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第2章:人間世界 第5話

「これ、よろしかったら召し上がってください」 「きんぴらごぼう? 僕、大好きなんだよね~。良いの? ありがとう!」  タッパーを渡すと、悠真はキラキラと目を輝かせながらタッパーの中を見つめていた。  そして、一方のセイルはと言えば、この料理が『きんぴらごぼう』という名前なのかと知る。  この世界に来てからひと月程が経過したが、未だにこの国の文字の習熟には手間取っている。なぜかこの国では文字が三種類もあり、しかも漢字に至っては何千とあるのだ。とてもじゃないが全ての文字が習得できるはずもない。  しかも、漢字の厄介なところは、文脈などによって読み方が変わるのだ。そんな物が何千とあっては到底覚えきれる気がしない。  そして、それに加えてアルファベットと呼ばれる他国の文字も頻繁に使われている。  更に、梨々花が最近推しているという歌手が韓国と呼ばれる海を隔てた隣の国の男性アイドルグループらしく、その国では別の文字が使用されていた。もはや、セイルにとっては理解不能な記号の集まりばかりだ。  それでも、動画や写真を見れば大抵のことは何とか理解できる。それに、調味料の名前など必要最低限の文字くらいは読めるようになった。文字をきちんと習得できていないため、まだ検索機能などは使えないが、梨々花たちに必要なものはアプリを入れてもらったため、特に不自由は感じない。  商店街の人たちがせっかく好意でくれる野菜などの食材を無駄にするのは忍びないため、こうして作ってみては慎吾や悠真、それに梨々花たちにおすそ分けと称して渡している。皆喜んで貰ってくれるし、タッパーを返してくれる時には味の感想なども伝えてくれるため、嫌がられてはいないと思っている。作る時に味見はしているが、もしかしたらエルフの舌と日本人たちの味覚が違うとも限らない。 「もちろん、お口に合えばなんですが」 「合うに決まってんじゃ~~~~~ん!!!!!! こないだの煮物も味しみしみで激ウマだったし、その前の……」  頬を紅潮させながら鼻息荒く語り始める悠真はなかなか止まらない。こうなったらしばらくはニコニコしながら相槌を打つ役に徹することとなる。悠真にはたまにあることだった。この状態のことを梨々花は「出たぁ、オタクの早口……」とげんなりしながら言っている。  本当は、鷹臣にも食べてもらえたら嬉しい。同じ屋根の下で共に暮らしているというのに、鷹臣と食事を一緒にしたことがない。セイルにとっては家族と共に過ごす団らんの時間というものを大切にしてきたため、マンションで一人きりの時間は寂しく思う。今の鷹臣は遅くに帰ってきて、セックスをするだけの間柄だ。遅くまで性欲処理に付き合わされるため、鷹臣よりも体力のないセイルが起きる頃にはもういなくなっている。  せっかく上手くできたって、出来立てを食べてくれる人がいないのは味気ない。母親が病死してからというもの、家族間の繋がりはより一層深いものとなっていた。そのため、家族で食卓を囲む団らんに慣れすぎていた。 「私……嫌われているんですかね……」 「え? 何が?」 「あっ、いや……」  思わず口に出てしまった言葉にハッとする。不思議そうな顔で見つめてくる悠真に対し、どうしようかと少し悩む。 「むむっ! これはお悩みとみた!! ほらほら、お兄さんに打ち明けてごらん? こう見えて、結構人生経験豊かなタイプだからさぁ!」  悠真が社務所の戸棚の中から桐箱を取り出した。「感謝」と書かれた熨斗紙を外し、蓋を開ければ中には色とりどりの落雁が入っている。悠真はソファの間にあるローテーブルの上に桐箱のまま置き、新しく茶を淹れてくれた。いつも飲んでいるものとは違い、上客が来た時にだけ出す玉露だ。 「セイルちゃんは今やうちの神社にはなくてはならない人だから! 何でも憂いがあったら早めに解決しよう」  悠真の向かいのソファに腰かけるよう促される。すっかりお悩み相談モードになっている悠真に苦笑を浮かべながらも、せっかくの機会なので相談してみることにした。どうせ、一人で抱えていたところで解決なんてするはずもない。それなら、幼馴染だという悠真に聞いてもらった方が良い。  セックスしている間柄だということだけは隠して、鷹臣との間に抱いている不安を吐露する。