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第7話

 直接喋るのは数日ぶりですね、とか、何で声も掛けずにここに連れ込んだんですか、とか、何で後ろから俺を囲んでるんですか、とか何を考えているんですか、とか聞きたい事は山のように溢れてきたのに口からは声にならない声しか出なかった。  落ち着かないながら周りを見渡す。 (ここは……暗くて分かりづらいけど多分資料室か?)  地味に建物の部屋が多過ぎる事もあって曖昧だが、恐らくそうだ。棚に沢山並んでいる大きめのファイル類やROM類が見える。組織に関する様々な記録が保管されている筈だ。  場所の把握は出来たのでとりあえず囲いから抜け出そうと体を動かそうとしたら 「⁉」 タツヤさんの腕が体の前方に回ってきて後ろから抱き締められてしまった。そのまま、ギュウ、力とを込められる。微妙に痛い。 「ちょ、な、何ですか⁉ 離して下さいっ」  抵抗するがびくともしない。俺とタツヤさんでは、悔しいが体格差も筋力差もある為俺の抵抗などへでもないのだろう。 「何だ俺が相手じゃ嫌なのか?」 「嫌っていうか……普通に距離近すぎて引いてます」 「ハッ」 (鼻で笑われた)  俺を抱き締めたまま、タツヤさんは右手を動かして俺の頬へと手を添えてきた。何が何だかわからない。タツヤさんが何をしたいのかわからない。  触れられた体の部分が熱を持ったような気がする。ざわざわして落ち着かない。シュンゲツさんに抱き締められた時とは大違いだ。離れたくて仕方がない。 (それに、俺はこの人と……この人を襲った事があるんだ)  以前まではその記憶が無かった為普通に接する事が出来たが、思い出した今となってはそうは出来そうになかった。ざわざわする、ざわざわ森のが◯こちゃんだ。違うか。  気持ちの整理がつくまで接触は避けたかったのにまさか向こうから来るとは。 「なあ、お前本当にどうしたっつーんだよ。暫く放っておいてみたが……根暗と浮気して俺を怒らせたかったのか?」 「は?」  なんのこっちゃい、と素っ頓狂な声をあげてしまった。 「いやそんな一過性のものじゃあねえよな。もっと根本的なものだ」 「いや何の話で」  言っておいて即否定しないで欲しい。此方の思考が追いつかない。 「まあ、それは置いておいてやるよ。あっもしかしてお前、無愛想な男がタイプだったのか?」 「…………」  無言で睨みつけてしまった。 「冗談だって、睨むな睨むな」 「……ッ、ちょ、頬撫でないで下さいっ」  ケラケラ笑いながら頬と首筋を指先で撫でられた。背筋がゾクゾクしてしまい、痺れるような感覚になった。駄目だ、翻弄されてばかりだ。 「……シュンゲツさんはお、いえ僕の事を親切で支えてくれているだけですよ」  慌てて一人称を僕に直した。タツヤさんには今の俺がトモとしての記憶を失っている事はまだ伝えてないのだ。 (それも含めて諸々をちゃんとシュンゲツさんと決めてから話がしたかったのに…‼)  こんなタイミングで襲来に遭うなんて。突然過ぎたのもあってどう対応すればいいかわからない。とっとと抜け出して逃げて良いのか? タツヤさんに事情を話してしまえば良いのか?  ……あの記憶の出来事を、確認した方が、良いのか? 「親切なぁ……アイツそんなに優しい奴だったか?」  そう言いながらタツヤさんは頬に触れていた手で俺の顎を掴み、俺の顔を上へと向けさせた。強制的に目線を合わされてしまう。タツヤさんはどこか楽しそうにニヤニヤと俺を見つめている。その視線の熱に耐えきれずに目を動かして視線をそらした。  俺はこの人を怖がる資格は無い筈なのに、この人に触られる度に体に痺れが走ってゾクゾクしてしまう。震えてしまう。これは記憶が無くても心や体が覚えている故の反応なのか。この震えは恐怖故か、それとも……歓喜故か?  後ろから抱き締められ、顔を掴まれている今の体勢はタツヤさんに全身を包まれている密着具合で非常に落ち着かない。 「なあ」 「え、何っ、ん」  声を掛けられてそらしていた目を合わせる前に顎を更に上へと動かされ、タツヤさんの顔が迫ってきた。