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昼休みが始まったばかりのハンバーガーショップは、相変わらず学生たちで賑わっていた。
「蘇芳くんから誘ってくれるなんて、珍しいね」
美鶴がトレイを手に、明るい声を掛けてきた。
彼女のトレイにはチーズバーガーとナゲットとポテト、そしてロングサイズのドリンクカップが載っていた。
「蘇芳くん、すごく顔色良くなってる。前回のセッションの時とは別人みたい。前回のセッションで、意識の層が入れ替わりはじめたのね。見える世界が変わってきたでしょ。良いタイミングだから、次のセッションに進もうね」
美鶴は対面の席に腰を下ろしながら、熱っぽく捲くし立てた。
「……あの、美鶴さん」
蘇芳は、ミルクシェイクのやや太めのストローを指先で回しながら、意を決して口を開いた。
「あの、美鶴さん……今日は、ちょっと、催眠は……」
そこまで言って、蘇芳は小さく首を横に振った。
――そうじゃない。はっきり言わなきゃ、美鶴さんには伝わらないんだ。
先日の紺野とのやり取りを反芻しながら、蘇芳は美鶴に伝えるべきことを、頭の中で整理した。
蘇芳は顔を上げ、美鶴の目を見て、毅然とした口調で告げた。
「僕、しばらく催眠はやめておきたいんです」
ポテトを摘まんだ手を止め、美鶴はまじまじと蘇芳の顔を見つめた。
「え? どうして? あれだけ効果出てたのに」
美鶴の声が少しだけ大きくなり、近くの席のグループが、ちらりとこちらを見た。
「今、まさに《扉》が開きかけてるんだよ? これを逃したら、また深いところに閉じこもってしまうんだよ? 本当の自分に触れるチャンスを、自分で閉ざすの?」
「……いろいろ思い出したことが、自分でもまだ、受け止めきれていないんです。少し時間をかけて、自分で整理したいと思います」
「でも、それが《潜在意識》ってものなんだよ。頭で理解することと、魂で感じることは、全然違うの。蘇芳くんの魂は、もう目覚め始めてる。だからこそ、今、怖くなってるんだよ。顕在意識が抵抗してるの」
畳み掛けるような勢いで、美鶴は捲くし立てた。
美鶴の一言一言に反論しても、埒が明かないことはこれまでのやり取りで学んだ。蘇芳はひと呼吸おいて、口を開いた。
「そうかもしれません。……でも、今の僕は、催眠から離れて、ゆっくり自分の足で立って考えたいんです」
心臓の鼓動が早鐘のように鳴り響いていた。美鶴からの反撃を、蘇芳は自分が考えていた以上に恐れているのかもしれない。それでも、もう一度呼吸を整え、話を続けた。
「美鶴さんの力を否定するつもりはないし、感謝もしてます。ただ……今は、これ以上深く入り込むのが怖いんです。時間をもらえると嬉しいです」
美鶴は眉をひそめ、明らかに不満げな表情を浮かべた。
「もしかして、紺野先生に何か言われた?」
美鶴は明らかに疑いの眼差しで、蘇芳を見据えていた。
「……いえ。最終的には、僕自身の判断です」
美鶴の口から、舌打ちする音が漏れた。
本人も、無意識だったのだろう。美鶴はすぐに我に返ったように口元を押さえ、気まずそうに笑みを作った。
「……あ、ごめん、違うの。そういうつもりじゃ……」
声がわずかに上ずり、目を泳がせながら、ポテトの紙袋を無意味にいじりはじめた。
「ただ、なんていうか……ちょっとショックだっただけ。ね、気にしないで」
蘇芳は何も言わなかった。ただ、紙コップに手を添えたまま、黙っていた。
美鶴は、いつも強気で自信に満ち溢れていた。それが今、目の前で取り繕うように笑う彼女からは、どこか幼さと不安定さが滲んでいた。
「じゃあ……、ちょっとの間、休んでみようか。私はいつでも準備してるから、再開したくなったら、いつでも言って」
ようやく、ほんのわずかにトーンを落とした声で、美鶴が言った。
「ヒプノセラピーは万能だよ。ちょっと落ち着いたら、すぐにその意味が分かると思うよ」
「……はい。その時は、お願いします」
そう答えながら、蘇芳は胸を撫で下ろした。
――やっと、ちゃんと自分の意思を伝えられた……。
美鶴の信念に引き込まれるだけだった関係に、ようやく小さな《境界線》を引くことができた。
――紺野さんは、喜んでくれるかな?
浮き立つような思いが込み上げてきた。
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