24 / 45
第4章:抗争 第1話②
翌日、鷹臣はやはり朝早くから出かけて行ってしまった。一人ベッドに残されるのはよくあることだったが、やっぱり寂しい。
鷹臣のいた場所は既に冷たくなっている。セイルが深く寝入っている間に行ってしまっているが、一体何時間寝られているのか気になる。
金魚たちに餌をやりながら溜め息が止まらない。ここ最近は鷹臣とのセックスをしていない分、早く神社の仕事に行けるため、悠真からは喜ばれているが、セイルの内心としては複雑だ。
仕事をしている間は気が紛れるし、相変わらずセイルに会いに来てくれる人たちもたくさんいる。そういう人たちと話している時は楽しいし、少しでも何かの役に立てていると思える。しかし、少し暇ができるとやはり考え込んでしまう。
フルフルと首を振り、両頬を叩いた。ヒリヒリとする頬の痛み。少しだけ頭の中がスッキリした感じもする。
「ダメですね。何か最近考えごとばっかりしちゃって。気合が足りません!」
両手で握り拳を作り、気合を入れる。しかし、そんな掛け声も所詮は独り言に過ぎない。同調する者もおらず、相変わらず部屋の中にはブクブクとポンプの音だけが響いていた。
何だか一人空回りしているような気になってくる。急に恥ずかしくなり、テレビの電源を入れた。ポンプと自分の独り言以外の音が欲しかった。朝の情報番組をザッピングして最近お気に入りの料理コーナーを見ていると、「残暑を乗り切るスタミナごはん」というタイトルが聞こえてきた。昨夜、鷹臣と話していた時にも「残暑」という言葉が出てきたこともあり、映像を見ながら咄嗟にメモを取る。耳から聞く情報に関しては問題ないが、相変わらず文字の類はあまり理解できていない。食材や調理手順、調味料の目分量などを記していく。出来上がった料理や試食する出演者たちの笑顔を見ながら、その光景を鷹臣に当てはめてフフッと笑ってしまう。
まずは試作品を作ってみて、おいしければ今度は悠真や梨々花たちに食べてもらおう。大抵の場合は「美味しい」という感想しかもらえないが、それなら問題がないということだ。
「あっ、しまった! もうこんな時間!」
壁掛け時計の時刻が十時を示している。もう慎吾が迎えに来てくれている時間だ。テレビを消して急いで支度を整える。いつも慎吾の車が待ってくれている場所へと向かえば、既に見慣れたシルバーのベンツが停まっていた。
「すみません、遅くなりました!」
「珍しいっすね。セイルさんが遅れるの」
「ちょっと朝からボーッとしちゃってて」
「あ~、まだ日中はあっつい日続くから、遅れてきた夏バテじゃないっすかぁ? セイルさん住んでたとこ、夏とかないんっしょ? 夏場は耐えられても、少し落ち着いてきてから夏疲れとか出たんじゃないっすかぁ?」
「夏疲れ? って何ですか?」
「夏場は暑さ対策で気を張ってるから乗り越えられても、ちょっと涼しくなり始めたかな~? って頃に油断して、その疲れが一気にくるやつっすよ。気ぃつけてくださいね」
後部座席にセイルが乗ったのを確認して慎吾が車を出す。窓の外には見慣れてきた景色。高層ビル群やガラス張りのオフィス街が立ち並んでいる大通りを走った後、神社近くの商店街の街並みへと変わる。
いつも通りの光景。しかし、それは生まれ育った里の景色とは全く異なっている。
そして、少しばかり落胆する。
里の結界に関する有益な情報は未だに見つかっていない。悠真は時間が空けば土蔵から見つかった書物を読んではいるが、何も言ってこない。きっと、確信に至れるような情報が得られていないのだろう。あまり急かして申し訳ない顔をさせるのも心苦しかったし、「ごめんね」と言わせてしまうのが嫌だった。悠真は何も悪くない。それでも、優しい彼はそう言ってしまうだろう。
