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第2話 新崎璃空①
人生19年を振り返ってみるに、挫折という感覚を味わったことが璃空はあまりなかった。
とにかく昔から記憶力と計算力は高かったから、それを基本にしている学校の勉強はよくできた。受験勉強対策で塾に通ったことはないが学校が土日に行っていた全国共通模試では20位を切ったことはない。
学生の本分に努力が要らないと余力で好きなことができる。親は勉強ができていれば満足な人たちだったので、それを逆手にとって彼らにほしいゲームやPC機材をご褒美として引き出させ、空いた時間は趣味に没頭した。
思春期には他の男子と同じく少々色気づいて彼女が欲しいと思った。学生時代というのは中学校なら運動が、高校なら勉強ができればそれなりにモテる。少々オシャレに気をつけたら、すぐに女の子からお誘いがかかった。
将来を期待してくれた先生に勧められて試しに書いた小論文が評価され、今の進路が早々に決まったのは18になった年の夏。お祝いにその時付き合っていた少々年上の彼女が大人の卒業式をしてくれた。
人生の大体は工夫すればなんとかなるものだ。
逆になんともならないことは早めに見切りをつけるべきだ。
璃空は自分が挫折するほど苦労や努力をしてきていない自覚があるので、変な期待を自他ともにかけることがない。
ただそういう相手は結婚相手にはいいが恋愛には向かなかった。
「お前、あの可愛い子と別れたんだって?」
大学の研究室で同期の男から尋ねられ、璃空は長い髪をかきあげ、殴り書きの数式が書かれたノートから顔を上げた。
「どの子?」
「かーっ! モテる奴は言うことが違うな。ほら、ちょっとぽっちゃり目のさ」
「ああ、萌子ちゃん。うん。別れた」
「またか?」
「うん、そう。また」
璃空は平然とした顔でこくんと頷いた。
早熟の天才と言われ、男ばかりの理工学部研究科には不必要だろうと言われるほどの8頭身の高身長にスーツが似合うスレンダーなスタイル。高い顔面偏差値と、紳士的な振る舞いもできるこの男。普通ならばやっかみをうけても仕方ない高スペックでありながら、学内では定冠詞付きで「残念なイケメン」の称号 をほしいままにしていた。
理由は必ず女の方から別れを切り出すからである。
同期は璃空の隣に座り、神妙な顔を近づけてきた。
「俺、預言者になるわ。お前はそのままぼんやりと40歳を過ぎて、ふと子供が欲しくなって結婚相談所に行ったら「顔はいいのにね」って言われるタイプだ」
「もしくはその頃には、禿でデブで持病持ちとかになってて、「できれば子供産んでほしいので、20代の女性お願いします」とか注文つけて、結婚相談所から総スカンを食らうんだ。っていうか、俺はなっててほしい。じゃなきゃ大声で叫ぶぞ。神は死んだ! ってな。40過ぎてもそのスペックで当たり前のようにかわいい奥さんと一男一女に恵まれた家庭とか手に入れてたら、人生が不公平すぎるだろ」
別の同期がシャーペンの頭を親の仇のように噛みながら、机を挟んだ体面から恨めし気な眼差しを向けてくる。璃空はははは、と笑った。
「出た。みんなが大好きニーチェさん。暗闇ばっかり見てると、自分も暗闇に吸い込まれちまうよ」
「なんだお前。失恋したってのにその余裕。次の相手がもういるのか?」
「ううん。今はフリー。喧伝しといてよ。誰でもウエルカムだから」
「ああああ、モテ男が! そんなセリフを一度でいいから言ってみたい!」
「喧伝してもいいけど、いい加減にしないと「博愛守主義の不感症」なんて悪評だけが広がって、ほんとに「顔はいいのにね」って言われて避けられるぜ」
「そうそう。自分のスペックに甘えてないで、ちょっとは関係を続けていく努力をしろよ」
「してるつもりなんだけどねえ」
浮気はしない。誰かと付き合っている間はその相手以外から粉をかけられても絶対に応えない。
アドバイスは聞かれるまでしない。聞かれても極力相手に寄り添って話を聞く側に回る。
嫌がることはしない。キスもセックスも焦らない。そこへ至る前にはまず密なコミュニケーションをとる。セーフワードは必ず会話の中で聞き出しておく。
おおよそゼミ仲間が話しているモテる男のノウハウをほぼ網羅して使いこなしている。
にもかかわらずいつのまにか彼女の方が泣きだしていて、ごめんなさいと去って行ってしまうのである。
