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第4章:抗争 第2話②
「お出かけ……です、か?」
「お前が嫌だっていうんなら、別に無理にとは言わないがな」
「全ッ然! 嫌とかありません!!」
思わず立ち上がってしまった。一人興奮しているようで恥ずかしくなる。赤面しながらダイニングの椅子に座り直した。
「でも、突然どうしたんですか? 最近、お休みなんて全然なかったのに」
「だからだろ。たまには休ませろ」
「その通りですけど、それなら猶更お家でゆっくりしなくて大丈夫ですか?」
ギロリと睨まれる。もう三か月近く共に生活しているが、こんな風に凄まれることは多くないため、身が竦む思いがする。
「……テメェが嫌だって言うなら、別に無理強いするわけじゃねぇよ」
「全然そんなんじゃないんですってば! 鷹臣さんのお体のことを考えて言っただけで、私はどこか連れて行ってもらえるならすごく嬉しいです」
大仰に手を振れば、鷹臣はそんなセイルを一瞥した後、黙々とカレーを食べ進める。何だか一人で興奮しているような気がしてきて、少しだけ恥ずかしくなってくる。赤面しながら黙ってカレーを口の中へと運んでいると、全く会話がない。基本的に鷹臣との間ではセイルが話さなければ会話はほとんど成立しない。カチャカチャという食器の音と常に部屋の中に低く響く金魚たちのポンプの音だけが聞こえてくる。
「ごっそさん。また少し出る」
「えっ!? またですか!?」
空になった皿はそのままに席を立った鷹臣にセイルは目をまん丸にして凝視した。いくら今日は帰宅が早かったとはいえ、もう既に時刻は午後八時を回っている。風呂にも入ったし、今晩はもうゆっくりできるのだろうと安心していた。
ダイニングを出て行ってしまった鷹臣を追いかける。Yシャツへと着替える背を見ながら、一人しょんぼりとしていた。
「どうしてもまた行かなきゃならないんですか?」
「まあな。てめぇが無事なのも分かったし、ぶっ倒れてるとかじゃなければそれで良い」
「でも、本当にたまには早く帰って休まれるのも大切だと思います。それこそ、鷹臣さんの方が倒れちゃいますよ」
「俺がちょっとやそっとで倒れるようなヤワな男に見えるか?」
「見えないですけどぉ……」
そこまで言うと鷹臣はジャケットを羽織り、扉の横にいたセイルの傍を通り抜けていく。
「ああ、そうだ。お前、これ付けてろ」
鷹臣がジャケットの内ポケットに手を入れ、セイルの掌の上へと置いた。そこには小さな空色の石が付いたブレスレットが載せられている。
「これは……?」
「祭りの時にガキ共から貰ったオモチャ、まだ捨てられねぇんだろ? あんなのを後生大事に取っておくくらい大切にしてるなら、これでも付けてろ」
鷹臣には見つからないように隠したと思っていたのに、バレていた。その事実にも赤面するが、それ以上に初めて貰った物に嬉しさが募る。
「できる限り、外出る時には付けてろ。……まあ、お前が良いと思うなら、だが」
「分かりました! 大事にしますね。いつも付けます」
カチャリと音をさせながら左手の手首に嵌めてみた。落ち着いたプラチナの細身のジュエリーに思わず口角が上がってしまう。
「ありがとうございます、鷹臣さん」
ジッとセイルを見下ろしていた鷹臣だったが、何も言わずに踵を返す。玄関先で靴を履く広い背中を見守っていた。
「あの、お気をつけて。早めに帰ってきてくださいね。……一人は、寂しいので」
手首のブレスレットを擦りながら俯いた。こんなことを言ったら、居候の分際で面倒くさい奴だと思われないだろうか。
ただ、何となくだが、こう言った方が上手くいく気がした。何の根拠もないし、ただの思い込みかもしれない。
でも、本音を伝えることで知ってもらいたかった。
玄関扉を開こうとしていた鷹臣が動きを止めた。そして振り返ったかと思うと、セイルの手を引いて来た。
「わっ」
気付けば鷹臣のスーツに顔を押し付けられていた。がっしりと背中に回った腕。呼吸をするだけで鷹臣の香りがセイルの中に入って来る。
「たか、おみさん……? んっ」
突然の行動に訳が分からず上を向けば、その顎を取られて口づけられた。
