18 / 29
第7話 ナイショの二人①
悠翔の住んでいる学校の寮は4階建てで、ほぼ男性専用となっている。
学校とバイト先の中華料理店を繋いだ線のちょうど中間にあった。悠翔がバイトしている中華料理店は立地条件と生活上の利用のしやすさから、料理学校に通う生徒の賄であり修行場として昔から利用されている。時給はそれほど高くない。だから稼ごうと思ったら少々残業等は必要になる。学校が終わってからバイトに入った日は、帰る時間は日付が変わる頃になった。
学校の寮と言っても各部屋はほぼ単身用ワンルームのマンションと同じだ。6畳間リビングに、ミニキッチンがあり、洗濯機を置くスペースがある。ただ普通のワンルームと違うのはビルの一階が銭湯になっているところだ。風呂場は大浴場を、トイレもお客様と共用になっている。早く帰ってこられたらこの風呂に入れる。男子にはおおむね好評なのだが、女子が入ってこない理由でもあった。
バイトで遅くなるともう釜の火は落とされている。そういう人のために部屋にはシャワールームがついていた。
「盛り過ぎたから、オカズのおすそ分け」
シャワーから出てきてスマートフォンの通知を見ると、友人から動画付きのメッセージが送られている。知っている名前だからウイルスではない。いつもなら寝る前の手慰みに開くところだが、今日はそんな気分になれない。適当な返事をしてから、ダウンロードせずにベッドの上にスマートフォンを投げ置いた。その隣に壁を背にして悠翔は座る。ちらっと眼に入った部屋の片隅にある事務用の机、その上に置かれた卓上カレンダーを見る。
「まだ……1日」
次は3日後に。
名残惜しさを残して別れたあの日の昼頃から、一日しか過ぎていない。働いているときは忙しさに忘れているけれども、ふと一人になると体が璃空と踊ったダンスの熱を、交わしたキスの感触を思い出させる。
「ヤバ……また………………は……っ」
ムラムラと体の中心で欲望がテンションを高めていく。押しあげられたボクサーパンツの隙間に手が伸びた。
目を閉じるとまつ毛の長い、整った顔立ちの璃空がだんだん近づいてくる。
普段は「愛があればセックスなんていりません」みたいな紳士を気取っているのに、悠翔を見るその目は本気でラテンを踊るときのように獰猛で、ぞくぞくするほど艶っぽい。
長い腕と大きな体で身動きを封じられて唇を奪われる。
キスは巧みだ。情熱的に強く押し入ってきたかと思うと、優しく舌で愛撫され、悠翔があとを追いかけるとねっとり受け入れられ翻弄される。
壁が薄いのでシャツの裾を慌てて口にくわえて声を押し殺す。けれどもあまりの心地よさに鼻から抜ける甘い嬌声は止まらない。
「……!」
吐き出された欲情の証が手の中に生ぬるく溢れる。悠翔はそれをまじまじと見つめて、大きく息を吐く。枕元に置いたウエットティッシュをとると丁寧に拭った。
「また、やっちゃった」
実は璃空とワルツの練習を始めてから、何度か彼と抱き合う妄想をオカズにこんな夜を過ごしていた。
―――――入ってきたときから。ずっと、気になってた。
―――――ずっと、好きでした。
―――――僕を、君の王子様にさせてよ。
頭の中ではそう言って自分を見つめる璃空の姿しかない。その上……。
「新崎君も僕で……ヌけちゃうとはね」
余裕、と自信満々に胸を張った璃空の不敵な笑顔を何度も思い出す。もしかしたら彼も今、自分と同じようにあの時の感触を思い出して一人慰めているのかもしれない。それを思うとまたムラムラとしてくる。
自分が同性のオカズにされている。
もしそれが萌子の彼氏みたいな見知らぬ人だったら、きっと気分が悪かったに違いない。
でも璃空だから許せてしまう。むしろなんだかドキドキしてしまう。
ただ実際問題となるのはその時になったらどちらが抱く抱かれるという関係になるのか、という点だ。妄想の中ではそこまではっきりとした主導権が定まっているわけではない。
―――――試してみる? 俺の覚悟。
低くて少し掠れたチョコレートボイス。耳元でささやかれていたら腰が砕けていた。璃空が言うように悠翔も深く触れあいたかったから。でもどこか抵抗がぬぐえない。
「どうして軽く踊る時みたいに、いかないんだろう」
悠翔はまた深くため息をついてベッドから立ち上がると、手を洗いにミニキッチンへ向かった。
ダンスのレッスンやホームパーティーなどの非公式な場では、基本形式で男役女役が決まっていても、相手の動きを理解するために異性間でその役割を変更することもあるし、もちろん役目をころころ変えながら同性で踊ることもある。
どちらがパートをやりやすいのか、どうすることが楽しいのかという相性で役割が決まる。
