか? お前、なんでそれを黙ってたんだ」  愕然としながらもどこか冷静さを失わず、薫は杉井くんを睨んだ。その目は、しっかりと正確に状況を把握しようとしている。その姿は、芯の強さを表していた。  自分が恨んでいた人物が濡れ衣を着せられていた可能性があって、それをこれまで知らされていなかったのだ。僕なら、激怒すると思う。  でも、薫は至って冷静だった。僕らの方が驚き過ぎてしまって、冷静ではいられなかった。 「ねえ、じゃあ誰がそんなことしたの? 山井じゃ無いって言い切れるってことは、犯人がわかってるんじゃないの?」  僕は思わず杉井くんの腕を掴んだ。これが本当なら、山井は被害者のはずだ。それなのに、これまでずっと気持ちが悪くて卑怯なやつだと言われ続けている。  よく知りもせずその評価を当然のように思っていた自分たちの短慮さに、恥ずかしくなってしまった。 「あの動画を拡散した犯人は、俺を好きだった女子だったんだ。それは三年になる頃にその子の友達が教えてくれた。よく考えたら、優ちゃんは最初から自分じゃ無いって言ってた。でも、俺はそれを信じることが出来なくて……。野球に集中しようとして嫌がられてたのもあって、俺に野球辞めさせようとした優ちゃんの暴走だって、思い込んじまったんだよ」 「そんな……。思い込みで山井が悪者になってたってこと? それ酷くない?」  僕は自分のことを棚に上げて、杉井くんを責めた。彼はそれを甘んじて受け入れようとしている。何も言わずに、僕らの批判の声を黙って聞いていた。ちょうどその時だった。僕の部屋のドアに、乾いた音が鳴り響いた。玲奈たちがついたようだ。 「ど、どうぞ」  中途半端な情報を仕入れたまま、僕らは山井を迎え入れる事になる。開いたドアの向こうに、翔也に抱えられた山井とそれに寄り添う玲奈がいた。 「優ちゃん……」  杉井くんの声に、山井が振り向く。そして、涙に濡れた杉井くんを睨みつけたかと思うと、翔也の肩から抜け出して和葉の方へと走った。そのまま和葉の胸へと飛び込んでいく。それを見て、杉井くんはショックを受けていた。 「……いらっしゃい、山井。玲奈と翔也も、ありがとう」  僕が三人に笑いかけると、山井はふんと鼻を鳴らした。玲奈は心配そうに山井を見ていて、翔也は狼狽えている和葉に目を向けている。  僕は、その和葉にしがみついている山井の腕を掴み、思い切り引っ張って引き剥がした。 「ごめん、山井。悪いんだけど、あっち行ってくれる?」  僕は、山井にそう声をかけると、杉井くんの方へと彼を突き飛ばした。そして、 「代用品なんか手に入れたってダメなんだよ」  と言い、空いた和葉の胸の中へと滑り込む。杉井に抱き止められた山井は、そこから逃れようとして彼の胸を叩いた。 「は、離して!」  しかし、それは大した抵抗にならずに終わるだろう。だって、僕は知っているもの。大好きな人の腕の中に包まれて、平気でいられるはずがない。  代用品を求めてまで焦がれていた人の本物の香りの中に落とされて、愛しさが込み上げない訳が無いんだ。 「ダメだよ、誤魔化そうとしても上手く行かないんだから。君は杉井くんと一緒にいたいんでしょ? それを邪魔されて、杉井くんが信じてくれなくて悔しかったんでしょ? でも嫌いになれないんでしょ?」 「朋樹、優ちゃんと杉井くんが付き合ってたことを知ってるの?」  玲奈が驚いたように僕に言う。そうだと頷くと、翔也と顔を見合わせて頷いていた。 「じゃあ、優ちゃんが簡単に杉井くんを許せないのも知ってるんでしょう? 杉井くんが優ちゃんを信じてくれてたら、こんなにややこしいことは起きなかったんだよ?」 「うん、分かってる。でもさ、山井がもともと嘘ばっかりつくって噂があったんなら、信じられなくても仕方がないんじゃないの? そういう噂が嘘だって知ったのが後になってからなら、騙されても仕方が無いんじゃない?」  そう言うと、玲奈は悲しそうに笑った。 「でもさ、付き合ってたら大体どんな人かは分かるんじゃないの? 朋樹だって、和葉が優ちゃんと仲良くしてる写真を見ても、自分を好きでいてくれるって信じたんじゃないの?」  そう言って、僕に縋った。でも、それは間違っている。僕は和葉を信じられなくて悩んだし、そのせいで薫も傷つけた。そんなに強く信じられるほど、僕は強くない。  きっと杉井くんもそうだったんだろう。僕らはまだ子供だ。どれほど信じたいと思っていても、周りの言うことを全て跳ね除けてまで自分を信じられるほど強くはない。 「んなわけねーだろ。こいつらだって、しっかり別れの危機を迎えてたよ。俺が間に入ったからそうならなかっただけだ。杉井と山井だって、誰かが間に入ってくれれば、こんなに拗れたりしなかっただろうな。なあ、杉井。俺がそうしてやれば良かったな。そこまで気が回らなくてごめん」  薫はそういうと、杉井くんに頭を下げた。 「僕、貴良に信じて欲しかった」  山井がポツリとそう零す。その姿は、僕らが知っている自分勝手な山井優とは少し違っているように見えた。 「でも、何度僕じゃないって言っても信じてくれなかった。そして、僕を置いていなくなったんだ。あの時の僕の気持ちが分かる? 