2 / 13
第2話 弦とアルバイト
話は少し前に遡る。
ルカは背負っていたベースケースをワンルームマンションの手狭な玄関に下ろし、大きなため息を吐いた。
ヘルプの臨時メンバーとして参加しているバンドから急遽音合わせの呼び出しがかかったせいで、英会話スクールのアルバイトを当日欠勤したところ、とうとう解雇通告を言い渡されたのだった。
自分で自分のことを『売れないミュージシャン』と表現するのは情けないが、事実だから仕方がない。
オーストラリアでは、家賃の低いシェアハウスで暮らしていたこともあり、音楽活動だけの収入で暮らすことができていたし、忙しさにオファーを断ることさえもあった。
しかし、日本では経験も——そして叔父の七光りと自覚していた——知名度がない。
こちらからアピールをし続けない限り、どこからもオファーなんてやってこないのだ。
音楽だけではまだまだ到底生活できない。
ベースを始めて10年以上になる。
音楽の道を選んだのは、プロのミュージシャンである叔父の影響だった。
母の兄にあたる叔父のコナーは、ジャズミュージシャンとして演奏するだけでなく、たくさんのレコードをコレクションしていた。特に、日系人であることに誇りを持っていた彼は日本のジャズに詳しく、地元のラジオ局からDJとして呼ばれることが頻繁にある程だった。
叔父は海沿いの素晴らしいロケーションに居を構え、成功したミュージシャンの暮らしを体現している人だった。
サーフィンも、音楽も——すべて、叔父から教わった。
何本もギターが飾られた壁、ピアノの蓋は開けっ放し、酒瓶に楽譜になにもかもが散らかったテーブル、床に乱雑に置かれたエフェクター。
そんなだだっ広いリビングは、ルカにとって何よりも楽しい冒険の島だった。
どんなに物が散らばっていても、叔父が演奏を始めた途端に、そこに秩序が生まれるのだ。
元々ピアノは習わされていたが、ハイスクールに上がる頃に叔父からベースを贈られ、深く艶めいた音に取り憑かれた。
そうして、叔父が出演するジャズクラブへ出入りするルカにも、時折演奏の声がかかるようになるまでそう時間は掛からなかった。
ステージライトを反射して光る管楽器たち、演奏前のミュージシャンの張り詰めた空気、アルコールと香水の香り、曲に合わせて揺れる人々。
ルカは未だに、地元のジャズ・クラブでステージに立ったミュージシャンの最年少記録を保持している。
音楽のセンスは飛び抜けたものがあったのだ。
しかし、ルカは良くも悪くも、「コナーの甥っ子」だった。
最初はそれが誇らしかった。
皆が、「あのコナーの」とルカを特別な目で見るのだから。
それが苦痛へと変化したのは、音楽大学へ進学してからだった。
叔父は、体調不良でステージに穴を開けがちになり、ルカが代役として呼ばれる回数が徐々に増えて行った。
そこで求められたのは、「コナーの完璧なコピー」だった。
叔父がいつかステージに戻ってくることを信じ、懸命に弾いた。どんな無茶な要望にも答え、衣装も叔父を真似て、必死に『彼の場所』を守った。
だが——
間もなくして、叔父は帰らぬ人となった。
ルカに、彼を超える機会を与えぬまま——
大学卒業後、ルカは日本で音楽を続けることを決めた。
叔父のルーツを探り、あの混沌に秩序をもたらす完璧な演奏。曲のストラクチャーの起源はどこにあるのか。
所詮自分は、彼のコピーでしかないのか——
それ以外は考えられなかった。
音楽で食べていくことにどれほどの努力と運が必要か、周りにいる音楽仲間たちから知り得ていた。
それでも、作曲をして、バンドを組んで、ツアーでライブハウスを回って——
有名でなくていい。
ただ、自分だけが奏でられる音を得て、それを糧に、自分のことを——正確には叔父のことなど——だれも知らない土地で、人並みの暮らしができるようになりたい。
だから——
音楽に関わらないアルバイトはどうしても二の次になってしまう。
無責任なことをしている自覚はあったが、音楽活動と平行してできる仕事が見つけられずにいた。
第一に、言葉の壁が大きい。
ルカの母方は日系人家系だが、日本語を理解するのは祖父母の代までだった。
それは現地に馴染むことを第一に考えた、先住移民である曽祖父母の厳しい教えのせいだ。家庭でも日本語の使用を禁止したと言う。祖父母の日本語はかろうじて意味をかいつまんで理解できる程度で、母は日本語を覚えないままオーストラリアで生まれ育った。