口にするだけで頭の中がこんがらがり、漠然としていた悩みが整理されていくようだった。  拙いながらも胸の中に抱く一通りの不安を吐き出すと、悠真はクイッと眼鏡のブリッジを持ち上げた後、茶を飲み干した。 「うん、全っ然気にすることないね!」  ズバリと言い切られる。向かいに座るセイルはキョトンと目を点にするばかりだ。 「鷹臣は昔っから分かりにくいところがある奴なんだけど、本当に一緒にいるのすら嫌ならすぐにセイルちゃんのこと追い出してるから。もう一か月っしょ? 文句も言われずにいるんなら、全然嫌ってなんかいないし、それどころか多分相当好意的だと思うよ? あいつ、基本的に我慢とかできないタイプだし。無理してまで一緒になんているはずないから」 「はあ、そういうものなんですかね……」 「僕が言うんだから間違いない」  悠真は何度も深く頷いている。自信漲る様子を見ていると、その言葉を信じても良いのだろうという気がしてくる。そもそも、二人は幼い頃から一緒にいる仲なのだから、ポッと出のセイルとは過ごしてきた年月が違う。互いに相手のことも熟知し合っているだろう。 「だから、セイルちゃんは何も気にしないで普通にしてれば良いと思うよ。むしろ、ちょっとくらい好きにしてるくらいで調度良いって! ……あ、これ滅茶苦茶うまい! ちょっと、セイルちゃんも食べてみなよ!」  ニコニコしながら落雁を頬張る悠真の勧めに応じて花の形をしたクリーム色の落雁を口に含む。ホロホロと溶ける上品な甘みに頬が緩んだ。 「本当は僕がガツンと言ってやれば良いんだけど、あいつ基本的に誰の言うことも聞かないしなぁ……。ごめんね、セイルちゃん。聞くだけであんまり役立てなくて……」 「いえ、そんなことはありません! 聞いてもらえてスッキリしました。ずっとモヤモヤしてたことなんで」  目に見えてしょぼくれる悠真に対し、両手を振る。一人で抱え込んでいても解決なんてできないことなのだ。こうして親身になってくれるだけでもありがたい。 「あっ、そうだ! 私ちょっとやってみたいことがあるんですけど」 「何何? 何でも言って! できることならどんどんやってこうよ」 「実は昔から薬草とかハーブとかに興味があって、この境内、とても広いから空いているスペースで栽培できないかなって。それで、お守りに焚き染められたら少しでも癒しの効果に繋がるんじゃないかなぁって考えていたんです」  これは思い付きではなく、以前から温めていたことだった。以前、梨々花たちと茶をしていた時、女子は良い香りの物が好きということや、子供だって結構ストレスが溜まるという話になった。年齢や性別に関係なく、様々な悩みなどはどんな人でも付きまとうものだ。特に、神社に神頼みに来るような人たちはそれが顕著だと思う。  少しだけでもそんな心労を癒すことはできないかと考えていた時に思いついたのがハーブだった。薬草の力は里にいる時からよく分かっている。神社に参拝しに来た人たちが境内で癒されるだけでなく、自宅に戻ってから少しでも苦痛から和らげられれば良いと思っての提案だった。 「それ、すごく良いと思う! 確か、ハーブ自体も浄化や除霊とかに繋がるようなものがあるし、香りって癒しに繋がるもんね」  肯定してくれたことにホッとする。里での信仰については分かっているものの、まだまだこの国の神々のことに関しては無知な部分も多い。  神社で働き始める前、他の神に尽くすというのは大丈夫なのだろうかと心配をしたが、悠真は「大丈夫じゃない?」とあっさり返答していた。  この国には「八百万の神」という信仰があり、どんなものにも神様が存在するのだという。神様は一人じゃないし、きちんと敬意を表して接するのであれば問題ないだろうという見解だった。  むしろ、無神論者なども多いという話を聞き、更に驚いた。信仰をすることが当たり前の中で育ってきたセイルにとっては寝耳に水の考えだ。  悠真と共に社務所を出て、広い境内の中でハーブを栽培するのに適した場所を探す。社務所の裏手に日当たりも良く、あまり人が入って来られない場所があったため、その一画を栽培場所にすることにした。 「あ~、人手もあるし、いつかはここもちゃんと整理整頓しなきゃなぁ……」  大きな土蔵を前にして、悠真がボリボリと頭をかいた。 「この中って何があるんですか?」 「昔っから神社に伝わるものだよ。……まあ、今は物置小屋扱いなんだけどね」  重厚な扉には大きな蝶番が嵌められている。