残された僕は、女装とハメ撮りの癖がある変態だって思われた。毎日色んな嫌がらせを受けて、死にたくなったよ。だから全部捨てようと思って転校したんだ。でも、貴良を好きな気持ちだけはどうしても捨てられなくて、ずっと苦しかった。ねえ、貴良。その時の僕の気持ち、貴良に分かる?」  そう言う山井の頬を、きらりと光の筋が走った。杉井くんの目をまっすぐに見て、心のうちを伝えようとしている。それは、僕らがこれまで見たことがないくらいに、真摯で直向きな姿だった。僕らはそれを、黙って見守る事にした。 「何よりも女装が辞められなくなって、すごく困ったんだ。だからここにしよう、ここでやり直そうって思った。うちの学校って制服の選択が自由でしょ? 僕が女子の制服を着ても、学校は全く咎めないんだ。だからなんとか高校生活をやり直そうと思った。貴良のいない寂しさを、アイドルを推してやり過ごしてた。その僕の前に、その人そっくりの樋野くんが表れて……そりゃ好きになるでしょ? しかも近づいたら貴良と同じ匂いがしたんだ。気がついたら狂ったように追いかけ回してた。樋口くんがいるからやめようって思っても、どうしてもダメだったんだ。貴良と同じ匂いがするから、貴良の代わりに愛して欲しいって思っちゃって……」 「やっぱり君は杉井くんが好きなんだよね?」  僕がそう尋ねると、山井は何度も力強く頷いた。頷きながら段々号泣し始めて、メイクがぐちゃぐちゃに崩れていく。杉井くんは、それをそっと優しく拭ってあげていた。 「そうだよ! 今でも貴良のことは大好き! でも、もう何もなかった事にして元に戻るなんて出来ない。貴良がいない間に樋野くんにしたことを思うと、もう普通に恋愛なんて出来ない。貴良だって、僕の事を好きじゃないんだし、望むだけ辛いんだ」  そう言うと、張り詰めた糸が切れてしまったのか、小さな子供が泣くようにわあわあと大きな声を上げて泣き始めた。 「ごめん、樋口くんごめんなさい。君の好きな人を奪おうとした。みんなに認められてるのにうまく隠してもらってもいて、二人で愛し合ってて、それが羨ましくて仕方がなかったんだ。酷いことばっかりしてごめんなさい。自分じゃ止められなかったんだ……」  わあわあと泣き叫ぶ背中を玲奈が優しく撫でていた。玲奈は山井と特に仲良くしている。きっと彼の本当の姿を、誰よりも知っていたのだろう。そして、僕のこともずっと気にかけてくれていた。間に挟まれて辛い思いをしていただろうに、いつもみんなのことを思ってくれていたんだろう。彼女の懐の深さを分かっていなかった自分に、僕はまた少し落胆してしまった。 「ねえ、山井。君は和葉を杉井くんの代わりに追いかけてただけでしょ? 和葉から盗んだものは、杉井くんと同じ香りがするから欲しかっただけでしょ? だって、君は和葉自身を欲しがったことは一度も無いもんね。それなら、ただずっと杉井くんが好きだっただけじゃない。まっすぐぶつかれなかったことはカッコ悪いし、卑怯なやり口は褒められたもんじゃないよ? だけど、もうそんなこと言ってる場合じゃないよ。素直になろう。もう嘘はつけないでしょ? 抱きしめられて嘘がつけるほど、君は器用じゃないはずだよ」  杉井くんは僕のその言葉を聞くと、山井をギュッと抱きしめた。彼は一瞬抵抗しようとしたが、再び立ち上った香りを嗅いだことで、その力を失ってしまったようだ。  目の当たりにした本物の香り、求めていた肌の記憶。それが完全に引き摺り出されてしまうと、喜びに泣き崩れた。 「ほらね、抱きしめられたら、素直になるしか出来なくなるよね。分かるよ、僕もそうだったから。どんなに酷いことを言われたって、好きな人が目の前にいてその腕に閉じ込められたら幸せしか感じられないもん。いいんじゃないの、それで。他の人にその面影を求めて代用するくらいなら、周りの言うことなんて全部無視して、二人で幸せにしてればいいと思うよ。これからは、ずっと二人でいればいいんだよ。我慢して変な方向に向かうのはやめてね。僕ら、かなり迷惑したんだから」  そう言って人差し指を振ると、山井はクスッと笑った。そして、 「この間殴られた時も思ったんだけど、お前なんか変わったよね。今までずっと樋野くんの後ろに隠れてただけだったのに」  という。僕はそれを聞いて、声を上げて笑った。 「いや、実は僕は昔からこんな感じなんだよ。少し猫を被ってただけなんだ。それに、変わってたとしてもいいじゃない。人は変わるもんだよ。本当に大切な部分が変わってなければ、他はどうでもいいよ。大事なものがなんなのかよく考えて、それを見失わないようにしてればいいと思うよ」  そう言って、和葉の背に手を回した。  和葉は僕のその言葉を聞いて微笑むと、僕を優しく包み込んでくれた。そして、とても甘くて長い素敵なキスをしてくれる。今の僕らは、一番大切にしなくてはならないことを知っている。だから、何も恥ずかしいとは思わなくなっていた。  どんなに自分が傷ついたとしても、自分が愛している人を信じることをやめてはいけない。その思いを二人で分かち合う。幸せになるには、それしか方法はないんだ。

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