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第9話

 シュンゲツは倉庫まで探しに行ったがリョウの姿を見つける事は出来なかった。入れ違いになったのか? と来た道を戻っていると 「おや、シュンゲツ殿?」 「! ……どうも」 あまり話した事のない能力者の男性とすれ違った。人見知りなシュンゲツは目線を微妙にずらしたまま会釈する。屋内だというのにマントを羽織った男性は……確か炎系の能力者だった筈だ、とシュンゲツは思い至った。名前はちょっとど忘れしている。 「先程はマスターと共に行動していたと思うが、マスターはどうかしたのか?」 「……忘れ物を取りに行ってから、帰ってこなくて」 「忘れ物? もしかしてこれの事か?」  その手の中にあったのは探していた素材の一覧表だった。 「! それをどこで?」 「資料室近くの廊下に落ちていたのを拾ったので執務室に届けに行こうとしていた所さ」 「……ありがとう、ございます」  男性から一覧表を受け取る。  廊下に落ちていた? とシュンゲツは疑問に思う。倉庫に置き去りにしていたと思っていたがまさか途中で落としたのか? と。しかし落ちたらかなり大きい音がする筈だ。気付かないとは思えなかった。 「しかし申し訳ないがマスターの姿は見ていない。力になれずすまない」 「いえ、助かりました」  マントの男性は廊下に落ちていた素材一覧表しか見ていないという。しかし二人で執務室に向かう道中で落としたとは考えづらい。つまり、リョウが倉庫へ取りに行ってから執務室に戻る途中に落としたと考える方が自然に思える。リョウは何処へ行ったんだ? 「それは何より。……拙者自身これは良くない事だと理解はしているが、貴方とこうして話をした件は貴方にとってもリーダー殿に知られない方がいいだろう。他言無用でここはひとつ」 「あ、はい、勿論」  男性は口許に人差し指を立てて、しー……という動作をした。シュンゲツが少し圧倒されつつ頷くと、男性は少し微笑んだ。 「では、失礼する」 「はい、また……」  男性はマントを翻して立ち去っていった。その後ろ姿を呆然と見たシュンゲツは思う。 (キャラが濃い)  一人称、拙者。屋内でもマント着用。どこか役者じみた口調。話した事が数える程しかなかったからわからなかったが……ツッコミ待ちだったのだろうか。あれを素でやっていたらそれはそれですごい。  男性の事で頭がいっぱいになりそうだったが目下重要なのはリョウの居場所だ。 「確か資料室の近くって言ってたな……」  シュンゲツは資料室に向かって走り出した。  資料室のドアの前まで来た。ドアを開けようとしたが鍵がかかっていて開かなかった。外側から開けるには執務室まで戻って鍵を取りに行かなければならない。しかしそもそも資料室は普段この建物から人がいなくなる時間帯にならないと施錠されていない筈だ。今はまだ夕方、能力者達もまだ寮に帰っていないし仕事をしている人もいる。 (おかしい)  そっと、ドアに向かって聞き耳を立てる。 「………ッ、………!」  ギシッ、ギシッ。 「………、…………」  人の声と、机が軋む音。シュンゲツは息を呑んだ。  聞き間違えでなければこの声はリョウと……タツヤだ、とシュンゲツは確信する。あの野郎とリョウが二人きりで閉じこもっているという事実に一気に緊張感が増した。急いでここを開けなければいけないと、最悪を想像して冷や汗が出てきた。  扉には鍵がかかっていた。普通に開けるには執務室まで鍵を取りに行かなければならない。しかしそんな猶予は無い。 (ならば!)  シュンゲツは扉に手をかざし、能力を発動する。弁償とかそういう事は緊急事態の今は後回しだ。  徐々に扉が鈍い音を立てながら圧縮され破壊されていく。潰されていくトビラの隙間から部屋の様子が目に入った時、シュンゲツの頭に血が上ったのがわかった。 ◆ 「リョウ!」  突然聞こえてきたその声に、ハッと意識がハッキリした。涙で濡れた目で声の方向を見ると、そこには……。 「シュ、ン……さん……シュンさん……⁉」  青い顔をしたシュンゲツさんが立っていた。傍には何かの残骸が転がっていて、ドアが消えている。ドアを圧縮破壊して強行突入してきたのだとすぐ悟ったが、そんな事を気にしている場合ではなかった。