12 / 29
第4話 君に恋してた②
ラテンダンスペアとして初めてパートナーを組んだ璃空に対し、紗季の評価はまずまずだった。
一年の間にみっちり佐々木の元でラテンのスタンダードを叩きこまれ、技術は申し分がない。
細くてひょろ高かっただけの子供の身体から、踊るためのしなやかな大人の男の肉付きにだんだん変わってきている。
悠翔から教えられたラテンの基本動作を一人の時も必死で復習したおかげでずいぶん体も柔らかい。
それらの総合力としての表現は、19歳のひよっこにしては大人びていた。
「でもあなたを一生のパートナーに選ぶことは、絶対にないと思う」
聞きようによっては大変厳しいセリフだったが、璃空は「ああ、そうですか」という感想しかない。無言で汗の滴る顔をタオルで拭った。
「じゃあ早く適切な相手を見つけて下さい。一応どのステップも基本は身に着けてますが、俺はスタンダードがメインなんで」
「ホントそうね。君と踊ってると、タンゴが聞こえてくるわ」
「……さっき踊ってたの、ルンバですよね?」
「そういうんじゃなくて、君の表現がスタンダードナンバーぽいってこと。浪花節なのよ」
「浪花節……」
「技術以上の面でラテンを踊るには、現実に配偶者や恋人がいようと、ダンスをするときは目の前のパートナーと恋に落ちないと。ラテンはいずれ結ばれる関係が恋のイニシチアブを巡って求めあう駆け引きを楽しむ情熱 なんだから。でも君、私の事見てなかったでしょ」
「見てましたよ」
「見てないね。私は君に恋をしているのに、君は私を見ているようで見ていない。私を通した誰かを見てる。そんなんじゃ、恋は全部一方通行でしょうが。ワルツならそれでもいいんだろうけどさ」
「いいんですか?」
「佐々木先生に聞いたことない? ワルツの起源は求愛。基本的に男の片思いの恋。それをダンスという一つ到達点を通して、へりくだって、お願いして、傅いて、愛してほしいと想いを伝え続けるの。だからダンスをする前から終わった後まで男役 は始終女役 に頭下げて、恭しく手を取ってお願いしてるでしょ?」
「それを言うならダンス中もですよ。佐々木先生からは男は添え物だって覚えとけってよく言われました。いかに女性を心地よくさせ、そのドレスを美しく見せるのかが腕なんだって」
「そのアドバイスを忠実に守りすぎたせいで君、次々と女に振られてたのね、きっと」
「そうなんですかね。俺自身は理由がわからなくて」
「私から言わせれば恋は常にエゴであり情熱 だわ。ワルツはそのあたりを高尚な文学臭で誤魔化してるけど、あれだって下世話な言い方したら礼儀正しく『ヤらせてくれ』っていってるのと一緒じゃない?」
「身も蓋もない言い方しますね」
「結局恋は、何をどう取り繕ったって相手の深い領域に踏み込みたいっていう身勝手な欲望なのよ。その相手は一個の人間である限り、拒絶する可能性を秘めてる。だから踏み込む側は手に入らないかもしれないという恐れを抱いてるもの」
「へぇ~……」
「そういうとこだよ、君は。その見てくれの良さで告白ばっかりされてきたんだろ。女の子の恋心に甘えて! でも恋してるとね、その恐れを抱いてる自分を踏みつけてでも、相手に近づきたいと思うの。その情熱が恋だし、ラテンの根底なのよ」
紗季に言われて、璃空はいつだったか同期たちが自分に投げつけてきた言葉をふと思い出す。
女の子に可愛いと、素敵だと全肯定する以外に何をお前は返したのか、と。
それはつまり、彼女らの璃空に踏み込みたいという恐れと、その恐れを知りながらさらに近づきたい、交わりたいと思う情熱に、どれだけ応えたのかという意味だった。そう璃空はようやくここで理解できた。
確かに踏み込まれたことへ紳士的に返すことはしても、自分から彼女らへ踏み込むほど何かを返した覚えはない。別れたいと言われた時ですら、それを全部受けいれて笑顔で見送りさえしていた。それは女の子に限ったことじゃない。これまでの人間関係は性別問わず、ほぼそういう対応だったのである。
ただ、悠翔を除いて。
「わ……」
意識した璃空の顔が急に熱くなってきた。
―――――君が辞めたら、俺も辞める。
悠翔を引き留めたあの時に聞いた胸の鼓動が耳の奥にその時の記憶と共に蘇ってくる。
―――――悠翔君がもし辞めるんだったら、俺は悲しい。
とにかく必死だった。
彼と別れるのが嫌だった。
触れれば拒絶されるのではないかと初めて恐れた。
半ば脅迫でしかない言い方に今から振り返れば嫌悪感が沸くが、その時はもうそれを慮る余裕はなかった。
なりふりを構っていられなかった。
怖くても、みっともなくても、失いたくなかった。
璃空の中ですとんと何かが落ちて、視野が明確になった気がした。
「ああ……そうか」
それは、恋をしていたからなのだ、と……。
ともだちにシェアしよう!

