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「あのー、紺野さん」
背後から追いかけてくる須藤を無視して、紺野は足早に廊下を歩き続けた。煩わしいから相手をしたくないが、そんな紺野の思いを汲み取る須藤ではなかった。
「何というか……、俺が言うのもなんですけど、あれはまずいっしょ?」
紺野の前に回り込んで、須藤が進路を塞いだ。やむなく紺野は足を止めた。
「何のことだ?」
「蘇芳君のことに決まってるでしょ」
須藤が口早に叫んだ。
「……ああ」
あれほどはっきりと拒絶をしながら、突然押し掛けてきた真意が掴めなかった。もっとも、偶然通りかかって、何か須藤とトラブルを起こしただけで、紺野とは無関係かもしれないが。
確かに、多少踏み込みすぎたかもしれない。
須藤が蘇芳のスマートフォンを盗んで、さも拾ったかのように装っていると主張していたようだが、おそらく蘇芳の誤解だ。
須藤は厚顔無恥の八方美人ではあるが、奸計を巡らすタイプではなかった。
嘘を吐くにしても、場を盛り上げ、聞き手を楽しませたいという思いが行き過ぎて、無自覚に嘘を吐き散らすか、その場しのぎの嘘を、まるで呼吸をするように吐いてしまうだけで、明確な悪意や、計画性ががあるわけではない。
もちろん、悪意がないからといって、容認できるものではないが。
事情はともあれ、須藤に説明する必要はなかった。
「あの子、あなたに本気ですよ」
須藤の言葉を無視して、紺野は再び歩を進めた。須藤が追いかけてきて、横に並ぶ。
「見りゃ、分かりますよ。おべっか使ってるのか、本気で慕ってるのかくらい。俺は必死であなたにおべっか使いましたからね」
唾を飛ばして捲くし立てる須藤が、不愉快だった。
「私は、君みたいな底辺の学生のことなんて、眼中になかったよ。わざわざ私に絡んでくる必要など、なかったんじゃないのか」
「……相変わらず辛辣ですね」
ようやく黙ったかと思えば、須藤は更に勢いよく捲くし立ててきた。
「そうですよ。俺の実力じゃ、到底あなたの目には留まらなかった……。俺みたいな奴が一発逆転を狙うなら、あなたに媚びを売る以外に手立てがないんです。紺野さん、自覚してないかもしれませんけど、えこ贔屓、相当ひどいですよ。あなたに嫌われた学生がどんな目に遭ってるか、知らないわけじゃないですよね?」
贔屓などしていない、実力のない者を切り捨てているだけだ――、そう思ったが、須藤に説明する必要はなかった。
「みんな、あなたを恐れて、敬遠していましたよ。嫌われたらおしまいだ、ってね。でも俺は、逆にチャンスだと思いました。もしうまく懐に潜り込めたら、それだけで勝ち組に入れるんですから」
「君はこの世界を、よほど舐めてかかっているんだな」
嫌味のひとつを言ったところで、須藤には全く響かない。須藤はお構いなく捲くし立ててきた。
「あなたのこと、本気で好きになるようなバカは、あの子くらいですよ」
紺野はようやく足を止めた。
「……好き?」
思わず紺野は噴き出した。
「蘇芳君も、そこまでの馬鹿ではないよ」
口をポカンと開けて、二の句を継げずにいる須藤を放って、紺野は足早に歩いた。
――彼の方から近づいてきたのではない。私が撒いた餌に、食いついただけだ……。
紺野は心の中で呟いた。
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