まだ微かに変な感覚はあるがシュンゲツさんに今の姿を見られてしまった事へのショックが大きく、正気に戻った感覚がある。 「何してやがるテメェッ‼」 「チッ」  シュンゲツさんがタツヤさんに殴りかかったが寸前にタツヤさんがかわす。空を切った拳を睨んでから、俺が縛り付けられている机から遠ざかったタツヤさんと俺の間に体を滑り込ませる。シュンゲツさんは俺の方へと視線を向けた。 「リョウッ‼」 「あ、シュンさ……っ! み、見ないでください!」  今の俺は全裸であり、精液にまみれてしまっている。後ろの穴からは射精された精液もこぼれてしまっていて、とてもじゃないが人に、特にシュンゲツさんに見られたくなかった。 「ごめ、ごめんなさいごめんなさい、俺、ちゃんと拒めなかった。何で、何でタツヤさんが欲しいなんて、何で……」  どうしよう、見られた、嫌われる。体が震えて涙がまた溢れてきた。体を隠したいのに手は縛られたままで、足も疲れ切っているのか満足に動かせず、全てをさらけ出してしまっている今の状態に心が耐えきれなかった。  俺の絶望を見たシュンゲツさんが顔を真っ赤に、目と眉を吊り上げ、歯を食いしばって怒りを顕にしていた。 「テメェ……この強姦魔がッ‼ 去勢してやるッ‼」  咆哮し、シュンゲツさんが右手をタツヤさんに向かってかざした。瞬時に、身なりを整えていたタツヤさんが飛び退いた。タツヤさんが先程まで立っていた場所の傍にあった机がグシャ、という音を立てながら潰れる。能力を、タツヤさんに向けて使ったらしいと分かった。 「っぶねぇなあ!」  ギリギリで避けたタツヤさんは悪態をつきながら冷や汗をかいている。もしタツヤさんの回避が間に合わなかったら、と俺も顔が青くなった。圧縮を人間が受けたら即死だ。 「オイオイオイ、去勢どころか殺す気か根暗野郎。トモが俺を選んだのがそんなに気に入らねえのかよ」 「ほざけッ‼」 「おっと! ……ッ」  タツヤさんが再度飛び退く。今度は椅子が圧縮されて潰れた。避けきれたように見えたが、タツヤさんの少し呻いた声が聞こえた。今の体勢からではタツヤさんの足元までは見えない。もしやどこか避けきれずにかすったのであろうか。  力が入らないながら何とか拘束を解こうともがくが、駄目だった。俺は二人の交戦を見ている事しか出来ない。 「……」 「ハッ、これでさっきまでみたいに飛び跳ねられないな」  シュンゲツさんも気づいたらしい。  タツヤさんは少し冷や汗をかいたまま、それでも余裕の笑みを浮かべている。  続けてまたシュンゲツさんが能力を使用しようとしたその時。  ピーッピーッピーッピーッ!  突然警告音が鳴り響いた。全員の動きがピタッと止まる。 『警告、許可レベル以上かつ人体への能力使用を検知しました。能力発動者星4半黒鴉シュンゲツ。すみやかに能力の使用を中止して下さい。命令に従わない場合強制的に生死問わず拘束します』  何処からか機械音声が聞こえてきた。音の出処を探ると、今の今まで気付かなかったが部屋に備え付けられていたスピーカーから流れてきているとわかった。 「な、何ですかこれ⁉」  鳴り止まない警告音に俺は分からずに困惑してしまう。そんな俺とは対照的にタツヤさんは悪い顔で楽しそうにしている。 「あーあ、やっちまったなあ根暗。これでお前地下牢行き決定だな」  警戒を残しつつ、タツヤさんはそう言って笑っていた。 「うるさい‼ 黙れ‼ 殺してやる‼」  頭に血が上っているであろうシュンゲツさんが警告を無視してまた手をかざす。 (待って、さっき確か『生死を問わず』って!)  先程の機会音声の言葉が頭をよぎって、背筋が寒くなった。 「シュンさんやめて下さい‼ 殺されてしまいます‼」  必死に静止を求める俺の声にほぼ重なってまた機械音声が流れる。 『抵抗の意志を確認。5秒以内に能力発動を中止しない場合狙撃します』 「シュンさんッ‼」  叫ぶとまた首の後ろが熱くなった。 「……ッぐ……⁉」  するとバチッという衝撃音と共にシュンゲツさんが呻いて、膝をついた。突然の事に俺もシュンゲツさんも、タツヤさんも驚いた顔をしている。 「……な、何だ、体が……」  腕を上げようとしても、わなわなと震えるだけで動かせないようだった。まるで痺れているようだ。  それを見て、タツヤさんが何か思い至ったらしく「あー…」と呟く。 