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第3章:夏祭り 第1話②

 祭りが近づいてくると、にわかに忙しくなってきた。駐車場には櫓を立て、盆踊りもするらしい。業者が来て建て込みに追われている姿を見ながらワクワクした気持ちを隠せなかった。  当日になると、朝から出店の準備などが始まり、参道などはいつも以上に活気があった。普段通りに仕事をこなし、定時になったから上がろうとすると、悠真に母屋の方へと連れて行かれる。連れて来られた和室の中には、既に浴衣に身を包んだ梨々花と結月がいた。 「わぁ! お二方とも、とても似合っていらっしゃいますね!」  濃い桃色の浴衣を着た梨々花は髪もアップにして派手な髪飾りなどで彩っている。結月の方はアクセサリーらしいものなどを付けていないが、その分だけパステルイエローの浴衣が映えていた。 「おっし! それじゃあ、セイぽよ夏祭り大作戦、いきますかー!!」 「悠真さん、この桐ダンスの中の浴衣、どれ使っても良いんですよね?」 「もちろん! お袋がいなくなってから着る人もいなくてまさにタンスの肥やしになっちゃってたから、使ってくれた方が服もお袋も喜ぶよ」 「へ?」  意味が分からずキョトンとしているセイルをよそに、桐ダンスの中から大量の浴衣を取り出し、梨々花と結月はセイルへとあてていく。悠真は祭りの準備があるからと言い残し、三人を置いて出て行ってしまった。  いくつもの浴衣を羽織らされた結果、薄い水色の浴衣で最終的には落ち着いた。結月が手際良く着付けていく。あっという間に着付けが完了すると、今度は梨々花がセイルの髪を結い上げていく。三十分もしない内に着付けとヘアセットは完了していた。 「あの、これ、どういうことですか?」 「だって、セイぽよ、盆踊りしたことないんでしょ?」 「そうです。日本では、夏には盆踊りをしなければ警察に捕まってしまうという法律があるんです」 「ええええええ!!!!」  今日一番の驚きに見舞われる。そんな法律が存在するなんて知らなかった。里にはそもそも法律というものがない。共に生活をする上でのルールは当然あるが、日本のように法律として明確に区分されている訳ではない。悩めば里長や長老らが集まって話し合い、善悪を決める。  日本の法律は多岐に渡ると聞いている。細かい条例なども含めると全部を記憶するのは至難の技だ。セイルの行動範囲の中で必要なことだけ覚えておけば良いだろうと、あまり気にしたことがなかった。普通の生活を送っている分には問題がないと聞いていたから。  二人に手を引かれ、縁側へと向かえば草履が三つ並んでいた。赤と黄色の鼻緒の草履は紺色の鼻緒の草履よりも小さいから、梨々花たちのだろう。 「セイぽよ、早く早く~!!」  急かされるように草履を履いた。履き慣れた靴と違い、裸足に鼻緒は何だか不思議な感じがする。しかし、夕刻になって暑さが少し和らいだとはいえ、素足を出せるのは風が通って快適だ。 「ユマちん、できたよ~」  拝殿で神事の準備をしていた悠真の元へと連れて行かれる。そこには、いつの間に来ていたのか鷹臣の姿もあった。 「鷹臣さん……」 「あ? お前、浴衣着せられてたのか?」  頭の先から足元まで交互に見られて気恥ずかしくなる。 「やっぱり……似合ってません、かね?」 「誰もそんなこと言ってねーだろ」  ムスッとした顔をする鷹臣に、機嫌を損ねてしまったかと萎縮する。そんな二人の元に仲裁するように悠真が割り込んできた。 「はいはい、せっかくのお祭りなんだから、むくれない! 梨々花ちゃん、結月ちゃん、ありがとね」 「このくらい、お手の物ですよ」 「ユマちん、ご褒美分かってんよねー?」 「もちろんだって。僕の名前言えば、全部無料になるように屋台の人たちには言ってあるから、いくらでも食べておいで~」 「わ~い! やったー!!」 「あっ、あと、またSNSで神社の宣伝、よろしくね~」 「りょ~! セイぽよ、後で一緒に盆踊り踊ろうね~」  喜び勇んで二人は拝殿から飛び出して行った。桃色と黄色の背中を見ながら唖然としていたが、ポンと背後から悠真に肩を叩かれて我に返る。 「セイルちゃんも、今日は鷹臣とたっぷり遊んでおいで」 「鷹臣さんと、ですか?」 「はぁ? 何で俺がこいつと」  明らかに嫌そうな鷹臣の声がしてしょんぼりする。一人で来ている人など見当たらないし、放り出されたところでどんな風に楽しむのが正解かなんて分からない。  それに、悠真の言葉には一瞬ドキリとした。鷹臣と共にどこかに出かけたことなんてない。外での鷹臣を見られる良い機会だと思ったのだ。家での鷹臣との違いを何か発見するかもしれない。そんな期待を一瞬でも抱いただけに、鷹臣の反応はショックだった。 「だって、セイルちゃん日本の祭りなんて初めてだろうし、こんな可愛い子が一人でフラフラしてたら危ないだろ? 