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甘音、ランデブー 前編
陽太×春陽
『甘音、ランデブー』前編
デートしようか――そう陽太に誘われたのは、午後になってからだった。
「今夜は陽月がいないから、二人で美味しいもの食べに行こう」
そう、言っていたはずなのに……。
しっとりとしたミュージックが流れる店内。少し暗がりの照明の中、スポットライトを浴びるように、一着ずつ丁寧に服が飾られている。
試着室の鏡の前で下ろしたてのスーツを着させられ、どうしてこうなった? と春陽は首を傾げる。服はたくさんあるから要らない、と言わなかっただろうか。
そもそも、レストランに直で向かわなかった辺りから、察しはついていたけれど……。
カーテンが開くと、待ち構えていたように陽太が見つめてくる。頭のてっぺんからつま先まで、品定めをするような陽太の視線が、じっくりと春陽の体ををなぞる。注視される緊張と少しの興奮で、鼓動が早くなる。
「うん。いいね。よく似合ってる」
にこ、と満足気に陽太が表情を緩ませる。はぁぁ……と春陽も安堵の息を吐いた。
陽太の視線は心臓に悪い。春陽の心の内まで、全部見透かされそうな気がするから。
「今は白のブラウスですが、こちらの淡いピンクもお似合いかと存じます」
店員がさらに商品を勧めてくる。もう結構です、と春陽は言いたいけれど「じゃあそれも」なんて、深く考えずに買い物をする陽太に、言葉も出なかった。
何が怖いって、この店内の品物には値札がついていないのだ。そのくせ、貧乏育ちの春陽でも、上質な生地が使われていることだけは分かるから恐ろしい。
肌に触れるブラウスの素材はとても柔らかいのに、胸元に結ばれたリボンタイはふっくらと立体を形作っている。同じ生地なのにどうしてこんな差が生まれているのか、春陽にはさっぱりわからない。
今この身が纏っているものは総額いくらになるのか。聞いたなら、悲鳴を上げると誓ってもいい。
雅明さん助けて! と、少し距離を取って立つ陽太の執事に視線を投げても、にこり、と笑顔を浮かべられるだけで、何も変わらなかった。
――以前も、二人で何度か訪れたことのあるこの場所。下層階は雑貨や小物、衣類などを扱うテナントが多数あり、中層階はレストランやバーの飲食街とシアター、高層階にはホテルが入った高層商業ビルだった。
このビルのレストランは、陽太のお気に入りのようで、春陽も店名を覚えるくらいは連れて来てもらっている。
だから「あ、いつもの場所ね」と、すっかり安心しきっていた。食事の前に寄りたい所があると、陽太に連れて来られたのがここだ。店内に入った瞬間、丁寧に頭を下げられ、迎えられた。
「いらっしゃいませ瀬野様、お待ち致してしておりました」
「例のものは出来てる?」
「はい、こちらに」
差詰、話が通っていることは、陽太の口振りで分かった。
「あ、あの……ひな兄」
「ん?」
「ここ、どこ?」
「どこって、服屋さんだよ」
そんなことは分かっている。何をしに来たのかと問いたかったけれども、問う機会を逃し……現在に至る。
「その風合いも似合うね。じゃあこのテザインで、生地はこちらで、一つ仕立ててくれる?」
その場で即決、しかもオーダーしちゃうとか……。
「待って待ってひな兄! 一つで十分だよ!」
思わず声をかけると、不思議そうに陽太が見つめてくる。
「良いんだよ。僕が買いたいんだから」
「でっ、でも……」
「買わせてくれないの?」
こてん、と甘えるように可愛らしく首を傾げられる。左に流している横髪が少しだけ表情を隠して、陽太に憂いを帯びさせた。
あああーっ! もうっ! その顔ずるいっ!!!