「お前そんな状態でも強制力使えるのかよ」 「え」  タツヤさんの指摘に驚く。またしても強制力のせいだったらしい。意図しない強制力の発動。二回目だ。確か一回目でも首の後ろが熱くなった事から、発動する時首に熱が集まるらしい。……もしかしてマスターの力の源のようなものが首の後ろにあるのだろうか。等と、今の状況から外れた事を少し考えてしまった。 『対象の沈静化を確認。狙撃中止。拘束します』  シュンゲツさんが動けなくなったのを確認したのか機械音声が流れた。  そして、廊下の方から駆動音のような音が聞こえてきた。そしてどんどん音が大きくなってくる。近づいてきている? 一体何が来るんだと首を動かして視線をドアの方へ向けた。 「え、ろ、ロボット……⁉」  シュンゲツさんが破壊したドアから何体ものロボットが資料室になだれ込んできた。そのロボット達は膝をついているシュンゲツさんを取り囲むと、シュンゲツさんを縛って拘束した。 「離せ‼ あのクソ野郎は生かしておけない‼」 「どんな理由であれ人体への能力使用は許可されていません。大人しくして下さい」 「畜生ッ……」  し、喋った。このロボット喋った。人工知能でも搭載しているのだろうか。 「こ、このロボット達は」 「なんだよそこは思い出してねーのか。お前をマスターに選んで俺達を統率している上層部……運営のスタッフだよ」 「え⁉」  タツヤさんが何でも無い事のように言った内容に驚いた。ずっと連絡を取りたかった運営のスタッフ達が目の前に来ていたのだ。スタッフが人間ではなくロボットだったのは想像もしていなかったが。  やはり異世界、AI技術やロボット工学も元の世界とは違うレベルで発展しているのだろうか。 「マスタートモ」  突然声を掛けられた。声の方を向くと一人の黒服を纏った女性が近づいてきた。この人は……? ロボットじゃない? いつ入ってきた? (いや待って俺裸‼)  女性に、手を拘束されて全裸で精液まみれの体を晒すのはセクハラにあたるのでは。狼狽えたが、女性は至極冷静に俺の手を拘束していた紐をハサミで切って解いてくれた。 「貴方もご同行願います。……すみやかに身なりを整えて下さい」 「は、はい」  呆然としつつ、ようやく机から体を起こす事が出来た。まだ足腰に力が入らない。立っていられなかった為、床にしゃがんだ状態で傍に落ちていた自分の服を慌てて掻き集めて着始める。……体の外と中に出されてしまった精液を洗い流したくて仕方が無いが、全裸でいるよりはマシだ。 「俺はー?」 「貴方もマスタートモへの暴行の件について問い質す必要があります。ご同行を」 「チッ」  着替えている間に聞こえてきた会話から、タツヤさんも連れて行かれるらしい。  俺達は三人揃ってロボット達に連れられて資料室を後にした、 ◆  こんな状態の体でいたくないなと思っていたら、なんとお風呂に入らせてもらい、新しい衣服まで用意してくれた。すっきりした状態で連れて行かれたのはドラマ等でよく見る取調室のような場所だった。こんな場所あったのか……。シュンゲツさんとタツヤさんは別の場所に連れて行かれたようだった。  中央に置かれた机、その傍の椅子に腰を掛けて待つように案内されてそこへ座り現在に至る。 「……」  居心地が悪い。部屋の入口に、まるで俺を見張るように一体のロボットが立っている。先程の女性は俺を案内してから席を外している。  それに、今だって先程までのタツヤさんとの間にあった事を飲み込めてないし、何だか自分の心に変化が起きたような感覚も消えてない。しかしそれがなんなのかわからない。 (俺、レイプされたんだ……よな。とても嫌だった筈なのに、無理矢理されて、抵抗したかった筈なのに)  自分の精神状態が自分でわからなかった。泣き叫ぶべきだ、とわかっているのに。そんな事より……もっとして欲しかったな、という欲が溢れてきて、落ち着かなかった。自分が、信じられない。 「お待たせしました」 「!」  顔をうつむかせて悩んでいると、黒服の女性が部屋に戻ってきていた。俺の向かい側の椅子に座り、机をはさんで対面した。 「お聞きしたい事がありますので、暫くお付き合いください」 「は、はい」 「……しかし、先程の事で心に傷を負っているなら後日にする事も出来ます」  無表情で淡々と告げていた女性は、俺の様子をうかがうように少し間を置いた後にそう話しかけてきた。