皮肉なことに、その反動からか、母と母の兄は自分たちのルーツに多大な興味を持った。都市部ではダイバーシティ化が進み、これまでマイノリティだったアジア人層が白人層に数で追いついたこともあったのかもしれない。
ルカはそんな母と叔父から、自分のルーツを尊重することを学んだ。
日本語は現地の日系人コミュニティでの勉強会で学び、叔父が日本から輸入したレコードコレクションを夢中になって聴き漁った。
しかし、日本の会社で仕事ができるようなビジネス日本語には到底追いつけない。
オンライン英会話のWebサイトにも講師として登録はしてあるが、今のところナシのつぶてだった。
父親はアイルランド系で赤毛の大柄な人だが、ルカには母方の細面で華奢な日本人の遺伝子が強めに出ている。
それが、周囲の同じ年齢の男性よりか幾分幼く見え、講師としての信用度を下げているのかもしれない。
しかし、ルカはどうしても日本で音楽をやりたかった。
叔父の才能の鍵が、そこにあるように思えてならなかった。
ほとんどの外国人がそうであるように、ルカも、まずは東京で暮らすつもりでオーストラリアを出国した。すでに大手英会話スクールでの職を得てのことだった。
しかし、東京で数週間の研修を受けた後、関東近郊の教室に配属された。
音楽をやるなら都会だろうと考えていた彼にとって、この配属は肩を落とすことになった。
しかし同時に、少しだけホッとしたことは否めなかった。
東京はルカにとって —— いや、何名かの外国人も同意見だったが —— 必要性が理解できないルールだらけで、しかもそのルールを盲目的に従うことが正しいとされていて、とにかく不気味に思えて仕方がなかったからだ。
週末の定時連絡で母にそのことを話すと、そういった細かいインサイトを日記として残しておけば?と薦められた。毎日でなくてもいい、思ったこと、感じたことを素直に、飾らない言葉で、ありのままノートに書き留めておくといい、と。
『こうやって話すから、代わりに書いてよ』というルカの提案は即却下され、ルカは翌日にジャーナルノートを購入したのだった。
とは言え、なにも不遇な事ばかりではない。
むしろ、ルカには運があった。
後に振り返ってみれば、周囲に助けを求められない状況下で、この出会いは万に一つの奇跡だった。
◆ ◆ ◆
ある夜。
いつも練習に使用しているレンタルスタジオの帰りだった。
なかなかに音の調子の良かった日で、重いベースのケースは肩に食い込んでいるが、足取りは軽い。
大っぴらに往来で飲酒ができる日本の大らかさと平和さを享受し、缶ビールでも買って飲みながら帰るか、と考えたとき、ふと英会話スクールの外国人講師の間で評判のバーを思い出した。
どうせなら、とふらりと立ち寄ってみることにした。
入店してすぐに、クリスという店のイギリス人オーナーがカウンター越しに自己紹介をしてくれ、そして目を輝かせながらルカの楽器ケースを指差し、「酒代として、なんでもいいから弾いてくれ」とリクエストをした。
渡りに船とはこのことで、その日はビール飲み放題と交換にステージに立った。
イギリス出身のバンドは多く、ルカも練習によく用いているから、選曲に困らなかった。オルタネイティヴロックを数曲、ベースボーカルでカバーしたのが客にも大変に受け、その場でオーナーはルカに演奏者としてのアルバイト契約を申し入れてくれた。
店での演奏は金曜の夜のみ、アルバイト代の他にドリンク飲み放題とくれば、健康的に酒好きな若者であるルカにはこれ以上ない好条件だ。しかもドリンク類の質が高く価格も安くないせいか客層の良い店で、音楽業界関係者の出入りもある。
ルカはそこで少しずつ人脈を作り、いくつかのバンドのライブステージにヘルプとして呼ばれるようになった。
いわば日本でもセミプロの領域に入ることができたのだ。
地元のジャズクラブで演奏し業界に片足を突っ込んだ状態だった頃に、ほんの少し戻った感覚だ。
だが、今のルカと音楽との繋がりは、現在はこの2つだった。まだ音楽だけで暮らしてはいけない。
クリスのバーは、週末には必ず音楽イベントが開催されていた。