そして、セイル自身もその言葉を聞けば落ち込んでしまう。だから聞けずにいた。
セイルなりにいろんな人にそれとなく聞いてみるなどはしたものの、当然ながら誰からも結界に通じるような話は得られなかった。神社に来る人ならそういったことに詳しい人もいるかとも期待したが、そんなことはなく。今のところ、悠真や結月よりもその手の話に詳しい人に出会ったことはない。
何も成果を上げられていないことにもしょぼくれるし、徐々に焦りも込み上げて来る。十年などという月日はあっという間だ。人間にしてみれば長く感じるかもしれないが、エルフにとっては日々の生活を送っていればすぐに訪れる程度の時間。一年や二年など瞬く間に過ぎてしまう。
だからこそ、待っているばかりではダメなのだ。何かしらの行動をしなければ。
しかし、何をして良いかも分からない。気ばかりが焦り、何もすべきことが見つかっていない。
「……さん……セイルさんってば!」
「わぁっ!」
気付けば、後部座席の扉を開いた慎吾がセイルの肩を揺さぶっていた。パチパチと大きな瞳を瞬きさせて慎吾を見つめる。そんなセイルの姿を見て、ホッとしたように慎吾が表情を緩めた。
「大丈夫っすか? 途中から急に黙っちまったっすけど」
「あっ……すいません……」
神社裏手の関係者用駐車場に車は停まっていた。いつの間にか到着していたようだ。そんなことにも全く気付かないなんて、考え事に耽りすぎている。たまに陥ってしまう悪い癖だとは分かっているが、なかなか直しようがない。
「具合悪いんなら、病院行きますか? 組のお抱えの医者の所ならすぐにご案内できますけど」
「大丈夫です。つい考え事しちゃってて」
やんわりと慎吾の手を肩から外し、急いで車から降りる。今日も太陽は秋という季節を忘れてギラギラと照り付けている。車内との差から、手で軽く目元を覆った。そんな行動にも、慎吾は慌ててセイルの肩を掴んで支えてくれた。
「やっぱり! 本当は具合悪いんじゃないっすか!? 遅刻とか絶対しないのに遅れて来たし! 結構無茶とかしそうだから」
「本当に大丈夫ですって。外が思ったよりも眩しかったから」
「でも……」
少しだけ強引に慎吾の手を外し、お礼を言って社務所の方へと駆けて行く。これ以上心配をかけるのも申し訳ない。
社務所の中では、悠真がパソコンと睨めっこしながら帳簿をつけているところだった。挨拶をしながら入室してきたセイルへと顔を上げる。
「おはよ~、セイルちゃん! あれ? どしたの? そんな汗かいて」
「今朝ちょっと遅刻しそうになっちゃって、駐車場から走ってきたので」
「そんな急がなくても良いのに。本当は午後からなのを無理言って午前中から来てもらってるのはこっちの都合なんだからさ」
ハンカチで汗を拭きながら社務所内の掃除を始めようと箒を取りに行くも、すぐに悠真に呼び止められる。そのまま応接ソファに座るよう促され、気付けばローテーブルの上には冷茶と水ようかんが置かれていた。
「今日はわりかし暇だし、ちょっとゆっくりして汗引いてから作業始めよっか。ほら、昨日、商店街の金物屋さんのおばあちゃんがくれた水ようかんあるじゃん? あれ、すごく美味しかったから、セイルちゃんの分も冷やしておいたんだ。三時のおやつには随分早いけど、今日は十時のおやつにしよう?」
ちゃっかりと自分の分も用意していた悠真が水ようかんを頬張る。すぐに口角が上がり、頬を僅かに紅潮させていた。そんな悠真の姿を見て、セイルも水ようかんの皿を手に取る。透明感のある緑色をしたようかんがプルリと震えた。フォークで一口分掬うと、中には白あんが入っている。口へと運べば、なめらかで瑞々しい甘みが口の中に広がった。悠真同様に顔が綻ぶ。桐の箱に入っていた時点で高級感ある物だろうとは思っていたが、相当良い商品だと一口で分かった。