気を使ってくれたらしい。ありがたいが先程のシャワーと着替えだけでもだいぶ助かっているので気にしなくても大丈夫ですよ、と伝えようとした。 「あ、……大丈夫です。どうして僕が傷ついてるなんて思ったんですか? 僕はタツヤさんに愛されて幸せだったのに」 「…………」  口から飛び出したのは全く違う言葉だった。それに戸惑う。 「……あ、れ。ごめんなさい。ちょっと、混乱していて」  でも喋った事は別に間違っている事では無い、筈だ。戸惑わなくてもいいな、と自分に言い聞かせる。 「……精神状態の変調を確認。マスタートモ、まず確認します。貴方は記憶を失っていた、違いますか?」 「!」  指摘を受けて目を見開く。女性は静かに俺を見ていた。  誤魔化そうかどうか少し悩んだが、折角運営の人に会えたので事情を説明してこれからどうするべきかを話した方がいいと判断して、俺は口を開いた。 「……は、はい。少し前に倉庫で整理をしていた日より以前の記憶が無くなってしまったんです。それで、運営に連絡する方法とかも全部わからなくて、シュンさんに助けてもらいながら日課とかをなんとかまわしてきました」 「そして、先程の件で記憶を思い出しのですね」 「そう……ですね。でも思い出したのは切り取った一場面を二回程くらいで……大したことは……」 「……」  そうだ、大した事は無い筈だ。先程思い出したあの記憶は何だったのか気になるが、たった数分の記憶で俺に何かあるなんて思えない。  前世の事も含めて言うか、悩んだ。シュンゲツさんは信じてくれたがタツヤさんは信じてくれなかった。きっとタツヤさんの反応が正常なんだろう。言う事が、怖い。でも、言わなければ今の現状を相談出来ないのだ。 「し……信じてもらえないかもしれませんが、俺はこの世界で生きてきたトモとしての記憶を失った代わりに前世の記憶を思い出したんです」 「前世、ですか」  女性はその一言だけを返して、また静かに俺を見つめた。緊張で心臓をバクバクと鳴らしながら、落ち着いた口調で話すように気をつける。 「生まれ変わったとわかってからこの世界に馴染む為に記憶を戻せないか試行錯誤していました。日々の業務に慣れる方に引っ張られてはいましたが。なので、この世界の常識とかそういうのも分かっていなくて……トモと俺はほぼ断絶していたと言っても過言ではないかと思います。今は少し思い出せたので多少は」  女性は俺が言い終わると目をつむり、暫し沈黙した。  何処からか機械が動くようなキュルキュル、やらウィーンやらの動作音が聞こえる。扉にいるロボットだろうか。俺が音の出処を探っていると、女性は目を開いた。 「……事情を把握。その真偽は後で判断し、此方とそちらの情報の齟齬修正を優先事項とします。宜しいですか?」  とりあえず、否定されなかった事に俺は少し安堵した。 「はい。構いません」  女性は俺が了承した事を確認すると頷いた。 「此方も貴方からの定期連絡が途絶え、此方からの応答にも応えなくなったのを確認しています。しかし、定期連絡が途絶えたのは貴方が記憶を失ったという日より前の事です」  女性の言葉を、俺はすぐに理解出来なくて反応が遅れた。 「……え?」  怪訝な顔をして首を傾ける俺に、女性は言葉を繰り返した。 「貴方は記憶を失う以前から定期連絡を怠っていました」  記憶を失う前から連絡が途絶えていた?  初めて知る情報に瞠目する。いったいどうして。 (……まさか)  シュンゲツさんに聞いた話では、ある時から俺の様子がおかしくなったと言っていた。タツヤさんと意見をぶつけ合っていた筈の俺が、タツヤさんに依存するようになったと。  シュンゲツさんが負傷し、戦闘復帰した後俺とぶつかるまでの二、三ヶ月の間に何かがあったんだ。それが俺が思い出したタツヤさんを襲っている記憶か? 二番目に思い出した記憶は様子がおかしくなった俺とタツヤさんの情事の記憶か……? (でも、あの俺が襲っていた記憶には何かが間違っている疑惑が……いやそんな事は関係ない、だって僕はタツヤさんに受け入れられていればその他の事はどうだっていいんだ)  すっと、悩んでいた事がどうでもよくなる感覚がした。定期連絡を怠っていたからなんだ、記憶に間違いがあるからなんだ。先程のようにタツヤさんが愛してくれるなら僕は満足なんだ。 (……いや、違う、おかしい、何でそう思うんだ。