10 / 41
1-9
蘇芳は呆然と、紺野を見上げた。
何が起こったのか、よく分からなかった。
気がつけば、蘇芳の身体は、上から紺野に体重を掛けられて、身動きが取れない状態になっていた。
「……紺野さん?」
紺野は無表情で、蘇芳を見下ろしていた。
紺野の手が、蘇芳のシャツのボタンに触れた。
――犯される?
紺野と須藤が過去に肉体関係を持っていたとしても、紺野が須藤に関係を強いたなど、蘇芳は信じていなかった。
紺野がそんな無分別な人間ではないことは、蘇芳は誰よりもよく知っているつもりだった。
だから、問い質しながらも、否定してくれることを、どこかで期待していた。だが紺野は、無言でそれを認めた。
自分を冷徹な眼差しで見下ろしている目の前の男が誰なのか、分からなくなってきた。
――紺野さんは……、僕がずっと頼りにしてきた紺野さんは、そんな人じゃなかったはず……。
シャツのボタンがいくつか外されたところで、蘇芳はようやく我に返った。
このままでは、犯される。
「やめてください! 何するんですか?」
叫び終えないうちに、頬に痛みが走った。
――え? 叩かれた?
左頬が、灼けるように熱い。紺野に平手打たれた事実を認識すると、蘇芳は猛然と腹が立ってきた。
「紺野さんって、こういう時に手を上げる人だったんですか。そんな人とは思わなかった……」
蘇芳が睨みつけると、紺野は頬に自嘲的な笑みを薄く漂わせた。
次の瞬間、また頬に衝撃が走った。
さっきとは比べ物にならないくらいの大きな衝撃だった。抗議する暇もなく、次の衝撃が走った。
紺野は何かが吹っ切れたように、続けざまに蘇芳を打ちすえた。
蘇芳は必死で避けようとしたが、紺野に圧し掛かられていて、まともに身動きが取れなかった。
紺野の手加減のなさに、蘇芳は肉体的な痛み以上に、本能的な恐怖を覚えた。抵抗する気力は、完全に奪われた。
「……やめて……、許して……」
蘇芳は哀訴したが、紺野は耳を貸す様子もなく、無表情で蘇芳を殴り続けた。
紺野がようやく手を止めたのは、蘇芳の意識が遠のきかけた時だった。
紺野は無抵抗になった蘇芳のシャツを、乱暴に割り開いた。
布がちぎれるような音とともに、ボタンがいくつか、弾け飛んだ。
紺野はまだ抵抗されることを警戒しているのか、手首あたりまで剥いだシャツで、素早く蘇芳の両腕を後ろ手に縛った。
もはや抵抗する気力も体力もないとはいえ、手の動きを封じられたことに、蘇芳は恐怖を覚えた。
そんな蘇芳をよそに、紺野は淡々と、蘇芳のジーンズを下着と一緒に引きずり下ろした。
紺野の指が、蘇芳の下腹部に伸びてきた。
掌で、そっと臀部を撫で上げられた。
蘇芳の身体に悪寒が走った。
――本気なんだ……。このまま、僕を犯す気だ……。
紺野に抱かれることを、想像したことがなかったといえば、嘘になる。
そんな日が来ても、それほど嫌だと思っていなかったからこそ、蘇芳は紺野の傍に居続けた。
だが、こんな風に暴力的に犯されることになろうとは、夢にも思わなかった。
――こんなの、嫌だ……!
臀溝をなぞる紺野の指から逃れようと、蘇芳は必死で身を捩った。だがその瞬間、乾いた後孔に指が突き立てられた。
「ひっ……」
引き攣るような痛みに、蘇芳は呻き声を漏らした。
「やだ……、やめて……」
蘇芳は喘ぎながら、指の侵入を拒むように、必死で後孔に力を込めた。
だがそんなものは、抵抗にすらなっていなかった。紺野は容赦なく指を根元まで押し込むと、指の腹で粘膜を抉った。
「あっ、あ、やっ……痛い……」
排泄器官に指を突っ込まれ、引っ掻き回されている。
そんなことは、あってはならないことのように思えた。不快感が込み上げてきて、吐き気を催した。
体内に押し込まれた指が動くたびに、蘇芳は唯一自由の利く頭部を、左右に大きく振った。
「……やめて……」
だが、いつの間にか、蘇芳の中からくちゅくちゅと、卑猥な水音が漏れ出した。
混乱と羞恥心のあまり、蘇芳は涙を浮かべた。耳を塞いでしまいたかったが、両手の自由を奪われた蘇芳には、それすらままならない。
――そんな……、どうして……。こんなの、痛いだけなのに……。
そんな蘇芳の動揺を嘲笑うかのように、指は二本、三本と増やされ、粘膜を掻き回される。
水音は次第に激しくなり、指が動くたびに、襞が指を搦め捕ろうとするかのように、収縮を繰り返しているのが、蘇芳自身にも感じられた。
――気持ち良くなんか、ないのに……。
だが蘇芳自身の思いとは裏腹に、下腹部は灼けるような熱を帯びて屹立していた。先端から、じわりと透明の液体が溢れ出した。
「あっ……、んっ……」
蘇芳は涎を垂らしながら、喘ぎ声を漏らした。
紺野の指で刺激された場所が疼いて、堪らなかった。知らず知らず、紺野の指の動きに合わせて、ねだるように自分の腰を振っていた。
ふいに、蘇芳の中から指がずるりと引き抜かれた。
――え?