反応しきれず、タツヤさんの口が俺の口と合わさってしまった。 「む、む、んーッ‼」  声が出ないながら叫んで抵抗する。両手で頬と肩辺りをがっちり固定されてしまい、引き剥がそうとするがびくともしなかった。首を動かしてそらす事も出来ないし、見開いた目でタツヤさんを見つめる事しか出来なかった。息が吸えなくて呼吸が苦しい。 「んあ、……ん⁉」  一瞬離れた隙をついて息を吸い込むために口を開けたが、その開いた口に舌をねじ込まれてしまった。びっくりして舌を口の中で縮こませて逃げようとしたが舌で舌を絡み取られ捕まってしまう。それだけでは飽き足らず上顎の部分を舐められてしまい、またゾクゾクと痺れが走る。どちらのものかわからない唾液が口から溢れていく。  酸欠で意識が朦朧とし、全身を巡る痺れが下半身にも作用し、タツヤさんの支えなしに立っていられなくなってきた。 「っ……〜〜〜んんんっ」 (もう無理、苦しい……っ!)  意識が遠のく瞬間にようやくタツヤさんは口を離してくれた。もう自力で立つ力等無く、タツヤさんに全身を委ねてしまっていた。そして、ようやく吸えた息を全身に行き渡らせるように必死に呼吸する。 「ハーッ……ハーッ……ケホッ、ハーッ……」  タツヤさんは俺を後ろから抱き締めたままゆっくり腰をおろした。床に座れた事で足もようやく休める。まだ体が震えている。  タツヤさんに寄りかかったままのそんな息も絶え絶えな俺の様子を見てタツヤさんは怪訝な顔をしていた。 「んだよその反応。もう何度もしてるじゃねーか」 「けほっ、は……?」 「そりゃここ暫くはお前が根暗を助手にしたからご無沙汰だったけどよ。そんなまるで初物ですって反応は何だ?」  酸欠で上手く頭が回らないが、タツヤさんが言った事は聞き捨てならないような気がする。 「鼻で息するように教えて出来るようになってた筈だろうが。数週間足らずで忘却する程お前の頭は空っぽだったのかよ」 「なん、ども……?」  何を? ……今のような事を?  突然の口付けと、こんなものを何度もしていたという事実に驚きすぎてただでさえ回らない頭が真っ白になった。荒い息を繰り返しながら俺は目を揺らしてタツヤさんの顔を、恐らくかなり不安げな顔をして見ていたんだろう。故に。 「……もしかしてと疑ってはいたが今ので確信出来た。お前、俺との間にあった事全部忘れちまったみたいだな」 「え⁉」  勘付かれてしまった。  まだ記憶喪失の話はタツヤさんにはしていないのに。 「心の防御反応か? 加減には気を付けてたつもりだったが……それであの根暗に矛先を……いや、それなら……」  タツヤさんは俺を抱き締めたまま何やらブツブツ呟きながら考え出してしまった。 (よくわからないけど、流石に『前世の記憶思い出した反動で今世の記憶丸ごと消えた』って所までは気付いてなさそう……?)  そして意識というか人格が前世の『リョウ』のものになっているとまでは、思い至っていないと思われる。普通に考えて異世界とか転生とか前世とかを思考の机上に出す事はしないだろうし。しかし記憶喪失を言い当てただけでもかなり察しがいい。タツヤさんは頭が回るらしい。 「タツヤさんあの」 「あ? なんだよ」 「その、……その通りです」  俺はタツヤさんに打ち明ける事にした。元々話そうとは思っていたし、察しの良い彼の事だ、下手に隠してもバレるだけだろうと思った。  俺が肯定すると、タツヤさんは何故かニヤニヤと笑みを浮かべた。 「記憶喪失ね、それなら俺に対してあんなアホ面して接してきたのも納得だわ。覚えてるならお前は絶対俺に対してあんな何とも思っていない面しねーからな」  何かを面白がっているようにそう言うタツヤさんに、少し恐怖を覚えながら俺は続きを話す事にした。 「あと……それだけじゃないんです」 「それだけじゃない?」  そうです、と肯定の意味で頷く。 「僕は貴方との間にあった事どころか……この世界で生まれてから、つい先日倉庫で整理をしていた時までの記憶が無いんです」 「!」  タツヤさんは少し驚いているようだった。 「その代わり、僕はとある事を思い出しました」 「……へえ、何を?」  