「……ヨロシイデス……」
赤面する顔を両手で隠して、ロボットのような片言で返す。「良かった」と陽太は笑う。
「ありがとう。はるは良い子だね。……じゃあ、あれとそれとこれと。あ、このスーツ似合う髪飾りも欲しいな。今度デザイナーを家へ回してくれる?」
なんて、突然水を得た魚のように、陽太は店員に指示を飛ばし始めた。
もう、だめだ。何も聞かなかったことにしよう……。
春陽は心を無にするように天井を仰いだ。
新しいスーツのままレストランへ向かう。いつもは一般席で食事をしていたのに、今日は個室が予約されていた。
街の明かりを少し下に見ながら、落ち着いた雰囲気で食事が出来るのは、春陽も嬉しかった。フルコース料理のマナーを気にせず自由に食べられる。そう思ったからだ。
けれど実際に運ばれてくる料理はすべて、春陽が食べやすいように予め一口サイズにカットされていたり、嫌いなものは避けられていた。
「……ねえ、ひな兄」
「なに?」
「この計画、いつから立ててたの?」
流石にここまで整っていれば、思いついたのが昨日や今日でないことは分かった。
陽太は少し考えて「ナイショ」と言った。手にしたグラスが揺れて、中のワインがくるりとグラスの淵で踊った。ふんわりとアルコールが香る。
「このお店に、こんな個室があるなんて知らなかった」
ちらりと窓の外に視線を向ける。正面を見れば暗闇が広がっているのに、少し視線を落とせば、様々な色の光で賑わっていた。
「まぁ、昔は使わなかったからね。他人の目があった方が、はるも安心できるだろうと思っていたし」
知らないお兄さんと個室で二人きりなんてね、と陽太は笑った。
遠慮しなくても、"高橋さん"となら二人きりでも良かったのに……なんて言ったら幻滅されるだろうか。
そう考えると、今のこの時間が、すごく特別なものに思える。恋人の関係になったからもたらされる、時間と空間なのかもしれない。
「ふふっ……」
「どうしたの?」
「んー? なんでもない。幸せだなって思っただけ」
頬を緩ませて答えると、陽太も満更でもない様子で瞳を細めた。
レストランから出ると雅明が待っていた。二人を見つけて、軽く会釈する。
「お待たせ」
「いえ。ご用意が出来ております」
「ありがとう。……はる、こっちに来て」
陽太の手に背中を軽く支えられ、乗ってきたエレベーターとは逆の方向へ案内される。
少し奥まった先にある扉を抜けると、裏通りのような廊下があった。業務用のエレベーターと思われるその前を通り過ぎて、更に奥へ。明らかにこれまでと雰囲気の違う、高級感のあるエレベータードアの前で立ち止まった。
雅明が、さも特別仕様のカードキーをかざすと、エレベーターのドアが開く。
「どこへ行くの?」
三人で乗り込みながら春陽が聞くと、陽太はにこりと笑う。
「僕のプライベートルームへ。ここはウチが管理するビルなんだよ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。けれど、少し遅れて春陽は驚きの声を上げる。
「えっ!! う、ウチの管理するビルって……これ全体!? 全部!?」
春陽が驚くのも無理はなかった。都内の一等地にある超高層ビルで、こんな機会がなければ、春陽のような一般人は一生訪れることすらない場所だから。
ひえぇ〜……と驚愕する春陽とは反対に、陽太は頭を垂れながら額を覆った。「はあ〜……」と珍しく特大のため息を吐く。隣では、雅明が笑いを堪らえようと視線を外した。
「……笑うなよ、雅明……」
怒ってはいない。愚痴を吐くような小さな声で陽太は言った。
申し訳ございません、と雅明は一言謝って、咳払いをする。そして「失礼致します」と春陽の耳元に顔を寄せた。
「春陽様、陽太様は"プライベートルームに春陽様を招きたい"と仰られたのですよ」
と、教えてくれる。また少しの間をおいて、春陽は一気に顔を赤くした。やっと現状を理解する。
それはつまり、"誘われて"いるのだ。
「だっ……だって! ひな兄、ご飯食べに行こうって……!」
「ちゃんとその前に"デートに行こう"って言ったじゃないか」
そう言われれば、そうだった気もする。行きつけのレストランだったせいか、いつものように、食事だけ、と頭が勝手に認識していた。
「……いつまでも"高橋さん"じゃないんだけどな」
拗ねたような陽太の声。
「ごめんなさい……」
「分かったなら、ちゃんと俺の名前呼んでごらん?」
少しだけ、口調が強い。春陽はおずおずと「陽太さん」と呼んだ。「よく出来ました」と陽太は春陽の頭を撫でる。
「忘れないで」
いつものように、穏やかな笑顔で念を押される。春陽は素直に、こくり、と頷いた。
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