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第9話

        血に咲く愛  夜の街はざわめいていた。  裏切り者が組に潜んでいる──その噂は現実となり、銃声が路地を裂いた。  牙琉は若頭として先頭に立つ。だが心の奥底では、ただ一人の男の声だけを求めていた。  火花を散らす銃撃の中、彼の頭の中に響くのは天堂ルイの低い声。  「立て。俺の犬だろ?」  あの命令だけが、血の雨の中でも身体を動かす。  弾丸が壁を砕き、硝煙が肺を灼く。  牙琉は咄嗟に部下を庇い、肩口を撃ち抜かれた。熱い血が滴り、膝が崩れる。  視界が揺れるなか、彼を繋ぎとめるのは、次々に落ちてくる命令だった。  「立て」  「吠えるな」  「這って来い」  足元で薬莢が転がり、踝に冷たい金属が触れるたび、命令の響きが骨の奥を叩く。  「……ルイの声がなければ……俺は……」  掠れた呟きが銃声にかき消される。  しかしすぐ傍で耳をそばだてた若い部下が、その一節だけを拾ってしまった。  「……俺の犬……?」  不可解な違和感を残したまま、彼は再び銃を撃ち込む。  次の瞬間、背後から伸びた力強い腕が牙琉を抱きとめた。  「勝手に倒れるな。……俺の犬が、誰の前で死のうとしてんだよ」  耳元で囁くルイの声は、戦場の喧噪をすべてかき消した。  牙琉は血に塗れた顔で、必死に彼を見上げる。  そこには冷笑と激情が入り混じった、狂気じみた支配者の瞳があった。  「……ルイ……俺、もう……」  「黙れ。吠えるのは俺が言った時だけだ」  口を塞がれるように、唇を強引に奪われた。  血の味と煙草の香りが混ざり合い、戦場に似つかわしくないほど濃厚な支配の口づけ。  「安心しろ。お前は俺が飼ってんだ。……誰にも渡さねぇ」  牙琉は痛みを忘れるほどに、その言葉に震えた。  銃撃戦の只中、命を懸けた場面ですら、彼を生かすのはルイの支配だけだった。  やがて抗争は一時的に沈静化し、敵は退いた。  だが血に濡れた床に倒れた牙琉は、立ち上がることができなかった。  それでも必死に腕を伸ばし、ルイの身体にしがみつく。  「……ルイ……俺は……お前の犬で……いいから……そばに……」  掠れた声に、ルイは一瞬だけ瞳を細めた。  普段なら嗤い飛ばすはずの言葉。それなのに、今だけは冷たく振る舞えない。  「……ったく。お前はどこまで俺を縛る気だ」  吐き捨てるような声の奥に、かすかな焦りと熱が混じっていた。  牙琉の血に濡れた手を握り返すその仕草は、支配者ではなく──恋人のものに近かった。  戦場に咲いた、歪んだ愛。  牙琉はもう逃げられない。  だがルイもまた、この犬を手放すことができなくなっていた。 ⸻

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