璃空はノートに目をやると口元にアルカイックスマイルを浮かべて小さく息を吐く。
まったく嫌味なところはないその顔に、同期の男たちはただただ完成された美を見てほうっと一瞬目を奪われた。
「お前が女だったらよかったのにな。そしたら俺は間違いなく今ここで慰めるついでに口説いてる」
「やめとけよ。あいつが振られる原因は女の側があいつのレベルの高さに自分の惨めさを知って、落差に打ちのめされて離れちまうからなんだからさ」
「ホントにお前残念なイケメンだなあ」
男二人が大きくため息をつく。璃空の周りは常にこんな感じだった。
「誰でもいいんだけどね、俺は。付き合ってみないとわかんないもんだし」
「そういうのが逆にダメなんだよ。ちゃんと好みをはっきりさせとかないと被害者が増えるだけだ」
「でも好みは一貫してんじゃん。ぽっちゃり系だろ?」
「うん。抱き心地がいい子が好き。普段でもベッドでも」
「巨乳?」
「いや。どっちかっていうと尻かな。下着が食い込む感じのおしりとか太もものむっちり感とかいいよね」
「下半身フェチかぁ。普通に真正のエロ男子だな、お前」
「清楚で紳士な外見とのギャップが大きすぎるのか」
「それがいいって女もいるけどな」
「差異が大きすぎると情報量の落差過多で処理落ちすんじゃね? そんな人だと思わなかった、とか」
「俺自身はそういうことは言わないんだけどな」
璃空は腕を組んで首を傾げた。
むしろ付き合い始めたらまず相手がどんな人物なのかを璃空は知りたくなる。その人の素の状態が何かを見極めようとするのだ。
そのためにはむしろ繕ってほしくはない。そのままがいい。
「長く付き合っていきたいんだよね」
璃空がそう言うと動機たちははぁ? っと怪訝な顔を同時に向けた。
「どの口がそれを言う?」
「りっくんいつもの言ってみて」
「聞きたいか、俺の交際歴」
「最短」
「3日」
「最長」
「半年」
「おお、記録更新だ。武勇伝武勇伝。ぶゆうでんでんででん」
「ふっるーい!」
あはははとみんなで笑う。いつものやり取りがツボにはまって暫く腹を抱えてしまった。
同性との付き合いはとても楽しい。特に大学に来てそれを璃空は痛感する。
対して中学校までが一番地獄だった。学力レベルも、性格も、趣味も、嗜好も、性別も、全てのカテゴライズがごっちゃだからだ。
そういった多様性の中で我慢だったり、すり合わせだったり、他者理解を育てるのがその年代の教育目標である。しかし一方で仲良くできないのは悪だ、という人員管理上のルールも押し付けられる。その二枚舌が社会なのだ、と学ぶのには良い教材であるかもしれないが、専門性と学力によって大分似たような面子になってくる高校生になるまでは大変息苦しかったし、大学に入るまでは高校でも多少なりともマスクを常につけているような感覚はあった。。
付き合う前の萌子はそんな気負いがなかった。
ダンス教室で悠翔と3人でバカばっかり言いあって、踊って、笑って楽しかった。ホールドのコンタクトの相性も悪くない。彼女となら自然体のまま、長く付き合っていけるかな、と思った。だから交際を受け入れたし、なんとか半年も持った。
けれども付き合っている間に最終的な結果はまた同じになった。
「でもほんとにさ。長く穏やかに付き合いたいんだ、俺は。だから無理しない相手を探してるだけなんだけど、何がだめなんだろうね?」
「お前のその言い分は今のスペックがあるから言えることで、同じことを俺らみたいな冴えねえブ男が言ったらただの傲慢じゃねえ?」
「それに恋愛の醍醐味って、互いのために切磋琢磨して人間性磨くわくわく感みたいなところ、あるじゃん。自分は必死になって可愛いくなろうと努力してんのに、相手は余裕綽々でその努力の結果を享受してるだけ、ってのはさ、客観的に見たら労力の搾取よ、あなた」
「そう?」
「お前はお前のために努力してる女の子たちに対して何を返してあげたの? 可愛いね、って言葉以外に」
「それ以外何かあるの?」
「クズだな」
「クズだわ」
「ええ! なんで? 褒めてあげる以外に何があるんだよ」
「わかってないわ~」
「わかってないねぇ」
同期の男たちはしみじみと言って首を振るのでした。
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