急に刺激を失った襞が、紺野の指を恋しがるように、ぴくぴくと蠢いていた。
蘇芳は恐る恐る、紺野を見上げた。
紺野は、蘇芳を見てなどいなかった。どこか遠い目で虚空を見つめながら、紺野は蘇芳の内股を掴んで大きく広げた。
蘇芳の背筋に、悪寒が走った。
犯される恐怖と、物のように扱われる絶望感が綯交ぜになって、蘇芳は喚きながら、足をばたつかせた。
無駄な抵抗だと分かってはいても、従容と受け入れることなどできなかった。
次の瞬間、下腹部に引き裂かれるような痛みが走った。指とは比べ物にならない、猛々しく反り返った塊が、襞を強引にこじ開け、粘膜を擦り上げながら、ずぶずぶと入り込んでくる。
蘇芳は悲鳴を上げた。
強引に押し開かれる張り裂けそうな痛みと、強烈な異物感に、蘇芳の目から生理的な涙が零れた。
だが紺野は蘇芳の反応など構わず、激しく突き上げてきた。
硬い肉塊が、襞を擦り上げる。そのたびに、痛みに混じって、じわりと疼くような甘い快楽が込み上げてきた。その快楽は、蘇芳の理性を呑み込むように、徐々に大きく膨らんでいく。
――何、これ……?
苦痛なのか快感なのか、もはやは分からなくなってきた。肉塊を引き抜かれ、刺し貫かれるたびに、内腿が激しく痙攣し、背筋から脳天にかけて、衝撃が走った。
やがて頭の中が焼き切れたように真っ白になって、蘇芳の意識は遠のいていった。
*
どこからともなく、ほんのりと漂う甘い香りに、蘇芳は薄目を開いた。
――沈丁花……?
頭の中が、靄がかかったようにぼんやりしている。自分が今、どこにいるのかすら、よく分からなかった。
どうやら、気を失っていたらしい。
朦朧としたまま、香りのするほうに目を向けると、そこには、シャツが脱ぎ捨てられていた。
蘇芳は何気なく、シャツに手を伸ばした。
――紺野さんのシャツ……。
蘇芳が贈った沈丁花の香水の香りだった。
あの香水を贈ってから、時折紺野の身体から、ほんのわずかに沈丁花の香りが漂うようになった。
もっとも、蘇芳は病的といっていいくらい、匂いに敏感だった。
その蘇芳をもってしても、「ほんのわずか」にしか察知できないのだから、香水を身につけるというよりは、空中に漂わせる程度の使い方に違いない。
それでも、香水を好まない紺野が、わざわざ使おうとしてくれたことが、蘇芳には堪らなく嬉しかった。
「壊れた人形みたいだな」
平然とした、どこか冷たい響きのある声が、頭上から降ってきた。
蘇芳はシャツに伸ばしかけた手を止め、声のするほうに顔を向けた。
紺野は呆れたような顔で、蘇芳の下腹部に視線を投げた。
蘇芳は、自分が素っ裸のまま四肢を投げ出すような無様な恰好で、ソファの上に横たわっている事実に気づいた。
――そうだ……。僕、紺野さんに……。
ようやく、蘇芳は自分の身に起きた出来事を思い出した。
――今更恥じらっても、何の意味もないんだろうけど……。
蘇芳は足を閉じ、身体を縮こまらせた。
居たたまれない気分だった。
そんな蘇芳を慰めるように、甘い香りが鼻腔をくすぐった。
蘇芳は、紺野が脱ぎ捨てたシャツに手を伸ばすと、布に鼻孔を押し付けた。甘い香りに、涙腺が緩んだ。
そんな蘇芳の行為を見咎めるように、紺野が冷たい声で訊ねてきた。
「そんなに好きか? 血の匂いが」
――血の匂い?
一瞬、意味が分からなかったが、すぐに気づいた。
ヘモグロビンを研究対象とする紺野の衣類には、しばしば鉄分の匂いが付着していた。このシャツにも、確かに付着している。
――特に意識した覚えはないけど……、僕はもしかして、血の匂いのせいで、この人に気を許してしまったんだろうか……?
紺野が、シャツを蘇芳から奪うように取り上げた。
シャツを羽織りながら、紺野は蘇芳のほうを見ずに独り言のように呟いた。
「私から逃げたいか?」
蘇芳はのっそりと顔を上げ、虚ろな目で、紺野を見上げた。その視線に気づいたのか、紺野は僅かに眉根を寄せ、蘇芳を見下ろした。
互いの視線が交錯した。
紺野の鋭すぎる眼光に圧倒され、蘇芳は慌てて目を背けた。
――この人の冷たい目とか、横柄なところは、嫌いじゃなかった……。でも……。
だが、単に血の匂いに酔って、数年に亘って信頼していたのかと思うと、あまりにも自分が惨めだった。
――こんな風に、平然と犯すような人だったのに……。
とはいえ、まだ頭がぼんやりしているせいか、紺野から逃げたいと思っているのか、自分に問いかけても答えは浮かんでこなかった。
こんな目に遭わされたとはいえ、蘇芳にとって紺野は、蘇芳の性癖に寄り添ってくれた唯一の人だった。
蘇芳は小さく溜息を洩らすと、紺野から目を背けた。
「……そうか。当たり前か」
紺野は僅かに目を細めると、口の端だけで笑った。
どうやら紺野は、蘇芳が頷いたと捉えたらしい。
確かに、蘇芳が視線を逸らせた時、頷いたようにも見えなくもなかったかもしれない。
蘇芳は口を開きかけたが、それよりも早く、紺野の声が落ちてきた。
「だったら、逃げればいい。その時には、好血症だと触れ回ってやる。大島美鶴が、どんな反応を見せるか、興味深いな」
紺野は口早に言い放った。
その瞳は、背筋が凍るほどの残酷な色を帯びて鈍く光っていた。
ともだちにシェアしよう!

