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第1章:異世界へ 第2話②
翌日、主に狩りへと向かうメンバーの中から数人を抜擢して調査隊が組まれた。もっと大人数で行くと思っていたのだが、予想よりも少なくて驚く。
余計な不安を里の者たちに抱かせたくないとして、父が配慮した結果だった。
他の者たちはいつも通り狩りへと向かい、調査隊だけが別のルートで山へと入って行く。結界の場所はエルフ族の中でも機密事項の一つであり、全てのエルフが知っている訳ではない。そのため、今日は新たな狩り場の探索という名目で調査隊は里を出た。
普段はいないセイルが同行していることから訝しがる者もいたが、「新しい薬草を見つけに行くため」と言えば、皆納得してくれた。
獣道すらない雑草の生い茂った場所を歩き続ける約三日。途中、野宿をしながら辿り着いた場所にあったのは、見たことのない文字の書かれた石碑であった。人間の世界の書物も里にはあるが、こんな画数の多い文字は見たことがない。
「何、これ……。何て書いてあるんだろう?」
「それは誰にも分からん。一説によれば、異界の者の文字だと言われているからな」
「異界?」
族長であり、セイルたちの父・ザルエルはゆっくりと語り始めた。
その昔、まだ結界が設けられていなかった頃。エルフ族は絶滅の危機に瀕していた。敵は人間だけでない。ゴブリンやオーク、更にはオーガなど、エルフを食す種族はこの世に数多存在する。そのため、山奥に住処を持っていたエルフの元へもそれらの種族は迫って来ていた。
そこで、エルフ族は神に懇願した。種族を守るための何かしらの手立てを喫してくれと。
エルフ族に太古の昔から伝わる舞を奉納し、生贄を神の棲むと言われる湖へと捧げると、ある日、異界から神の遣いがやって来て結界を築いてくれたのだという。そのどちらも大きく月が満ちた夜だったそうだ。
その神の遣いは役目を終えるとすぐに戻ってしまったそうだが、その結界の礎となっているのがセイルたちの目の前にある石碑であった。
「でも、これ……」
石碑を指さしながら父の顔を見れば、苦渋に満ちた表情を浮かべている。
それは父だけではなかった。兄も、他の調査隊の面々も同様だった。
石碑は既に風化し、朽ち果てる寸前であった。表面にはいくつも亀裂が走り、少しでも触ればボロッと欠けてしまいそうだ。この状態で石碑に何かできるはずもない。
来た道を戻る調査隊の空気は重苦しかった。
誰もが分かっていたのだ。このままにしておけば、そう長くは結界がもたないということを。
里へと戻り、ザルエルは博識と名高い長老たちを集会所へと集めた。調査の結果を伝えれば、誰もが呆気に取られた顔をした後、ワナワナと震え出した。
「やはり、双子など産まれたからだ!」
「ああ、恐ろしい……祟りだ……祟りに違いない!」
「あの時、セイルを殺しておかなかったからこんなことに……」
「また四千年前の悪夢が繰り返されるのだ……我々は、怯えて暮らす日々へと戻るのだ……」
顔を真っ赤にさせながら憤慨する者、蒼白になりながら頭を抱えつ者、虚空を見つめてブツブツと呟く者など、反応は様々だった。
「黙らんかぁ!! これ以上、我が息子たちのことを愚弄する者は誰一人として許さん!!」
父の声が集会所中へと響き渡る。びりびりと空気が震え、その場にいた誰もが驚愕と畏怖で背筋を伸ばし、黙り込んだ。
「今はそんな下らない迷信などどうでも良いだろうがっ!」
「しかし、セイランの言うことが正しければ、近くまで人間たちは入り込んでいるのだろう? その石碑が崩れ落ちれば、大挙して襲って来ないとも言い切れんぞ?」
招集した長老の中で最も年嵩のいった男性エルフが口を挟んだ。その言葉にザルエルは閉口する。
「そうだ、そうだ! 老いたわしらはまだしも、わしらの息子や孫たちもが危険に晒されるなぞ、到底許されることじゃない!」
「これは、もう一度儀式を執り行うべきだ!」
「そうだ! そうだ!!」
長老たちはほとんど満場一致で「儀式を」と繰り返す。
ザルエルはフゥと大きく一息吐いた後、長老たちを睨みつけた。
「では、儀式をするとして、誰が生贄になる」