年代物らしく、ところどころが錆びていた。 「今年は空梅雨だし、本当なら夏前に古書の虫干しとかもしないといけないんだけど、ついつい後回しで良っか~って思ってたら毎年やらないんだよねぇ」  悠真が社務所の中へと鍵を取りに行く。じゃらじゃらと何本もの鍵のついた束の中からあれでもない、これでもないと言いながら試していく。五本目でやっと開いた土蔵の中は埃臭く、じめじめしていた。  背の高い蔵の中にはぎっしりと物が置かれている。祭事に使うのだろう物からいつのか分からない古書の類までが山積みとなっているが、その多くは埃を被っていた。 「う~ん、この辺のとか、結構な年代物だから本当はもうちょっとちゃんと扱わなきゃなんないんだけど……って、わぁ~!!」 「悠真さん!!」  土蔵の奥の壁にぎっしりと並んだ書物を見上げていた悠真だったが、本を取り出そうとした途端、上の方に陳列されていた古書が雪崩を起こして悠真の頭上へと降って来た。悠真は咄嗟に頭を守ったため、怪我をするようなことはなかったが、周囲には大量の本が散らばってしまっている。 「大丈夫ですか?」 「うん、平気、平気~。いや~ビックリした……って、おわっ! こんな本うちにあったんだ!!」  埃塗れになってしまった服をパンパンと叩きながら立ち上がった悠真が落ちてきた本を手に取った。そして食い入るように表紙を見つめた後、パラパラと中を開く。 「もしかしたら、セイルちゃんが探していた方法っていうの、見つかるかもしんない……?」 「ええっ!? 本当ですか!?」 「うん。この本、ずーっと古くから伝わる神社の歴史とかが書かれているものみたいだ。僕も知らないこといっぱい書かれてるし、読み解いていったら何か発見できるかも!」  ドキドキと胸が高鳴る。このひと月間、全くと言って良いほど何の進展もなかった。進捗に焦りがあったのは否めない。その停滞していた状況が打破できるかもしれないのだ。期待するなという方が無理というもの。  この世界と里での時間の経ち方が同じとも限らない。結界の消滅まで残りたったの十年しかないのだ。のんびりしている暇などない。  悠真と共に落ちてきた本をまとめて抱えると、土蔵を出た。達筆な文字で書かれており、悠真でなければ読むことさえ叶わなそうだ。本当ならば少しでも解読の役に立ちたいが、文字すら満足に読めないセイルでは難しい。 「あの、どうかよろしくお願いします」  抱えていた本を社務所へと運び、深々と悠真へと頭を下げる。ソファに座ってパラパラと本を開いていた悠真だったが、セイルへと向かい、歯を見せてニッコリと笑いかけてくれた。 「当然だよ! むしろ、今まで何も解決策を見いだせてなかったのはこっちの方なんだから。ごめんね」  ブンブンと首を横に振る。悠真は好意で付き合ってくれているのだ。非などあるはずもない。  二人で何往復かしてそれらしき本を全て社務所へと運び入れた。明日からはこれらの本に虫が湧かないよう天日干しをすると共に、悠真は一冊ずつ読み解いていかねばならない。  テーブルの上にぎっしり詰まれた本の山。どれも分厚く、すぐに読めるようなものではなさそうだ。しかも文字ばかりで挿絵などもない。  悠真曰く、神社のことに加え、この地域の古い伝承などに関しても書かれている物が多いらしい。よくもここまで集めたものだと感心しきりだった。 「僕も頑張って読むけど、ちょっと時間かかるかも。ごめんね、すぐにでも見つけ出してあげたいのは山々なんだけどさ」 「いえ、私なんて何もお手伝いできませんから……」 「何言ってんのさ! セイルちゃんはこの神社になくてはならない大切な存在なんだから! そんなことは考えなくて良いんだって。むしろ、ちょっと仕事とか任せちゃうことも増えてくるかもしれないけど、大丈夫かな?」 「もちろんです! 私にできることであれば何でも!!」 「ありがとう。助かるよ。……あっ、あと、僕、甘い物大好きだから、何かお菓子とか今度作ってきてくれたら嬉しいかも。頭使うには糖分必須だし、セイルちゃんの作る物は何でも美味しいから、やる気出るんだけどな~」  チラチラと期待するような視線を寄せられ、何度も頷いた。  自分にできることなら何だってしたい。  未来のためにできることなら、それこそ命すらも惜しまないのだから。

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