ここからは異世界転生やら前世やらゲームやらを混じえて話さなければならない。断言しよう、絶対簡単に信じてもらえない。俺だって突然目の前の人がそんな事言いだしたら正気を疑う。  どう説明したのものか、と悩みつつも話さなければ先に進まない。意を決して口を開く。 「……ぜ、前世の記憶を」 「は? 前世?」  俺は初めてタツヤさんが本気で困惑している顔を見た。 「その、僕は以前こことは似ているようで似ていない世界で生きていたんです。その世界には能力者も魔物も存在していませんでした。その世界からこの世界に異世界転生したみたい……なんです。死んだ瞬間は覚えてませんが、この世界に転生してトモとして生きていた時の記憶と引き換えに……そんな前世の記憶を思い出したんです。なので本当に何が何だかわからなくて、偶然ぶつかったシュンゲツさんに……助けていただきまし……て。あとこの世界は……前の僕の世界でゲームとして存在して……いまして……その、証拠が色々……」  喋れば喋る程タツヤさんの目が鋭くなっていって、それに連れて俺の言葉は尻すぼみになっていった。先程の困惑がどんどん怒りに変わっているのが伝わってきた。俺を抱き締めている腕の力も増したような気がする。痛い……。 「…………」  本気で怒っている。無言で睨みつけられて萎縮してしまう。 「なあトモ」 「は、はい」 「素直に記憶が無くなって俺の事も自分の事もぜーんぶ忘れて困ってましたって言ってくれたなら俺だって怒らなかったさ。俺を拒絶して根暗を頼った事だって水に流してやった」  声色は笑っている感じなのに、隠せていない怒りが節々から伝わってきて、ストレートに怒鳴られるよりもよっぽど怖かった。 「だがな、そんなふざけた言い訳を言うのはいただけない」  やはり信じてはもらえなかった。でも事実なのだ。ここを信じてもらわなければ俺の置かれている状況をタツヤさんに理解してもらえない。 「ふ、ふざけてなんてない! 僕にはしっかりトモじゃないリョウとしての記憶があるんです! 僕は藤原灯であって、中村涼なんです!」  伝えようと必死になって、恐怖を押し殺してタツヤさんに抗議する。  タツヤさんは聞き慣れない名前が出てきた事に少し首を傾けていた。 「……リョウ? 最近根暗がお前をそう呼んでいるのを聞いていたが……そうか根暗はその言い訳を信じたのか。ははっそりゃ滑稽だ」  右手で自分の目の辺りを押さえて、タツヤさんは乾いた笑いをこぼした。自分だけでなくシュンゲツさんまで馬鹿にされた気がして俺は必死に弁明しようとした。 「滑稽じゃないです、言い訳でもないです。本当に僕は、うわっ!」  突然タツヤさんは俺を突き飛ばした。タツヤさんの腕の中にいた俺はそこから追い出されて床に倒れ込んでしまう。資料室はあまり掃除されていないのか、床に溜まった埃がそれで舞い上がる。埃っぽい匂いが鼻を通り抜け、倒れ込んだ衝撃もあって少し咳き込んでしまった。  両手を使って起き上がり、タツヤさんの方を見ようと顔を上げた瞬間。  左頬に衝撃が走った。 「え」  視界が一瞬ぶれ、遅れて痛みが来た。 「………え?」  ジン、と左頬が痺れて、熱を持っていく。痛い。右手でそこを押さえた。 (叩かれた?)  訳もわからずにタツヤさんを見上げる。その顔は眉間に皺が寄り、瞳孔を開き、口を閉じきつく噛んでいた。相当頭に血がのぼっているのは間違いない。 「ふざけるな、と言ったよな。そんなイカれた事を言うなんて、記憶と一緒に正気まで失っちまったのか……? あまつさえ、そんな世迷い言を信じろっつーのか……?」  胸倉を掴まれてそのまま壁に強く叩きつけられた。打ち付けた背中が痛み、衝撃に一瞬息が止まる。胸倉を掴んだままの手に更に力を込められ、壁に押し込まれるように押さえ込まれてしまった。 (痛い……っ!)  叩かれた頬も痛いし打ち付けた背中も腰も痛い。壁に強く押し付けられている状況では、痛む場所を押さえる事も出来ない。 「どれだけ俺を侮辱すれば気が済むんだ⁉」  目の前に怒りで染まったタツヤさんの顔が見えた。本気で、怒らせてしまった。 「ぶ、侮辱なんて、して、ません……‼ 僕は、本当にっ……」 「……ここまでしてもまだそんなホラを吹くのか。