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第1章:異世界へ 第2話①

「セイラン! お帰り!! 元気だった!?」 「ただいま、セイル。そっちこそ元気してたか?」  久しぶりに里へと戻って来た幼馴染の姿を見つけてセイルは空色の瞳を輝かせた。  約三十年ぶりに里へ帰って来た幼馴染は、すっかり旅慣れた格好をしていた。マントはボロボロだし、無精髭すら生やしている。元気が取り柄の少年だったのに、今やその相貌は熟年の旅人然としていた。  昔の馴染みでハグをすれば、服や体臭は相応に臭う。 「長旅、本当にお疲れ様。うん、まずは風呂だね」 「あー、やっぱりかぁ」  ワハハと豪快に笑う幼馴染からすぐに体を離す。セイランは里を出て行商人をしていた両親を人間に殺され、天涯孤独の身であった。だから、空き家となっている自宅には寄らずにすぐセイルたちの元へと立ち寄ってくれたのだろう。  背負っていた大荷物を玄関先へと下ろさせると、すぐに風呂の用意をする。洗い物があれば引き受けるからと言って衣類などを受け取ると、それらからも相当な刺激臭が漂っていた。これは念入りに洗わねばと苦笑しながらセイランを浴室へと案内した。  セイランが入浴している間に預かった衣類を泡立てた洗濯水へと付け置きし、茶と軽食の用意をする。しばらくすれば、狩りに出ている兄たちが戻って来る。その時に一緒に食事をしようと考えた。それまでの間、繋ぎ程度の小腹を満たせれば十分だろう。  軽く摘まめるサンドイッチを作り終え、とっておきの薬草茶を用意する。希少価値の高い薬草で、なかなか自生していない。それに栽培も難しい。しかし、効果は高く、疲労回復などに大いに役立つ。  付け置きしていた衣類を洗っていると、セイランが風呂から上がって来た。無精髭は綺麗に剃られ、伸び放題だった髪も後ろで一纏めにされているため、懐かしい顔がやっと拝めた。  旅に出る前はもっと幼い顔立ちだったというのに、たったの三十年ですっかり精悍な顔つきへと成長を遂げていた。それだけでも彼の旅路の過酷さなどを垣間見える。  もっと丸みを帯びていた頬はスッキリとした細面になっているし、長旅の疲れからだろうか、少しこけて見える。  しかし、褐色の優しい瞳は相変わらずだ。特に笑った時に細められる様子は昔と何ら変わらない。  以前はまだ可愛さを残した少年という印象だったが、今や成年と言われても遜色ないくらいには大人びて見える。  軽食と薬草茶を出して洗濯へと戻る。しばらく頑固な汚れと格闘し、やっと汚れと匂いが取れた。庭の物干し竿へと掛けて室内へと戻ると、サンドイッチも薬草茶も全て綺麗に平らげられていた。おかわり用にと多めに作り、ポットに入れておいた分も全て飲み干されている。残りかす一つなく綺麗に食べてもらえて嬉しくなった。 「まだいる? もうすぐノアたちも帰って来るだろうから、その時に色々と作ろうかなとは思ってるんだけど」 「今はいいよ。十分だ。……あっ、それじゃあ、茶だけ貰おうかな。これ、すげぇ力が湧く」 「そりゃ、特別製だからね」  皿を片付け、代わりにポットの中へと茶を満たす。スーッと鼻に抜ける清涼な香りは嗅ぐだけでも効果がある気がする。  二人で茶を飲みながらセイランの冒険譚に花を咲かせた。変幻の術を得意とするセイランは人間社会でもバレることはなかったようでホッとする。里では体験できないような経験をたくさんしてきたようで、その顔付きは旅に出る前よりも凛々しく生き生きとしている。一人で里を出ると聞いた時にはみんなで心配したが、無事に怪我なく五体満足で戻って来てくれて何よりだ。  夕方近くになり、ノアリスたちが帰って来た。兄たちもセイランを見ると、抱き合って生還を喜んだ。  久しぶりに四人揃って食べる夕食は大いに盛り上がった。たったの三十年と言えど、話は尽きない。食事を食べ終えると、父が秘蔵の酒を出してきた。父以外は全員未成年だが、今晩ばかりは無礼講らしい。  甕を空ける勢いで飲む三人に対し、セイルはちびちびと舐める程度で嗜んだ。