シンと静まり返る。
しかし、俯きながらもねめつけるように長老たちの目がセイルへと向けられているのを感じ取っていた。
その視線を集めるセイルと言えば、心のつかえが取れたようにスッキリとしていた。
どうして自分が生まれてきたのか、常に考えていた。兄がいればエルフ族は迷うことなどない。むしろ、ノアリスならばもっとみんなを上手くまとめてくれるだろう。
誰しもが大切な家族の命を失いたくなどない。そんなのはセイルも同様だった。
やっと、その意味を見出せた気がする。自分が他の誰よりも舞を得意とする理由も。
「……今すぐ朽ち果てるという訳ではない。あの様子なら、あと十年はもつだろう。その間に別の方法を探せば良い」
「たった十年!?」
「そんなすぐに……!」
またしても長老らから悲嘆の声が上がる。
長命なエルフにとって、十年などという月日はあっという間だ。人間で言えば一年程度の猶予である。
「今日はこれでお開きとするが、この話は他言無用だ。あまり広めて不安を煽りたくない」
父の一声でその場はお開きとなった。長老らは落胆しながら出て行くも、最後にセイルを睨みつけることだけは皆忘れなかった。
「気にすることはない。長老たちなら何か策を知っている者もいるかと思っていたが、期待外れだったな」
「そうだよ、セイル。まだ十年ある。俺もセイランと一緒に他の方法を探し出すし。あんな老いぼれ連中の言うことなんて気にすんな!」
「任せとけって! また旅先でいくらでも情報仕入れてきてやるよ!」
セイランからバシバシと背を叩かれる。励まそうとしてくれていることが分かり、苦笑した。
「大丈夫だよ。あんなの、いつものことだから。全然気にしないし。それより、疲れたから早く帰ろう? 風呂に入ってサッパリして、ゆっくりごはん食べようよ」
大きく伸びを一つして、笑顔で三人を集会所から押し出した。
夕刻前には帰って来たというのに、辺りはすっかり暗くなっていた。満月の明かりが四人を照らす。
自宅へと戻り、風呂を沸かして順番に入ると、少し遅めとなった夕食を囲んだ。手の込んだものはできなかったが、それでも、いつもよりも心を込めて調理した。
「セイルも一緒に食べないのか?」
「私はみんなが食べている間にゆっくりお風呂に浸かってくるよ。ほら、みんなよりも綺麗好きだから。さっぱりしてからいただくし、先に休んでて」
三人分の料理をテーブルへと運び、エプロンを脱いだ。浴槽へと入れば、爽やかな香草の香りが湯から立ち込める。先に入った誰かが入れてくれていたのだろう。この香りはリラックス効果のある草で、嫌なことがあった時などにはこぞって入れていた。
セイランたちへと告げた通り、ゆっくりと入浴し、居間へと戻る。そこには、スヤスヤと眠る三人の姿があった。
「みんな、ごめんね」
三人に掛布団をかけ、綺麗に食べ尽くされた料理の皿を片付ける。
調理の際に混ぜた薬草がきちんと効果を発揮してくれていてホッとする。僅かな量でも効き目バッチリの睡眠作用のある薬草を使用したのだ。全部平らげてあるのであれば、明日の朝まで誰も目覚めることはないだろう。
母の遺品の中から舞の衣装を拝借する。白く美しい布で織られ、光を受けると生地がキラキラと光って見える特注品だ。舞を得意とした母がここぞという時に着ていた衣装で、父もこの衣装を身に着けて舞った母の美しさを何度も語り聞かせてくれた。
「母様、やっと……私も役目を果たせることができそうです」
装束を抱き締める。虫除けとしてタンスの中に入れていた薬草の香りが移り、スッと鼻を抜ける清涼な香りに包まれる。
郷愁に駆られている暇はない。さっさと行動に移さねば。
装束を抱えたまま湖畔へと向けて駆け出した。今宵は満月。うっすらと照らしてくれる月明かりに助けられ、立ち止まることなく全速力で目的地へと向かう。
湖面にはポッカリと月が映っていた。もう間もなく満月は最も高い位置へと向かおうかという頃合いだ。急がねばと服を脱ぎ捨て、舞装束を身に纏う。男性エルフの中でも小柄なセイルは母親とそこまで体格が変わらない。この装束を身に着けるのは初めてだったが、まるで自分のためにあつらえたかのようにしっくりと馴染んだ。