神社の宣伝用に写真も撮ってもらわなきゃいけないし」 「別にそんなの俺じゃなくても良いだろが」 「僕は祭りの仕切りとかで忙しいからさ。じゃ、後は頼んだよ~」 「あっ、悠真さん……」  眼鏡を光らせ、悠真は人混みの中へと脱兎のごとく走って行く。拝殿にはセイルと鷹臣だけが残された。  チラリと鷹臣の方を振り向いた。相変わらずウンザリした顔をしているが、電子煙草を取り出し、吸おうとしたことでギョッとする。 「ちょ、神様の前ですよ! きちんと喫煙所で吸ってください!」 「ああ? 誰も見てねーだろうが」 「見てます! 私も見てますし、何より、神様の御前ですから!」  鷹臣の手を取り、拝殿を出る。日向神社の境内には明確に喫煙所とされるものは設置していない。仕方がないので、社務所の裏手にある土蔵の影まで連れてくることにした。  社務所の中の応接スペースであれば鷹臣が吸っているのを見たことがあるが、今日は防犯のために鍵をかけると言っていた。その鍵は悠真しか持っていないため、好きに使うことができない。  少し悩んだが、ここなら見つからないだろうと踏み、鷹臣を連れて来た。  誰か来ないかとヒヤヒヤしながら周囲を警戒するセイルとは対照的に、鷹臣の方はと言えば優雅に電子煙草をふかしている。早く吸い終わらないかとハラハラしているセイルなどお構いなしだ。 「祭り」 「へ?」  冷や汗をかきながらキョロキョロと辺りを見ていたセイルであったが、それまで何も言わなかった鷹臣が発した一言で間の抜けた声が出る。振り返れば、鷹臣は電子煙草を吸い終え、胸元のポケットへとしまうところだった。 「だから、祭りだっつってんだろ。行きてぇのか? 行きたくねぇのか?」 「い、行きたいです!!」  苛立ちを孕んだ声に、背筋がピンと伸びる。咄嗟に頭の中にあった言葉が何も考えずに出てしまった。  言ってしまってから後悔する。悠真とのやり取りの中で、鷹臣は嫌そうな顔をしていた。我が儘を言って、また機嫌を損ねたくはない。 「あっ、でも、鷹臣さんが嫌なら、もちろん、行かなくても……大丈夫、です……。浴衣も着られましたし、皆さんの楽しそうなお顔も拝見できましたので、十分思い出はできました」  着付けてくれた二人には申し訳ないが、セイルがこの世界に来たのは楽しむためではない。里を救うという使命の元にここへいるのだ。いかなる時であろうとも、それを忘れてはならない。未だ、何の成果も残せてはいないのだから。  苦笑を浮かべながら鷹臣へとお辞儀をする。残念に思いながらも、ここは我を押し通すべき場所ではない。  それでも、賑やかな喧噪が聞こえてくると後ろ髪が引かれる。ブンブンと首を横に振り、雑念を振り払った。 「えっと、もう家に戻りますね。鷹臣さんも帰りますか? まだ残られるのであれば、私だけ先に失礼させていただこうと思います」  スマートフォンを取り出し、通話履歴から神社までの送り迎えをしてくれている慎吾の連絡先を表示させる。今日は仕事の後に着付けなどをしていたため、少し待たせてしまっているかもしれない。  慎吾へと電話をかけようと通話ボタンをタップしようとした手を、鷹臣が止めた。 「行きてぇんだろ?」 「えっ、でも……」 「ったく、誰が行かねぇなんて言った。勝手に決めつけてんじゃねぇよ」 「あっ……」  スマートフォンを奪われ、電源ボタンをスワイプされる。画面が真っ黒になったスマホを手渡され、キョトンとした顔をしながら長身の鷹臣を見上げていた。 「かったりぃが、俺も今日はシャバ荒らす奴が出ねぇように見回んなきゃなんねぇんだよ。真柴の野郎も駆り出してるから待ってねぇ。どうしても帰りてぇってんなら別だが、祭りを見てぇってんなら、ついてくるくらいは許してやるよ」 「良いん、……ですか?」 「悪けりゃ言わねぇ。来んのか? 帰んのか? さっさと決め」 「行きます!! じゃ、なくて、行かせてください!!」  鷹臣の言葉に食い込むように挙手しながら詰め寄った。  胸の内がドキドキして収まらない。諦めかけていたことが叶う時というのは、こんなに心がはやるものなのか。キラキラと期待の眼差しを向けていると、鷹臣は少し引き気味になりながらセイルの肩を押した。 「分かった。ちけぇよ」  盛大に眉間に皺を寄せつつも、少し鷹臣の頬が紅潮して見えるのは気のせいだろうか。もしかしたら、あまり態度には出さないが、鷹臣も祭りを楽しみにしていたのかもしれない。夕刻に差し掛かりかけた夕日のせいかもしれないが。  それでも何だって良い。また新しい体験ができる。好奇心で胸が疼いて堪らない。 「ほら、行くんならさっさと行くぞ」 「はいっ!!」  背筋をピシリと伸ばして鷹臣の広い背中について行く。カランコロンと鳴るセイルの下駄の音が辺りに響いた。

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