「んっ……」
入り込んでくる舌の感触。随分と久しぶりな気がする。あまりまともに顔を合わせることがなかったから。
目を閉じ、その感触に夢中になる。少し厚くて、強引に口内を暴れ回る。吸われる度に腰の奥が疼いてしまう。唾液が溢れ、口の端から零れていく。力強く動き回る鷹臣の舌。拒否など絶対に許さない。セイルの体の中において、主導権を握られている。
好き勝手されているのに、全く嫌だと感じない。それどころか、望んで自分から絡め取られにいってしまう。
随分と長い間、深い口づけを交わしていたと思う。キスが終わる頃には脚の力が抜け、鷹臣が腰を支えてくれていなければその場に立ってなどいられなかった。
陶酔したまま鷹臣を見上げていた。
唾液に濡れた唇が玄関の照明に照らされていやらしくぬめっている。その様が情熱的なキスの名残を表していた。
ジッと見つめられ、照れてしまう。久々に鷹臣の顔をマジマジと見たが、相変わらず精悍でカッコいい。セイルの女性に近い容姿とは真逆の男らしさはいつ見ても憧れる。
「……さっさと寝ろよ。今の時期に夏バテとかしても笑いモンだからな。それに、お前が来なくなったら悠真の野郎がうるせぇだろうし」
ポンポンと頭を撫でられ、鷹臣はそれだけ言い残して再び出かけて行ってしまった。
一人、玄関に残される。へなりとその場に尻もちをついた。
何だか急激に羞恥が湧いてくる。長い耳まで真っ赤に染めつつ、両手で顔を覆った。
(ヤバい……ヤバい、ヤバい、やばい……)
心臓の音がうるさく感じる。廊下の壁に背を凭れ、パタパタと足を蠢かした。
しばらくの間、込み上げる想いのままに悶えていたが、少し疲れてパタリと廊下に寝転んだ。大の字になりながら天井を見つめる。ボーッとしながら心臓が落ち着いてくれるのを待った。少しずつ鼓動が穏やかになり始める。
「……あ、そうだ。カレー……食べきらなきゃ……」
自分の皿にまだ残っている食べかけの夕飯の存在を思い出した。いくら毎日掃除をしているからとはいえ、廊下に寝そべっているのも行儀が悪い。
里では家の中でも靴のまま生活するため、こんな風に廊下で寝転がるなんて行儀の悪い真似をすることはない。それに、そんなことをしていれば、兄や父に驚かれるだけでなく、心配をかけてしまうだろう。
のそのそと緩慢な動作で起き上がる。まだ顔が熱いような気がして、洗面所で顔だけ洗うことにした。洗面台に映った顔は真っ赤なまま。こんな顔を見られていたと分かり、また恥ずかしくなる。
どう見たって普通じゃない。好きだと言っているようなものではないか。
ブンブンと首を横に振り、勢い良く蛇口から水を出した。跳ねることもいとわず、バッシャバッシャと顔を洗う。冷たい水の感触が火照った肌に気持ち良い。数回水をかけてから顔を上げる。少しくらいは茹でタコ状態から戻った気もするが、やっぱりまだ頬は赤い。
洗面台の引き出しからタオルを取り出し、顔を押し付けた。柔らかい布の感触。里にはここまで触り心地の良い布はなかった。何から何までこの国の物……とりわけ、鷹臣の身の回りで使われている日用品は里での生活水準を上回る。
そして、その違いを感じる度に、自分がこの世界の者ではないと実感させられる。
里に戻っても、元の生活を送るだけだ。元々の水準が高い生活から里のように質素な暮らしをするのであれば適応するのも大変だろうが、そうではない。ただ、元に戻るだけ。
でも、そこには鷹臣がいない。貧しさや不便さであれば何とも思わないが、今の気持ちを抱えたままで何事もなかったかのように暮らせるかどうか自信はない。
顔全体をふわりと包み込んでくれる柔らかさから顔を上げた。再び鏡に映った自分の顔を眺める。長く尖った耳は鷹臣たちとの違いをありありと表している。その耳が可愛いと言ってくれる参拝客もたくさんいる。しかし、種族の異なりは住まう世界が違うと突きつけられているようだった。
鷹臣から貰ったブレスレットごと手首を強く握る。プラチナのラインが硬く、その存在感を誇示していた。
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