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第4章:抗争 第3話③

 連れて来てもらえたのは、神奈川県葉山の一色海岸だった。海水浴シーズンも終わり、人影はまばらだ。  到着した時には既に夕刻に差し掛かってしまっていた。SNSやテレビなどで見る青空と青い海という光景ではないが、オレンジ色に染まり始める海岸沿いもまた美しい。 「海って、こんなに綺麗なんですねぇ」  規則正しい波の音を聞きながら目を細めた。風は少し冷たいが、寒い程ではない。 「そう言えば、私と鷹臣さんが出会ったのも海でしたね」 「ああ、そうだったな。あんなきったねぇ東京湾なんかに夜中浮かんでる奴なんか見たことねぇよ」 「別に、私だって好きであそこにいたわけじゃないですってば」  プゥと頬を膨らませれば、鷹臣がフッと穏やかに笑った。夕刻のオレンジ色に染まる顔。いつも見る強面の表情が和らいでいるように見える。 「海、よく来るんですか?」 「脅し程度にはな。でも、それ以外では滅多に来ねぇ」 「そうなんですね。じゃあ、どうして今日、来ようと思われたんですか?」 「特に深い意味なんてねぇよ。休みだからって家でゴロゴロしてるだけってのもつまんねぇし、かと言って、人混みに行くのも余計疲れるだけだしな。だったら、人のいねぇ所に行く方が良かっただけだ」  海風を受ける鷹臣は気持ちが良さそうに見えた。スーツでなければもっと快適だっただろう。海とスーツという取り合わせに少しばかり苦笑してしまう。 「まだ海って泳げるんですか?」 「やめとけ。盆過ぎれば、海なんてクラゲだらけでまともになんて泳げねぇよ」 「クラゲ? いますかね?」  どんな生き物か俄然興味が湧いて来る。靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾を膝までたくし上げた。 「おい、まさかお前……」  鷹臣が何か言いかけているのを背にしながら海へと走って行った。どうせ止められるような話しか出て来ないだろう。だったら、聞く前に行ってしまえば良い。 「わっ!」  入って行った海は冷たく、足元からひんやりとする。寄せては返す波を感じながら、大きく息を吸い込んだ。 「海って、すっごい! 気持ちの良い場所ですねぇ!」  山奥で暮らしてきたセイルには馴染みのない場所だ。海を見たのはこの世界に転移してきたあの日のみ。それ以外は一度も実際に目にしてはいない。 「おい、あんまり奥行くんじゃねぇぞ。波に足取られるからな」 「はーい」  さすがに着衣のままでそんな奥まで行く気はない。少し足が浸かれば良いくらいだ。 「鷹臣さんは子供の頃に海とかってよく来たんですか?」 「大して来てねぇよ。お袋に金も暇もなかったからな。どこかに連れて行ってもらえた記憶なんてほとんどねぇ」 「そう、なんですね」  休みだからと連れて来てもらえたような思い出がある訳ではないと分かり、少しばかり心が痛んだ。梨々花や結月は夏の間に様々なことをしたと楽しそうに報告をしてくれた。だから、誰もがそんな風にいろんな思い出を作っていると思っていたのだ。 「じゃあ、私と一緒に作っていきましょうよ!」 「……お前とか?」 「はいっ!」  力強く返事をしてからハッとする。  そんなこと、出来るはずもない。早く結界の修復方法を見つけて、里へ帰るのだから。  つい、何も考えずに言ってしまった。ただの自分の願望を。 「あ、でも、もちろん鷹臣さんがお嫌なら……」 「嫌じゃねぇ」  フッと小さく笑った後、真摯な眼差しを向けられる。ドキリと大きく心臓が跳ねた。 「俺は何の気も利かねぇぞ」 「フフッ、鷹臣さんにそんなこと期待してませんって」 「てめぇ……」  鷹臣がその場で靴と靴下を脱ぎ、スラックスの裾をまくり上げる。それまで、海に入ろうともしていなかった鷹臣が遠慮なく近づいてきたため、バシャバシャと逃げ回る。 「てめぇ、逃げんじゃねぇよ」 「だって、捕まったら何か痛いこととかされそうですもん!」 「セイル」  ピタリと駆けていた足が止まった。鷹臣の方を振り返る。  初めて鷹臣から名を呼ばれた。大きく見開いた視線の先にいる人は、何とも穏やかな顔をしていた。  海辺には不釣り合いなスーツが近づいて来る。向かい合うと、顎を取られる。  振り払えば良いのに動けなかった。微動だにできず、鷹臣を見つめることしかできない。 「こんな所まで俺を連れて来させるのなんて、お前だけだからな」  少し照れているように見えるのは、ほとんど日の落ちかけている夕日の名残か。  それとも……。  近づいて来る鷹臣の精悍な顔。当然のように瞳を閉じた。

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