まるで自分の中に相反する自分がいるような感覚だ)  手で額を押さえる。何だか本当に頭が痛くなったようだ。思考がおかしい。少し深呼吸をしてから俺は女性の言葉にようやく返事を返せた。 「……何かがあったんだとは思いますが記憶の無い今の俺では、正確な事はわかりません。でも、タツヤさんが関係しているのは間違いないと思います」 「把握しました。記憶を回復させる手段については運営の方でも探っていきます。これからは連絡の方法を教えるので週一回の定期連絡を徹底して下さい」 「は、はい」 「あの……何故今まで運営の方から此方に来なかったのですか? 見にくれば様子なんてすぐに分かるじゃないですか」  会話をしていてどうしても気になったので恐る恐る聞いてみた。女性はそれに何でも無い事のように答える。 「上層部には能力者がいません。基本無能力者が組織に属する程の力を持った能力者に直接会う事は危険性から禁じられています。マスターが唯一の例外なのです。連絡が途絶えた際、サーバー上にアップされた報告書から経過を観察し日課等を問題なく達していた状況から運営は静観を選びました。今回接触をはかったのは単に人体への能力使用という重大な違反を検知した為です」  ここに来て初めて知るルールの存在に驚きつつ、途端にシュンゲツさんの処遇が心配になった。 「……シュンゲツさんは、どうなるんですか」 「どんな理由であれ命を奪う目的での能力使用は重大な規律違反です。詳しくは上層部の決定待ちですが、少なくとも……暫しの謹慎状態にはなるかと」  少なくとも謹慎状態になる。やはり無罪放免とはいかないらしい。なんとか出来ないかと女性に頼む。 「……シュンゲツさんは俺を助けようとしてくれたんです。俺は、……僕は幸せだったのに。しなくてもいい助けをしてしまったシュンゲツさんをどうか許してください、寛大な処置を」 「……報告しておきます」  運営の上層部の人達がどんな判断を下すかわからない、もしかしたらもっと重い罰かもしれない。  そう不安を巡らせていると、先程の女性の言葉に違和感を感じた事を思い出した。 「あれ……接触禁止なんですよね、でも今貴女はここにいるじゃないですか」  接触禁止ならこの人だってここには来れない筈だ。既にこの人は能力者であるタツヤさんとシュンゲツさんと会ってしまっている。女性はそんな俺の疑問に表情を変えずに答えた。 「私は人間ではありません。AIを搭載したアンドロイドです」 「え」  信じられなくて疑いの目で見てしまった。それを察したのであろう、女性は白い手袋で覆われていた手を此方側に差し出してきた。 「私の手を見てください」 「手?」  白い手袋がゆっくりと外される。あらわになったその手を見て俺は心底驚いた。 「!」  指、手首の関節部分が球体関節になっていた。人間にはない、関節と関節の間に、人間の手のように可動させる為の機械のようなものが入っている。……生身の人間の手ではなかった。  会話に、何も違和感を感じなかった。人間としか思えなかった。まるで心があるようにしっかりと会話も出来ていた。異世界のAIはもう一つの霊長類を誕生させたかのように精巧なものなのか。 「私の個体名はA001です。普段、この建物にスリープ状態で待機しています。運営からの指令があった時のみ起動し、活動します。他のロボット達も自分の仕事以外ではスリープ状態で待機しています。」 「な、なるほど」 「寮の食堂で料理を作るのも施設全体を掃除しているのも施設維持等はロボット達が行っています。貴方は今の今まで目撃していなかったのですか? 今日までも問題なくロボット達は活動していたのですが」 「……ミラクル回避してたっぽいですね、ハイ」  食堂では機械で食べたいもののボタンを押せば受け取り口に料理が出てくるので裏に人がいて作ってるのかと思ってたし、ほぼ執務室に遅くまでいてそれから寮の自室に帰るという行動しかしないからなのか掃除してるロボット達とすれ違わなかったらしい。本当にどんなミラクルだ。  そろそろ本題に入りましょう、という女性の言葉に背筋が伸びた。 「貴方は先程、風神タツヤに強姦されていたという認識で合っていますか?」  ハッキリと言われて、俺の頭を先程の出来事がよぎる。 「…………た、ぶん。状況としてはそうなるとは思うんですけど」 「断言しない理由は?」  