酒に弱い体質で、それでも顔は真っ赤になる。肌が白い分、酔いが顔に出やすいのだ。 「やっと戻って来てくれて嬉しいが、どうして帰る気になったんだ? その話ぶりだと、もっといろんな所に行ってきそうだが」 「実は、おかしな噂を聞いて、飛んで帰ってきたんだよ」  兄が言った一言に、それまでの陽気な雰囲気から一転し、セイランが真面目な顔になる。家に来てからずっと楽し気な様子だったため、あまりの変わりぶりにセイルはスッと酔いが醒める。  歓談を楽しんでいた兄や父たちも同様だった。ヒリつくような緊張感が居間に漂う。 「里の結界が、弱まっているんじゃないかって」  セイランの一言に一同は驚愕した。驚きすぎて誰も口を開けない。  里の結界というのは、エルフ族を守るために昔、神によって作られたものだった。  エルフは他の民族よりも力で劣るだけでなく、子供も生まれにくい。  更には、エルフにとって都合の悪い伝承まで流れているのだ。 『エルフの生き血を飲めば、どんなに酷い傷や不治の病すらもたちどころに治り、心臓を喰らわば不老長寿を得ることができる』  傷なんて魔法で治せるし、誰かを殺してまで生き延びたいという者などいない。母も、そんな畜生のようなことをしてまで延命するなら、そのまま死んだ方がマシだと拒否していた。  他のエルフたちだって誰も信じていない。他種族の間で流布されている迷信のようなものだ。 「……………どうして、そんなことを?」 「隣国に行った時、酒場で聞いたんだ。エルフを見た者がいるって。酔ったフリして詳しく聞いてみたら、確かに里から近い地名を聞いたもんだからな」  深刻な表情をするセイランの顔に冗談めいたものは見当たらない。つまり、全てが真実なのだろう。  ただ、あまりにも里にとっては不都合すぎる真実だった。 「セイラン、帰って来て早々、急で悪いんだが、私たちと一緒に明日、結界の礎が無事か確かめに行ってはもらえないか?」 「もちろんです。そのために俺も戻って来たんですから」  眉をしかめ、苦渋の表情をする父の低い声にセイランは快諾してくれた。長旅の疲れもあるだろうに、そんなことは一切見せることなく。 「まだ宵の口だが、今日はここまでにしよう。明日に備えてすぐに休んでくれ」 「父様、どちらへ?」 「明日に向けて、調査隊を組む。皆にこの事実を早急に知らせねばならないしな」  出かけようとする父の背中を追い、玄関先で引き留めた。 「父様、私も……私も明日、連れて行って下さい!」 「しかし、結界までの道のりは険しいぞ?」 「大丈夫です。私だって、身のこなしは軽い方ですから」  キッと父の目を見つめる。  狩りでは足手まといになってしまうが、調査だけならそこまで迷惑をかけないだろう。伊達に山道を毎日駆けてはいない。  それに、こんな話を聞いては気になって何も手に着かない。悶々と皆の帰りを待つくらいなら、共に行って確かめた方が良い。 「……明日はいつも以上に早く出る。きちんと準備をしておきなさい」 「はいっ!」  しばしの沈黙の後、諦めたように父が頷いた。  あまり自分の意見を主張はしないが、一度決めたら頑固な性分を父はよく知っている。説得するのは至難の技だと悟ったのだろう。  父を見送り、客間を整えてセイランを案内する。さすがに酔いと疲労がピークに来たのか、セイランは床に入るとすぐに寝息を立て始めた。  眠る顔付きにはまだ若干の幼さが垣間見える。それを見て何だかホッとした。自分たちを置いて先に大人になってしまったようで少し寂しかったから。  ノアリスやミアナも懐妊が分かってからグッと大人びた気がする。嬉しい反面、一人だけ取り残されているような気持ちを受けていた。  だから、こんな風に年相応の顔を見られて良かった。取り残されてるわけではないと思える。  居間を片付け、セイルも早々に床へと入った。明日は久しぶりに兄たちと山へ入る。皆に心配をかけないようにしなければと心に誓いながら眠りに落ちた。

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