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第3話 Shall we dance?①

 ぎらつく黄金色の太陽。  透き通る青い空。  白い砂浜。  深いマリンブルーの海には瑞々しいオレンジが入った駕籠を掲げる褐色の女性がよく似合う。 「その女性のところがそこそこ肉厚の男性であるのが大きく違うんだけどな」  休憩用の簡易椅子に座った璃空がペットボトルの水を口にする隣で、佐々木はスタジオの中を見回して言った。  彼の視線の先には肉厚の胸筋と、引き締まった腹筋と、ボリューミーなお尻を比較的体のラインが分かる運動着で惜しげもなく晒してなお笑顔でいる悠翔がいる。その周りをいつものサンバチームの中年男性が取り囲んで楽しそうに話をしていた。 「でも悠翔君は確かに南国娘っぽい雰囲気ありますよね。それにみんな仲がいい。カリブっぽい」 「悠翔君の個性だろうね。緩衝材になってくれる。愛されキャラなんだろう。何よりあの腰つきがいいね」 「あれ、先生も腰フェチですか?」 「フェティシズムについて言うならそうかな。まあ、そういう性的な意味合いだけじゃなくて、彼の動きはすごく『いい』だろ」 「そうですね」  集団の中では一番悠翔が経験が少ない。にもかかわらず、彼の動きは烏合の衆の中で南国のマドンナに見まごう程に突出して切れがいい。  中年よりは覚えがいいとか感性が瑞々しなど年齢的な点もあるが、基本的に悠翔は真面目なのだ。璃空のように天才的に覚えがいいということはないが、教えられたことは素直に呑み込んで、コツコツと練習で積み重ねて身に着けていく。  佐々木に言わせれば個性などというのは飽き症の言い訳にすぎない。何事も基本がまずあってこそであるという。その点において悠翔はステップのベーシックがきちんと押さえられている。やりにくいからとか、おもしろくないからとかで自己流のアレンジを加えることはない。  だから動きに無駄がなく、洗練されている。本人が卑下している上手い下手の理由は単純に彼が必要とする練習量の問題で、ほぼ毎日スタジオに来ている璃空と多くても週3回ほどしか来れない悠翔では結果に違いが出て当たり前なのである。 「しかし練習量が同じなら、彼はそこそこいいダンサーになれるんじゃないかな。彼は自分の身体の使い方をよく知ってるね。ワルツって体形じゃないからって彼はサンバを選んでたけど、ラテンで正解だった。踊る際の筋肉について、どうすればどこが動くか、ちゃんとコントロールできている。小さい頃から運動してたんじゃないかな。なんか聞いてる?」 「聞いたことないですね」 「筋肉質でありながら非常にしなやかだ。君はどちらかというと覚えはいいけど、表現については体がまだ固い方だから、柔軟を手伝ってもらった方がいいかもしれない」 「お願いしてみますよ」 「ところで、メッセージはみてくれたかい?」  佐々木は紳士的な笑みで璃空を見る。スクエアの眼鏡の向こうから、少し色素の薄い紳士的な眼差しが向けられていた。 「言ってるじゃないですか。俺は大会とかには出ないって」 「費用の心配をしているならそれはこちらで持つと言っているじゃないか」 「俺を大会に出したいのは、才能云々じゃないんでしょ?」 「ははぁ。お姉さま方からいろいろ聞いているようだね」  佐々木はにやにやと笑う。璃空はちらっと休憩中の彼の姪を見た。ちらちらと彼女がこちらを伺っている。佐々木は笑顔で軽く手を振った。 「今はフリーなんだろう?」 「そうですが、やめた方がいいですよ。俺と付き合った女の子がどうなるか、先生だって噂で聞いてるんでしょ?」 「武勇伝はかねがね。だがそれは去って行った彼女らの力量不足が問題だ。むしろあの子は君をさらに成長させてくれる」 「俺が潰されるのでは?」 「別れたからってここをやめろとは言わないよ。むしろ君は当て馬でね」 「当て馬?」  璃空の端正な顔が曇る。佐々木はにやにやとした顔でちらっと璃空を見た後、姪っ子の方へ視線をやった。 「大会に出るにはパートナーがいる」 「そうですね。あの人には前から続いているパートナーがいたのでは?」  璃空はブスっとした顔でペットボトルの水でちびりとのどを潤し、佐々木から視線を逸らした。 「解消してしまったんだよ」 「は?」  ペットボトルの締めた蓋がめきゃ、っと音を立てる。璃空は細い目を最大限に押し広げて佐々木を見上げた。 「大会までそれほど時間がないでしょう? そんな時期に? なんで?」 「さて。私はプライベートにまで介入する方じゃないから、あの二人に何があったかはわからない。ただはっきりしている事実は二人はパートナーを解消し、しかし大会に出るためにはその資格を有している別のパートナーを用意して登録しないと出られない、ということだ」 「それを俺に?」 「タイトルこそないけれど、出られるランク(資格)は持ってるだろう?」 「そりゃあありますけど、未就学児からやってる彼女と俺じゃあバランスが取れないでしょう?」 「だがこの教室を見てもわかるとおり、ソシアルで男性の競技者は貴重だ。あっち(リーダー)はパートナーをとっかえひっかえできるかもしれないが、こっち(フォロー)はそうはいかん」 「だから俺、ですか? それってそのままいったら専属になりません?」 「ははは。うぬぼれてはいけないよ、璃空。言っただろう。君は当て馬だって。君だってわかってるように、君とあの子の経験とそれに伴う実力は雲泥の差だ。彼女は貪欲な女性だ。自分に釣り合う相手がいれば、さっさと乗り換えるだろう。君はその王子様が現れるまでの『つなぎ』でいい。もちろんその間にプライベートにどのような『交流』をしようと私は関与しない。好きにすればいい。君が泣こうがあの子が泣こうが、私はこの教室の去就を指示することはないよ」    佐々木は璃空を見て軽くウインクする。たったそれだけの仕草でもダンスの先生ともなればその気のない同性すら魅了する。璃空はそれ以上逃げが打てずにむむっと唸った。 「言質、取りましたからね。先生」 「で? 答えは? 後で、なんてもう逃がさないよ」 「いいですよ。お引き受けします。もし先生から見て彼女に見合う相手が出てきたら、その時俺と彼女がどういうプライベートでも、交代させてください。あと、もう一つ、お願い聞いてもらえます?」 「いいよ。できることならね」  にこっと笑顔で応える佐々木に対し、璃空はすっくと立ちあがるとその『お願い』について話をし始めた。

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