「すごい美味しいですね。ご相伴に預かってしまって良かったんですか?」
「良いに決まってるじゃ~ん! セイルちゃんにはいつも頑張ってもらってるし、うちだって高齢の親父と二人暮らしなんだから食べきれないしさ。後は梨々花ちゃんと結月ちゃんにあげれば十分でしょ」
パクパクと水ようかんを口にしていく悠真の手元の皿からはあっという間に水ようかんが姿を消していた。それを見ながらセイルも少しずつ食べ進めていく。
冷茶を啜っていると、授与所の方から声がする。お守りの購入者かと席を立とうとしたが、それを遮ったのは悠真だった。「僕は食べ終わったから」と言い残し、参拝客の相手をしてくれる悠真の背を見ながら小さくお辞儀をした。
「で、もしかしてセイルちゃん何かあったの?」
戻って来た悠真が茶のおかわりを淹れてくれる。その言葉にギクリとした。
諸々の考え事が顔に出ていただろうか。両手で頬を覆いながら目を泳がせる。ジッと見つめてくる悠真の瓶底眼鏡。瞳は見えずとも、見透かされそうな気がしてくる。
少し逡巡した後、肩を落としながら口を開いた。
「鷹臣さん、最近帰りが遅いことが多くて。それに、お疲れも大分溜まってるようなんです。でも、あんまり休まれないし、心配してもはぐらかされちゃって……」
結界への不安は隠し、鷹臣のことを話す。昨夜のことを思い出して目を伏せた。
手の中の冷茶の水面に映る顔。何とも情けなく見える。こんなに頼りないのでは、鷹臣と言えど、本音など語ってはくれないだろう。
「あ~……、鷹臣かぁ……。う~ん、確かに、今はちょぉっと忙しくしてる、かもねぇ……」
歯切れの悪い言葉。悠真は何か知っているのかもしれない。顔を上げて視線で教えてくれと訴えかける。
しばらく悠真は目を泳がせていたが、引かないセイルに根負けしたように溜め息を一つ吐いた。
「今、九条会にちょっかいかけてきてる組があるんだよね。この辺りの土地狙いっていうか。ただ、同じ東蓮會の二次団体だから、あんまりいざこざになってるとかは大事にしたくないっぽくてさ」
「でも、元々この辺りは鷹臣さんの組が仕切ってるんですよね? 同じ組織なのに、そんな横取りみたいなことってできるんですか?」
「余程のポカでもして組が傾いたり、諸事情とかで組が壊滅したりするとかない限りは基本的にないんだけど、ちょっと相手がそういうのを気にしないような組っていうのかなぁ。どっちかっていうと、そういうのを潰してのし上がってきたような奴らだからさぁ」
悠真は話しながら今度は棚の中からせんべいを出してきた。バリバリと音をさせながら食べている様を見ていると、何でもないことのようにも思えてくる。
しかし、話している内容としては穏やかとは言えるような話ではない。眉をハの字にさせて悠真を見つめていたが、彼は笑いながら顔の前で手を振っていた。
「セイルちゃんが心配することじゃないよ。九条会はしっかりした組だし、そんなポッと出みたいな組にやられるヤワな組織じゃないから。セイルちゃんだって、鷹臣が誰かに負けるようなのって想像できる?」
フルフルと首を横に振った。相手はあの鷹臣だ。相手がコテンパンにされるのならば容易に想像できるが、鷹臣が負けるような姿は全く想像つかない。
「それに、鷹臣には、ここを手放せない理由があるから。だから、あいつは絶対に誰にも負けないよ」
「理由……?」
キョトンとしながら首を傾けた。
「そう。あいつはさ、待ってんだよ。ここで。ずーっとさ」
「待つ……って……誰を、ですか?」
心臓が凍り付くような心地だった。