イギリス人オーナーはジャズやオルタネイティブロックの生演奏を好むようで、ルカはほとんどの週末ステージに立った。バンド演奏のないハウスミュージックのイベントでもサポートとしてギターを弾くこともあれば、常連客の誕生日にピアノでバースデーソングを奏でることもある。
そんな音楽便利屋として使われることに、ルカは幸運を感じていた。
ルカにとって生の音楽とは生活に密着したものであり、何も特別な機会だけに聞くものではないと考えていたからだ。
金曜日に行われるバンド演奏は、ルカのような雇われミュージシャンの集まりだ。
ベースのルカのほかにはドラマーが固定メンバーで、彼はプロのスタジオミュージシャンとして生計が成り立っていて、この店での演奏はタダ酒のためだけらしい。
ルカも一応は固定メンバーだが、バンドのヘルプとして県外でツアーを行うとなれば何日も帰ってこられない。そうなると、別のベーシストが呼ばれるか、その週の生演奏は無しとなる。
それでもバーの店主は寛大で、いつも、「代わりはいくらでもいるけど、あんたのベースが一番好みだから」とイギリス人らしい皮肉で不在と復帰を約束してくれる。
そんな調子で音楽中心の生活をしていくからには、契約社員のような仕事は、時間の折り合いが難しい。
数件目のアルバイトの不採用の連絡を受けた日、ルカはカウンターに座るやいなやテキーラを頼み、店主のクリスに音楽と生活のジレンマをぶつけながら飲んでいた。
こんな夜はやけ酒に限る。飲んで寝て、酒も憂慮も次へ残さないことだ。
週末は演奏料が貰えて酒が飲める。オーナーのクリスは優しく、貧しいミュージシャンに簡単なつまみも出してくれる。しかしルカの生活に余裕はなかった。あとほんの数万円でいい、食費や光熱費は努力で多少削れるが、楽器に掛かる費用だけは切り詰めたくなかった。
「早く音楽だけで食えるようになってよ。腕はいいんだから」
カウンターの向かいにクリスが立ち、酒を注いでくれる。
「それができればそうしてるよ。俺だって待ってるだけじゃない。でもクリスが言うように、いつも『技術はある』で終わるんだよ。俺の演奏に足りないものを知りたくて、ここに来たってのは話したでしょ?」
「日本のジャズは有名だもんね」
「そうなんだ。——ただ、音楽と、いや、アート全般かもしれない。それで生活が成り立ちにくい。こんなに熟した文化があるのに。だって、吹奏楽部が公立の小学校にもあるんだよ?どうしてもっと身近に大人が楽しめる音楽がないんだろ」
「確かに音楽的なイベントが少ないね。住んでる国の悪口はいいたくないけど、芸術にお金を出さない国なのかも……ね。で、次のアルバイトだけど……」
ハッとルカは自嘲した。
「今日も不採用。全然決まりそうにない。そりゃ、都合の良いこと言ってる自覚はあるよ、バンドの都合で休むなんて。どこかに不定期に休める昼の仕事ないかなあ」
ルカはため息をつき、大げさな動作で両手を頭の後ろで組んだ。
「ランチタイムのウェイターはどうだ?」
突然、長身の男がルカの隣の席へ滑り込むようにして座り込んだ。
ルカはその言葉の内容よりも地に響くような低い声に驚き、急いで顔を向けた。
確かクリスの友人で、時折、深夜に臨時のバーテンダーとして手伝っているのをステージ上から見かけたことがある。
恐ろしく顔の良い、ファンタジー映画のエルフの王子のような高貴な出で立ちに白く艶めく肌。ここの誰もが一目置く男だが、言葉を交わすのは初めてだ。
男は、「割り込んでごめん」とにこやかに微笑んだ。
「あ、うん。ウェイターならできると思うけど……?」
「僕の店でちょうど空きが出てね、困っているんだ」
男は長髪ストレートのブロンドをさらりと掻き上げ、「クリスから聞いている。調理も多少できるんだろう?賄い付きで、どうだ」とニッと笑った。
「それは願ったり叶ったりだけど……。ところで、なんの店?」
「カフェバーよ。ここからそんなに遠くない。いい店」とクリスが答えた。
男はヒューゴと名乗り、その店のオーナーだと、名刺をルカに渡した。
第一印象で、この店によくいる外国人モデルかなんかだろうと勝手に思っていたが、勘違いだったようだ。
「まずは食事においで。気に入ってくれたら働いてほしい。できれば早いほうが助かるんだが、それは任せるよ」
オーナーの、誠実そうな澄んだ目と自信に溢れた態度は、それだけでルカを決意させるのに十分だった。
ともだちにシェアしよう!

