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第8話 僕の王子様③
佐々木が耳元のイヤホンを軽く手で押さえる。スタッフからの準備ができたという合図が入ってきていた。
「ではレディースアンドジェントルマン、当スタジオ最後は、期待の若手によりますヴェニーズワルツです。どうぞ、お楽しみください」
佐々木が声高らかに宣言し、会場の照明が一気に落ちる。人のざわめきが収まるかと思いきや、慣れない演出に驚いた人々でざわめきが止まらない。
真っ暗になった会場の、広いダンスフロアの端にスポットライトが一筋当たった。
そこに立っていたのはラベンダーシルバーのテールコートスーツを身に纏う青年。会場がざわつく。去年の紗季と璃空を覚えている人たちは、今年もそれで来るものと予想していたから、出てきたのがサンバチームの肉付きのいいメインダンサーの悠翔だったので、少々期待が外れたのだ。
もう一つスポットライトが、今度はダンスフロアの中心に当たる。悠翔に向かって片膝をつく真っ黒な燕尾服の青年。彼は左腕を背に、右腕を胸にして首を垂れる。顔を上げたのは璃空で、洗練された美しさに会場にはさっきと違うどよめきがさざ波のように広がった。
璃空が立ち上がり、悠翔へとまっすぐにゆっくりと近寄っていく。彼は悠翔の手を求めるように手のひらを上にして腕を伸ばした。
バックミュージックにイントロが静かにかかる。
美女と野獣。
その選曲に会場内に失笑が生まれる。観客の目から見て美女とは璃空で、野獣は悠翔だ。その野獣が女役 をやる。意外性を狙った選曲だろうとは誰もが思った。
悠翔は全く表情を変えない。むしろ璃空だけを見つめ、口元にはかすかに笑みすら浮かんでいた。
目の前のこの紳士が恋に対してどんな獰猛な目をするのか。悠翔に発情してどれほどいやらしいキスをするのか。恋に焦がれて一人寝の夜に何度身悶えているのか。悠翔だけが知っているからだ。
本当の野獣は君だ、璃空君。
手を差し出す璃空に悠翔は大きく両手を開いてからボウ・アンド・スクレープで頭を下げ、体を起こして右手を差し出す。璃空がその手を恭しく取って、軽く唇で触れると悠翔を軽やかに引き寄せた。
ホールド。
バックにかかる生演奏の音楽と、璃空の内から聞こえてくる音楽が悠翔の中でシンクロする。それ以外の音は嘲笑も、感嘆も、ヤジも、応援も、一切のざわめきも緊張に高まる心音さえ聞こえない。強いスポットライトの中には璃空と悠翔しかおらず、お互いを包む香りが世界を二人だけにして白い世界に閉じ込める。
ヴェニーズワルツのステップはナチュラルターン、リバースターンの繰り返しと切り替えに繋ぐチェンジステップのみ。覚えることは少ないが正確さがなければぐるぐると回っている間にどんどんと移動範囲が大きく予定よりズレていってしまう。
それを璃空がコントロールする。皆が絶賛する長い腕と大きな足による信頼の安定感で。
悠翔はうっとりと回る。長いテールコートをたなびかせ、銀色のスパンコールでキラキラと光をはじきながら。羽になった軽やかさと、空を舞うような心地よさの中で。
最初こそ観客は凸凹に見える男二人の組み合わせに好奇の視線を向けていたが、音楽がだんだんと盛り上げるにつれて誰も二人のダンスをそのように見る事はなくなる。一見すると非常に重量感がある悠翔のしなやかで鍛え上げられた筋肉がもたらすスウィングは軽く、対して背が高すぎて頼りなさげに思われた璃空はしっかりと彼を抱きとめて離さない。
尊重と信頼。
それが作り出す二人の一体感で、黒と銀のテールコートが大きく美しく揺らめく。彼らのワルツは佐々木と璃空という長身二人の時とはまた違う、ダイナミックな見栄えの良さがあり、もはや笑う者は誰一人としていない。プロの精密さはないかもしれないが、心からの愛を語らう若き男たちのただただ美しい円舞に見惚れ、いつの間にか彼らを称える歓声をあげていた。
スローアウェイオーバースウェイでフィニッシュ。その瞬間に会場には割れんばかりの拍手であふれる。璃空に抱き起こされ、高々と片手を上げられて、悠翔は生まれて初めて感じるスタンディングオベーションの雨に呆然と打たれていた。
「言ったでしょ? 俺なら、悠翔君を気持ちよく踊らせてあげる、って。どう?」
「うん……す、っごい……キモチ……いい」
悠翔の頭の中はふわふわとしたままだ。まるで夢の中にいるような感じだった。それをしっかりとつないだ璃空の大きな手が現実につなぎ止めてくれる。
ばらばらだった鳴りやまない拍手がやがて一定のリズムをもってダンサーにもう1曲と催促をしてくる。
「え、なに?」
「アンコールだって」
きょとんとする悠翔の頭の中に、微笑む璃空の頭の中から甘いルンバの音楽が聞こえてくる。
「踊ろう」
璃空は悠翔の手を取って踊り出す。BGMはない。ただ璃空から聞こえてくる音楽だけで二人は踊る。
やがて彼らのリズムが拍手のリズムを作り、拍手のリズムが生バンドたちから音を生ませる。
流れ始めた音楽はSTAY WITH ME。
少し甘めの曲に合わせて、二人はスポットライトの下で熱い視線を交わして踊り続けるのだった。
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