本当に頭のネジが飛んじまったみたいだな、憐れ過ぎて涙が出てくるわ」  一筋も流れていないくせによく言う。キッと睨みつけると嘲笑が返ってきた。 「せめて僕が記憶喪失なのは信じてください!」 「そっちは信じてるさ、そうでなきゃお前の変わり様に説明がつかねーからな」 「じゃあ僕が前とは違う連続した記憶を持った転生者なのも筋が通りますよね…!」 「まだ言うのか。どうやら狂っちまったみたいだな、仕方のない奴」  はあ、とまるで呆れたように溜息をつかれてしまった。俺を壁に押し付ける力は微塵も弱まってないのに、まるで聞き分けの悪い子供を叱るように声色だけ諭すように穏やかになっていて不気味だ。 「……荒療治するか、元々そのつもりで引っ張り込んだし」 「荒療治?」  何をするつもりなのか。先程まで怒りで燃え上がっていたのに、今はなんだか逆に……怖いくらい落ち着いている。 「いつもやってた事さ。そもそもここまでお話する気も無かった。お前がここ最近全く相手をしてくれないからたまってんだよ。そろそろ誰のものなのか叩き込んでおかないと……今みたいに浮気したり、おかしな言い訳して逃げようとするだろ?」  鬼が、笑ったような気がした。  危険信号を知らせるアラートが頭の中に響く。逃げろ、と頭の中で声が聞こえた気がした。  咄嗟に押さえつけている手を振りほどこうとしたが、びくともしない。逃げるにはこの拘束を解かなければならない。 「抵抗するなよ、いつも通りにしていれば怖い事なんてねえよ」  ケタケタ、ニヤニヤと笑う鬼がいる。俺は無我夢中で抵抗し、叫んだ。 「この……っ! 離して下さい‼」  俺の声に反応したのか首の後ろが熱くなった。そしてバチッという短い衝撃音とともに 「ぐっ……⁉」 タツヤさんが呻いて拘束が緩んだ。その隙に壁とタツヤさんの間から抜け出す。距離を取って、膝をついているタツヤさんを見た。 (これはもしかして……強制力?)  今なら、と走ってドアの前に行こうとした時、困惑しているタツヤさんの声が聞こえた。 「お前、強制力の使い方をどこで……」  振り返ると、タツヤさんはまだ動けないようで片膝をついた状態で此方を見ていた。 「ど、どこでって……マスターなんですから知ってるものではないんですか」  タツヤさんは俺が強制力を使った事に心底驚いているようだった。俺も使ったつもりは無かったので発動した事に驚いてはいるんだが。 「……余計な事を吹き込まれたもんだ」  タツヤさんは忌々しそうにそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。もたもたしていた間に強制力の効果が切れたらしい。短い! 本当に緊急回避にしか使えそうにない、と思いながら急いでドアを開けようとしたが。 「開かない……いつの間に鍵を!」  ガタッと振動するだけでドアは開かなかった。  幸い内側から解錠出来るタイプの引き戸だった為、急いで鍵を開けようとしたが、解錠しようとした手に後ろから手がかぶせられた。 「……っ」  ぞわ、と背筋が凍った。  ドアから脱出しようとした過程だけで、俺はいくつもの判断ミスをしていた。そのミスが重なり、 「捕まえた」 俺はこの処刑人から逃げる事が出来なかった。 ◆ 「遅いな……」  一覧表を取りに行くだけにしては遅すぎる、とシュンゲツは未だに戻ってこないリョウを心配していた。しかし探しに出たとして入れ違いになってしまったら本末転倒である。だがしかし遅すぎる。心配で仕方がなかった。 「……ハッ、茶菓子を食堂の冷蔵庫に取りに行くという建前で探しに行けば入れ違いになっても許されるのでは」  頼まれたお茶はきちんと二人分用意したが、執務室のお菓子のストックがきれてしまっていたのだ。取りに行かなければならない。メモ書きにそう書いて離れて取りに行くついでに探しに行こう、とシュンゲツは閃いた。  善は急げ、シュンゲツは要らなくなった書類の裏紙に走り書きでメモをし、執務室を出た。

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