セックスだってそれでいい。年功序列や男尊女卑が強かった昭和や江戸じゃああるまいし、男役女役なんて別に決める必要はない。
男同士のセックスの仕方なんて悠翔は知らないから、その手のサイトをスマートホンで調べてみたが、必ずしも挿入を伴うわけではないらしい。キスをして、抱き合い、互いの熱をすり合わせて、絶頂へ至るのだって精神的充足が得られるならセックスと言っていい。悠翔はそう理解していた。
一方ですでに童貞でなくなった時の経験が疑問を投げかける。
すでに男として他者の奥深くに己の熱の楔を穿つ快楽を知っているじゃないか、と。
璃空にこれまでの性経験について聞いたことはないけれども、紗季とのダンスや悠翔とのキスを鑑みて、童貞であるとは到底思えない。ということは口では「どちらでもいい」と言いつつも悠翔の中に入りたいと思っているかもしれなかった。
相手を、支配したい。
それは雄である以上本能のようなものだ。一糸纏わぬ状態で本能が剥き出しになるのを前に、イニシチアブについて考えないわけがない。ただあの場では処理と決断するための情報量が多すぎて悠翔は混乱するしかなかった。
璃空の望みをかなえてやりたい、とは思う。けれど自分が挿入 れるにしろ、相手が挿入 れるにしろ、その具体的な絵面が思い浮かばない。第一自分のようなむさくるしい男に、あんな綺麗な男が興奮している。その事自体がまだ悠翔の頭の中で整理しきれていなかった。
はあ、っと悠翔が溜息をついた時、ベッドの上でくぐもった小さな音が聞こえた。スマートフォンのバイブだ。悠翔はベッドに戻って画面を見た。璃空だ。昨晩もこのくらいの時間に電話をくれていた。
「お疲れさま」
通話ボタンを押して開口一番、璃空の眠そうな少し掠れた声が聞こえた。
「お疲れ。寝てたんじゃないの?」
「うん」
「もう一回寝なよ?」
「目が覚めたら、悠翔君の声が聞きたくなった」
何気ない一言にすら、悠翔の胸のあたりが甘く騒めく。
「うん、僕も。実は寝る前に、おやすみって、言いたかった」
悠翔はふと、女の子と付き合っている時に、彼女からそんなメッセージが届いていたことを思い出す。当時は受け取る側で、でもどう受け取っていいかわからなかった。
何気ない日常に、何気ない言葉をかけあうそれだけで一日の疲れがふっと軽くなる。
こんな気持ちだったんだな。ようやくわかった気がした。
「もう寝る?」
「うん。明日も学校とバイトがあるからね。あと1日がんばったら、またスタジオで会えるね」
受話器の向こうにいる璃空は静かだった。
寝落ちしたかな。
そう思って答えを待っていると、
「抱きしめたい」
熱っぽい口調だった。耳に直接接したスピーカーで聞くと、まるで耳朶を甚振られているような感覚になる、そんな声。さっき吐き出したはずの欲求不満がまた体の中でどろりとした熱をため込むのを悠翔は感じていた。
「抱きしめて、キスしたい。一緒に眠って、同じ朝に目覚めたい。悠翔君が好き。大好き」
吐息が、荒い。
受話器の向こうであのエレガントな紳士君が愛しい相手 を想って何をしているのか、悠翔は同性の勘が働く。
他の誰でもない璃空なので、彼の発情について拒否はしないが、戸惑いはある。そんな風に想われる相手に自分がなるとは思ってもいないからだ。
悠翔は生唾を飲み込む。もし自分が彼の立場だとして、何を言われたら、どうなるのか、興味があった。
「璃空……く、ん。僕も……………………大好き」
果てる際に耳元で囁くような小声で伝える。一駅分の距離を隔てた先、受話口の向こうで璃空が息を詰めているのが悠翔にはわかった。
かわいい。あの計算しつくされた端正な顔が、眉根を寄せて身を震わせているのかと思ったらぞくぞくした。
「……卑怯。その言い方はないよ。あのときのキスといい、悠翔君は不意打ちが過ぎる」
「あれはだって、ほら、我慢してる新崎君が可愛すぎて」
「Sだね」
「そうかも。じゃあ、もう僕は寝るよ。さっきも君で一回抜いたけど、今のでまたシたくなっちゃったし」
「は、るま君?!」
「おやすみなさい」
チュッと通話口に悪戯っぽくキスをして、即座に通話停止ボタンを押す。おやすみモードのボタンを押せば明日の朝まで一切連絡が届かない。
その間彼はどのように悶々と過ごすのだろうか。
それを考えると意地悪な笑いがこみあげてきて止まらない。今までの恋愛で手玉に取る側に立つことなど一度もなかったが、これはなかなかクセになるな、と悠翔はにやついた。
一瞬だけ盛り上がった熱も吹き飛んで悠翔はもう寝ることとする。
その前にふと視界に入ったカレンダーを再度確認して、明後日の夕方、スタジオに行くのが待ち遠しいような、怖いような複雑な気分でワクワクしてしまった。
ともだちにシェアしよう!

