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第4章:抗争 第1話①

 祭りも終わり、九月に入ると徐々に朝晩は涼しく感じる日も増えてくるようになった。残暑厳しく、日中は未だうだるような暑さの日も多いが、それでも夕刻になる頃には少しだけだが心地良い風が吹く。境内の掃き掃除が随分と楽になった。季節の移ろいというものがない里と違い、こうした変化というのは面白いと感じる。  近頃、鷹臣の帰宅が少し遅い日が増えてきた。既にセイルが寝入っている頃に帰宅する時は性交に興じなくて済むため、それに関しては嬉しいものの、顔色に疲労の色が見えることが多く、心配になる。 「大丈夫ですかねぇ、鷹臣さん……」  ブクブクとポンプの音だけが響く部屋の中、水槽を眺めながらポツリと呟いた。  祭りの日に獲ってもらった金魚たちは、普通に水槽の中に入れておいてはすぐに死んでしまうらしく、鷹臣の命を受けた慎吾が喜々として水槽と酸素を送るポンプなど一式を買ってきてくれた。鷹臣がいない時でも二匹がいてくれることにより随分と気持ちが楽になったが、それでも「寂しい」という思いがなくなるわけではない。  水槽の中を悠々と泳ぐ金魚を見ながら、考え事に耽る。  祭りの日から、何となく鷹臣を見ると胸がドキドキするような気がしてならない。  最初は何かの病気かとも思い、悠真に相談した。しかし、「いや~、良い! 非常に良い傾向だよ!!」と興奮した様子で背中を叩かれるだけだった。  それならばと、今度は梨々花たちに話してみれば、「セイぽよ、趣味悪くね?」と怪訝な顔をされるばかりで、答えに関しては何も与えて貰えなかった。  時計を見れば、既に時刻は日付を跨ごうとする頃合いだった。今日もまた鷹臣は遅くなりそうだ。ガッカリしながら窓辺へと向かう。相変わらずキラキラと煌く夜景が足元に広がっていた。  初めてこの部屋に来た時はあまりの美しさに見惚れたものだが、今はあまり心を動かされない。見慣れてしまったからかもしれないが、そうではない気もする。  あの時と違うことが何かを考えると、この景色を眺めているのがセイル一人きりであるということだった。そう思うだけで胸がチリリと痛む。  夜景を見つめながら手首を撫でた。あの日、梨々花たちとお揃いと喜んだブレスレットは翌日になると光を失っていた。壊してしまったかと焦ったが、そうではなかった。元々、一晩程度しか光はもたないらしい。高価でもなく、光らなくなれば捨てる。そんな物らしいが、どうしても捨てられなかった。今はハンカチを収納しているケースの奥底にと保管している。何となく、誰にも見つからない場所にこっそりしまっておきたかった。  カチャリと玄関の扉の開く小さな音が聞こえてきた。ハッとして玄関先へと向かう。 「お帰りなさい。今日は少しだけ早かったんですね」 「ああ? 別に早くもねぇだろ。てめぇ、まだ起きてたのかよ。さっさと寝ろ。明日も悠真んとこ行くんだろうが」  言われて時計を見れば、いつの間にか午前二時近くなっていた。考えごとをしていたらいつの間にやら二時間近くも経ってしまっていたようだ。パシパシと頬を叩く。いくら何でもぼんやりしすぎだ。 「あの、最近お戻りが遅くなることが多いようですが、何かあったんですか?」  鷹臣からネクタイとスーツの上着を受け取りながら問いかけた。頭上から見下ろされるような視線を寄せられ、少しだけ気後れする。  しかし、これはずっと聞きたかったことだ。上着を抱き込みながら毅然とした態度で臨む。 「テメェには関係ねぇことだ」 「確かにそうかもしれません。でも、心配なんです。鷹臣さんのこと。あんまり休まれる時間も多くなさそうですし、お体の調子とか。お顔も少し、痩せたような気もしますし」  ソッと手を伸ばしてみた。頬骨の所に指を添える。やっぱり少しこけたように感じる。絶対に気のせいなんかじゃない。 「残暑のせいだろ。あっちぃんだからひっつくな」  パシリと手を払いのけられてしまった。もうこの時間になれば、大分涼しくなっているはずだ。その証拠に、夏場はスーツの上着を持って行きはしても、着てはいなかった。それが、着用しながら戻ってきている。それに、最近は未明にもなると気温が二十度をきることも少なくない。  胸がズキズキと痛む。病床に伏した母も、最初は痩せ始めたことが気付くきっかけだった。母自身はセイルたちが心配する前から自覚症状があったに違いない。それでも、家族には何も知らせなかった。  もっと先に言ってくれていたら、何かしらの対応策があったかもしれないのに。  もっと早く気付けていれば、母は若くして亡くなることなどなかったかもしれないのに。  母のことを思い出しては、後悔ばかりしか出て来ない。  だからこそ、もう身近な人でそんな人を出したくない。 「心配くらい、させてください」  鷹臣の背にポスリと額を当てる。鷹臣の動きが止まった。  本当は、ハグして包み込んであげたい気持ちでいっぱいだった。ただ、セイルの手の中には今、鷹臣のスーツのジャケットがある。それに、この国ではあまり誰彼構わずハグをするような文化はない。抱き合うということは、大切にしている人との愛情表現の一環であり、闇雲にするものではないと教えられた。  しかし、そんなことを全て差し置いてでも、気持ちの上では抱き締めたかった。  何だか、鷹臣が遠い所に行ってしまうような気がしてならない。 「なんだ、最近ヤってねぇから、欲求不満ってか?」 「なっ……」  鷹臣が首だけで後ろを振り向きながらニヤニヤとしている。そんな気は微塵もなかったため、その言葉に一気に羞恥が湧き上がった。 「何言ってるんですか! 私はただ、本当に鷹臣さんのお体の心配をしていただけで……」 「テメェに心配されるようなヤワな造りなんかしてねーよ。それより、ヤってほしいってんなら、一発くらい抜いてやるか? もちろん、お誘いするくらいなら、ちゃんと準備してあんだよな?」 「馬鹿なこと言ってないで、サッサとシャワー浴びて寝て下さい! どうせ、明日だって早いんでしょ!?」  グイグイと背中を押して浴室へと鷹臣を連れて行く。浴室の扉を閉めると、しばらくした後、中から水音が聞こえてくる。扉を背にしながらズリズリとその場に腰を下ろした。  手の中の鷹臣のジャケットから、彼の香水の香りがする。嗅いでる内に何故だか顔が火照って来る。  同時に、腰の奥が小さく疼くような気がする。フルフルと頭を振った。鷹臣の言うように欲求不満なはずなどない。  しかし、確かにここ数週間、ご無沙汰であることも事実ではある。 「私、どうしちゃったんでしょうか……」  胸の中のウズウズが止まらない。頬を紅潮させたまま、鷹臣のジャケットに顔を埋めた。鷹臣の香りと、彼の体温を感じて堪らなくなる。しばらくの間、その場で突っ伏していたが、いつの間にかシャワーを浴び終えた鷹臣から扉が開かないと文句を言われたことで我に返る。怪訝な顔をする鷹臣をよそに、皺になってしまったスーツをクリーニングに出さなければと焦るばかりだった。

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