月明かりに照らされながら舞い始める。
(ごめんね、ノア、父様、セイラン、それに、ミアも……)
大切な人たちの顔が脳裏に浮かび、目頭が熱くなる。
言えば絶対に止められると分かっている。だから誰にも言わずに来た。
今ほど舞が踊れて良かったと思うことはなかった。一人で舞い、一人で身を投げられる。
本来ならば神楽を奏でるべきところではあるだろうが、そこは簡略化させてもらう。
代わりとばかりに衣擦れの音が響く。
ひとしきり舞い終わり、湖へと向けて膝をつく。満月はちょうど頂点の高さへと昇っていた。
湖面に映る月を見つめて、ゴクリと生唾を飲み込んだ。膝が震えてしまっている。
「動け、動けっ」
握り拳を作り、ダンダンと腿を打って己を叱咤する。
ここに来て、死への恐怖が勝ってしまった。
しかし、震えたままの脚は動かせず、その場にくずおれてしまう。
「……………死にたくない……死にたく、ないよぉ……ッ!」
ワッとその場で泣き出した。
ボロボロと涙が零れて止まらない。
頭の中によぎったのは、ミアナの懐妊が分かった時だった。話を聞いた時には大いに喜び、涙した。泣いたのは、あの日以来かもしれない。
「この子の名前は是非ともセイルが付けて」とはにかんで笑ってくれたミアナの幸せそうな笑顔が思い返される。肩を抱く兄も優しく頷いていた。
そんな大役は務められないと最初は固辞したが、二人は全く引き下がらなかった。仲人役になってくれたセイルに是非ともお願いしたいと懇願されては断りきれず、承諾したのはつい最近のことだ。まだ八か月近くあるからゆっくり考えようと思い、思案したまま考えついてはいない。
「ごめん……ミア……ノア……」
生まれて来る子供を誰よりも楽しみにしている二人の顔を思い出し、拳を握り締めた。
こんなことをしている場合じゃない。グズグズしていれば月が傾いてしまう。
すっくと立ちあがり、手の甲で涙をぬぐった。
もう、迷わない。大切な人たちを守るために。
そして、これから先の未来を守るために。
少し湖から距離を取り、深呼吸を一つ。ギュッと目を瞑り、ゆっくりと見開いたセイルの瞳はもう揺るがなかった。
前を見据え、一つ頷く。
一気に走り出した。湖すれすれで大きくジャンプする。弧を描いて湖の中へと飛び込んだ。
「ガボッ」
口の中に勢いよく水が入り込んできた。水を吸った装束は重く、湖の底へと引き込まれるように沈んでいく。
もしかしたら、浮くかもしれないなんて淡い期待がないわけではなかった。
しかし、自重以上にグイグイと何かに引っ張られるように水底へと向けて落ちていく。
沈みながら海面の方を見れば、まあるい月の光が薄っすらと見える。
(ああ、綺麗だなぁ……)
うっとりとしながら徐々に暗くなっていく湖面を見つめていた。
(母様、今、向かいますね)
優しかった母のことを思い出し、苦しいながらも口角が上がる。
死ぬのは怖いが、大好きな母の元へ行けることだけが幸いだ。
「まだ早いわよ」と怒られてはしまいそうだが。
脳に酸素が行き届かなくなり、頭がぼんやりとしてくる。このまま瞳を閉じてしまえば楽になれそうだとすっかり月明かりの届かなくなった暗闇の中で瞼を閉じかけた時だった。
水底の方に光が見える。先ほど、足元の方に見えた月明かりとそっくりだった。
(なん……だろう……)
光はどんどんと大きくなる。これが何か分からないままでは気になって死にきれない。
装束が張り付いて身動きのとりづらい中ではあるが、脚を動かしてその光の方へと向けて泳いで行く。
「プハッ!!」
水面へと顔を出した。咳き込みながらゼェゼェと息をする。肺に空気が満ち、やっと意識がクリアになり始めた。
「私……生き、てる……?」
呆然としながら頭上を見上げる。そこにはぽっかり浮かんだ満月。
湖に身を投げ、命を落としたはずなのに。
もしや、ここが死後の世界というものだろうか。
「ああ? 何だ、てめぇ」
突然背後から聞こえてきた低い声に驚きながら振り向いた。そこには、倉庫を背景にして大柄な男性が数人立っていた。
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