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第1章:異世界へ 第1話②
久しぶりに食べた分厚いステーキ肉は何とも美味だった。族長の家庭とはいえ、贅沢をすることはない。狩りで得た物は全て皆で均等に分ける。そうしないと、不平等感を持ってしまう者もいる。
その日の狩りについて意気揚々と話す兄たちを見ながら、セイルはニコニコと笑みを浮かべながら相槌を打っていた。兄は話し上手だ。その時の臨場感なども交えながら面白可笑しく語ってくれる。ついつい聞き入ってしまう。狩りに行けないセイルにとっては、この団らんの時間は一日の楽しみの一つでもあった。
皆、デザートまで綺麗に平らげ、その日一日を無事に過ごせたことを神に感謝する。体を清めてから寝床に入れば、あっという間に夢の中へと誘われる。
そして、また日が昇り、新しい一日の始まりだ。
今日も父と兄は他のエルフたちを伴って狩りへと向かう。その背を見送り、家の中へと戻った。
まずは昨日採取した薬草を天日で干して乾燥させなければならない。空は雲一つない青空だ。風もほとんどなく、良い一日を予感させてくれる。
「セイル、おはよう」
庭先で薬草を種類ごとに分けて並べていると、少し高めの声が聞こえてきた。振り返ると、幼馴染が手を振りながらこちらへと向かっている。セイルはその場で立ち上がり、少女の方へと手を振り返した。
「おはよう、ミア。調子はどう?」
「とても良いわよ。今なら里の周りを十周くらい走り回れそうなくらい」
「あはは、絶対やめてね? ノアが卒倒しちゃうから」
鼻息荒くガッツポーズをする幼馴染に対し、苦笑しながらも少し強めに窘める。そんなことをさせたとあらば、帰ってきた兄から二人揃ってこっぴどく叱られそうだ。
ミアことミアナ・シルフィリスはセイルたちの幼馴染の一人である。今は里の外に放浪の旅へと出ているセイランと共に幼い頃はよく四人で野山を駆け回って遊んでいた。
約三十年前、セイルたちの母が亡くなった後、セイランは外の世界へと興味を持ち、旅に出て行ってしまった。それからはミアナとノアリスと三人でいることが多かったが、ミアナがノアリスに思いを寄せていることは知っていた。そのため、彼女の背中を後押ししたのはセイルだった。
ノアリスもミアナのことを悪く思っていないことは何となく悟っていた。だから、ちょっと恋のキューピッド役をすれば、あっという間に二人の仲はくっついた。今思い出しても、あの時は何とも良い仕事をしたと自負している。もちろん、おおっぴらにはしないが。
今、ミアナは腹の中にノアリスの子供を授かっている。子供のできにくいエルフ族にしてはとても早いことだった。両親が数百年も懐妊できなかったことを考えれば、猶更だ。
まだ二人は籍を入れていないが、近く婚姻の儀も控えている。そうすれば、ノアリスが族長の座を継ぐのも近いだろう。エルフの中では家庭を持った時点で一人前という認識が強いから。
既に七百歳を超える父はいつでも引退の準備は出来ていると話している。主に酒の席での話ではあるが、あながち冗談でもないだろう。父も三百歳の手前くらいから族長を務めている。もう四百年以上もエルフ族を率いてきたのだから、後進に譲りたいという気持ちもあるのだろう。そのためにノアリスに厳しく指導してきたことも知っている。
「今って薬草の天日干し? 手伝うわよ」
「良いの? ありがとう。じゃあ、こっちのザルに入ってるのを選別して並べていってもらっても良い?」
「もちろん! その前に、セイルの髪、お団子にしてあげるわね。そのままじゃあ毛先に土がついちゃうでしょう?」
セイルを屈ませると、ミアナは慣れた手つきでセイルの一纏めにした長髪をお団子ヘアに変えてくれる。
「はい、これで完成。まったく、セイルは綺麗なんだから、もっと身だしなみに気を遣いなさいよ。こんなに長くて綺麗なブロンドで、しかもお母さん譲りの里一番の美貌だってのに、全然おしゃれとかもしないし。勿体ないわよ」
「別に女性じゃないから必要ないよ。それに興味もないし」
いつもお決まりのやり取りをした後、ミアナは盛大な溜め息を吐いてからザルを持ち上げた。一つ一つ丁寧に庭に直置きしたすのこの上へと薬草を並べていく。二人で楽しく話しながら作業していると、庭の近くを通りかかった老齢の男性たちから野次が飛んできた。
「おお、嫌だ嫌だ。忌み子など見てしまった」
「これはいかん。目が腐り落ちてしまう。はよぅ家へ帰って消毒せにゃあ」
カラカラと高らかに笑いながら二人の老エルフたちはセイルたちの家の前を通り過ぎて行った。その後ろ姿を見ながらミアナが仁王立ちする。
「何よ、あれ。本っ当に年寄りたちって嫌味たらしいわね」
「よしなよ。聞こえちゃうから」
「良いのよ。本当は面と向かって言い返してやりたいところをこっちだって我慢してんだから」
「揉めごと起こすと、ノアにも迷惑かかっちゃうから。ね?」
ノアリスの名前を出せばミアナは渋々と言った表情ながら選別作業へと戻る。
ミアナはとても優しい子だ。いつもは穏やかだし、ミアナ自身が何を言われても気にはしないが、人のためなら怒る。こういうところは昔から変わらない。
その心根を映し出したようにミアナの容姿は里の中でも群を抜いて美しかった。ふんわりとした腰近くまであるキャラメル色のウェーブパーマは絹のように柔らかい。それに、少しタレ目がかった大きな瞳も彼女の柔和な雰囲気を表している。お転婆の盛りにできたそばかすすらも彼女の可愛らしさを引き立たせている。ほっそりとした体躯で、今はまだ妊娠初期のため腹は目立たず、強く抱き締めたら折れてしまいそうだ。
ガタイが良く、精悍で顔立ちの整ったノアリスと並ぶと身内のひいき目ではなく本当にお似合いだ。早く二人の婚姻の儀の姿を見たいし、生まれて来る赤ちゃんが待ち遠しくて仕方がない。
「セイルはもっと怒っても良いと思うわよ。いくら年上だからって、言って良いことと悪いことがあるもの」
「怒ると疲れるしさ。それに、よくも飽きずに言えるなって、ある意味感心するよ」
「もしかしたら、もう痴呆入ってるかもしれないわね」
「それこそ言い過ぎだよ」
クスクスと笑い合う。
優しい家族や幼馴染に囲まれ、穏やかに暮らす日々。好奇心をくすぐるような刺激という意味では少ないが、とても大切な日常だ。だから、誰に何を言われようと気にならない。
そうは考えるようにしていても、心の奥底に汚泥のように投げつけられた言葉が蓄積しているのも事実だった。
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