もごもごと口を動かしながら必死に考える。……気の所為ではない、やはり頭が痛い。自分の状態が通常じゃない事はわかるのに、それがうまく掴む事が出来ない。 「最初はとても嫌でした。逃げたくてたまりませんでした。でも、今思うとそうでもないというか……いえ、僕がタツヤさんに抱いてもらえるのは幸せな事なんです、とても嬉しかった、とても気持ち良かった、あのままずっと……!」 「マスタートモ、大声をあげないでください」 「! ……す、すみません」  自分の感じた事を喋るだけなのに、また変になった。何なんだこれは。思わず感情的になって立ち上がってしまっていた。女性に制されて大人しく着席する。そのまま頭を抱えて目を回していた。  混乱している俺を女性は静かに見ていた。 「……なるほど、事情はわかりました」  暫くして、女性は口を開いた。 「結論から言います、思い出した記憶に付随した感情に流されないでください。それは貴方のものではありません」  言われた言葉の意味がわからなくて、頭を抱えていた手を外し、顔を上げて女性の顔を見た。 「……どういう事ですか」 「今のあなたは以前のマスタートモが抱いていた感情によって精神に変調を来しています。……いえ、元に戻ってしまったとも言えます。そして、その状態は非常によろしくありません、とお伝えします」 「……、……抱いていた、感情……」  つまり、今の俺は当時のトモが抱いていた感情に取り憑かれているという事だろうか。相反する自分、……トモがタツヤさんに依存していた時の感情が。 「気づいていらっしゃるかわかりませんが、時折一人称が『俺』や『僕』にぶれていました」 「……そんな筈は」 「貴方が感情的になった際に『僕』へと変わっています」  全く意識していなかった点を指摘されて瞠目した。  今現在分かっているトモの情報では、一人称が常に『僕』だった事はシュンゲツさんからも聞いている。そして、ついさっきまでは礼儀正しさと周囲に不審に思われないようにという警戒から『僕』を意識して喋ってはいたが、俺の本来の一人称は『俺』だ。意識しないと『僕』には出来ない。それが無意識に、しかも感情的になった時に出ていた……。  ゾッと背筋が寒くなった。俺を俺の意識外から侵食されている、と同義だった。まるで常に後ろにトモがいて、俺の肩に纏わりついているような。 (ずっと感じている怖かった事が怖くなくなったり、嫌だった事が嫌じゃなくなったり……これは俺の感情じゃない。トモのものだ)  記憶を戻す事は俺の現在の目標だった。だってそうした方がこの世界では生きやすいと思ったから。だが、記憶を戻すという事は昔の自分に回帰して今の自分が消えるという事なのではないか?  何も知らず前世の記憶と地続きのリョウが、この世界で生きてきたトモに塗り替えられて、今感じている事も考えている事もトモの基準になってリョウを失う。  背筋だけじゃなく顔の周りがとても冷たい。今俺は真っ青な顔色をしているだろう事は鏡を見なくてもわかった。 「マスター、貴方のお名前を教えてください。貴方は誰ですか?」  女性の声にハッと意識を戻す。Who are you? と女性は言った。深呼吸をする。そうだ、俺は……トモじゃ、ない。 「ぼ……俺は、リョウです。中村……涼です」  俺は、女性の目をしっかり見て、俺を失いたくないという決意を持って答えた。例え記憶を戻してもトモには侵食されず俺のままでいると。シュンゲツさんが好きだと言ってくれたトモを消してしまう事だとしても、俺は消えたくなかった。 「マスタートモ改め、マスターリョウ。認識完了しました」  女性がそう宣言した。俺の中で決別を決意する俺と、回帰を望む僕の気持ちがぶつかりあっている。決意した途端からそれが緩みそうになるのを必死に抑えた。 「貴方は風神タツヤとの間に起こった事を主観ではなく客観的に把握する必要があると判断しました。思い込みや目に見えたものだけを判断してはいけません、俯瞰して捉えてください」 「俯瞰……」  記憶に付随した感情に囚われず、戻した記憶はまるで本を読むように捉える。そして、タツヤさんとの間に何があったのかを多角的に判断する。  女性の言葉に俺は深く頷いた。

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