あの鷹臣が待つような人なんて、いたとは思ってもいなかった。いつでも何でも思うがままにしているような人だ。待たせることはあったとしても、待つようなタイプの人だとは思えない。そんなことをすれば絶対零度の機嫌で怒りそうなものだ。
その前に、鷹臣が誰かを待ち続けているということがショックだった。悠真の口調なら、随分と長い間待ち続けているのだろう。
その人だけを想い。
胸が痛かった。ズキズキと抉られるような思いがする。息すらも満足にできる気がしない。
「ちょ、セイルちゃん、大丈夫!? とんでもない顔色してるけど! 言っとくけど、恋人とかそんなんじゃないからね!? あいつが待ってるの! 鷹臣のお母さんだから!」
「鷹臣さんの……お母、さん……?」
スゥッと酸素が気道を通るような気がする。ドキドキと跳ねていた心臓が落ち着き始める。
「そう! あいつ、ずっと高校時代にいなくなった母親を待ってんだよ」
それから悠真は鷹臣の過去について話し始めた。
鷹臣の母親は元々、水商売で生計を立てていた女性で、父親は誰だか分からないらしい。そんな背景から、小さい頃にはからかってくるような子供もいたそうだが、全て返り討ちにしていたという。そんな話には鷹臣らしいと思わず笑ってしまった。
しかし、鷹臣が高校を卒業した日、忽然と姿を消したのだという。
「鷹臣も別に進学するわけじゃなかったから、別に学費とか生活費の心配はなかったけど、それでもたった一人の肉親がいなくなれば、そりゃ荒れるよね。元々の素行も良い方じゃなかったからさぁ、まあ、そっちの道に行くってのも分からない訳じゃないけど。それに、鷹臣自身はそっちの才覚もあったから、天職かもしれないしね。鷹臣のお母さんも頼れるような人は全くいなかったみたいでさぁ。だから、鷹臣にとってはいなくなったお母さんがひょっこり帰って来るのをずっとここで待ってんだよ。だから、この場所だけは絶対に誰にも譲らない。そのお陰で、こーんな都心の一等地にあるのに、うちの神社も貧乏なのに地上げとか変な奴らに狙われずに済んでるんだけどね~」
そこまで話すと、悠真は手慰みのように弄っていたせんべいを食べきった。残っていた冷茶も飲み干し、立ち上がる。
「さて、休憩時間はここまでにしようか。…あっ、この話、僕から聞いたってのは鷹臣には内緒にしといてね。勝手に喋ったって怒られちゃうからさ」
踵を返してパソコンへと向かおうとする悠真の袖を咄嗟に掴んだ。悠真が振り返る。
「ん? どした?」
「どうして鷹臣さんはお母さんのこと探しに行かないんですか?」
今の鷹臣であれば、興信所や部下を使うなりして探すことは可能なはずだ。それなのに、ずっと待ち続けているなんて不思議で仕方がなかった。
未だソファに座ったままのセイルを見下ろしながら、悠真が困ったように笑んだ。
「多分だけど、怖いんじゃないかな、あいつ。真実を知るのが」
「怖いって……鷹臣さんが、ですか?」
「腕っぷしも強いし、地位だってある。でもさ、だからと言って、深層心理までも全てが強いっていう訳じゃない。あいつはずっと、満たされてないんだよ。だから、多分一歩が踏み出せない。仕事になれば、何だってできるの奴なのにね」
ポンポンと頭を撫でられる。小首を傾げながら悠真を見つめていたが、ハの字に曲げられていた悠真の眉が穏やかさを取り戻した。
「だからさ、セイルちゃんに期待してるんだ。鷹臣のこと、よろしくね。僕も、まだセイルちゃんに嬉しい報告ができるような成果上げられてないけど、頑張るからさ」
スルリとセイルの手から裾を引き抜き、悠真はパソコンへと戻って行く。その背がそれ以上は語らないと言っているように見えて、何も言えなかった。
ともだちにシェアしよう!

