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おまけ そしてワルツを一緒に①

 そのオーベルジュは学園都市の外れにあった。  予約は三日に一組だけ。  眺望やサービスが素晴らしいのはもちろんだが、何より料理が最高だという。地元の食材を使い、忙しい日々に疲れてしまった心と体に命が染み渡る奥深い味がすると有名だ。  オーベルジュのオーナーはその料理人で、彼自身も会えば常夏の太陽のような煌めきに元気になるとこちらも評判だった。 「お帰りなさいませ」  今日も予約していたヨーロッパからの客人が一組、オーベルジュを訪れる。  出迎えるスタッフは人種も性別も様々だ。しかしオーナーの方針で誰に対しても『家に帰ってきたような安心感』を心がけている。出迎える際もなれなれしくなりすぎず、けれどよそよそしくもなくあるようにとしっかり教育されていた。  客人をもてなすゲストフロアの広いメインルームにはアンティークなレンガ造りの暖炉が赤々と燃えていて、一五時を過ぎるとストンと日が落ちて気温が下がり始めるこのあたりの冬の夕暮れを暖めてくれていた。 「教授(プロフェッサー)はまだかね?」  客人がフェルトの中折れ帽を脱いで、スタッフにコートともに渡して自らの国の言葉で尋ねる。  彼が言う教授(プロフェッサー)とはこのオーベルジュの主のパートナー新崎璃空のことだ。  客人は学園都市内の大学で開催された学会に登壇するため、夫婦で来日していた。璃空とは同じ研究分野で知り合った仲であり、学会後の語らいと妻へのサービスを期待してこの予約の取れにくいオーベルジュの一晩を彼に頼んだのである。  しかし当のホストは半分彼の自宅でもあるこのオーベルジュにはまだ帰って来ていない。 「申し訳ございません。少々、帰宅が遅れると、先ほどこちらに連絡が」  そう言ってキッチンから出てきたのはこのオーベルジュの主だ。  新崎悠翔というこのコックにはうまい料理を作る者特有の恰幅の良さがあった。かといって味見が過ぎたラーメン屋の店主という感じではない。近所の人はオーベルジュが森の中にあることもあって、愛情を込めてクマちゃんという愛称で呼んでいた。 「先にお食事をなさいますか?」 「いや。我々は客であるが、同時に君たち夫婦と穏やかな語らいを求めてやってきた友だ。こちらが夫婦で来ているのに、ホスト夫婦が揃うのを待たないなどというのはマナー違反だろう」 「では軽くアルコールでも?」 「いただこう」 「マダムはいかがなさいますか? コーヒーや紅茶、ソフトドリンクもございますが」 「じゃあ紅茶をいただこうかしら?」  悠翔はかしこまりましたと軽く頭を下げ、メインルームが見えるカウンターキッチンでシャンパンと紅茶の準備を始める。  その間、我が家に帰ってきたような気やすさを覚える部屋の中を見回していた客の男が、暖炉の上に置かれた写真を見つけた。  佐々木ダンススタジオ。  そのように金色の御箔押しが施された木製フレームの中、少し色あせた写真には大勢のダンサー達が泣き笑いで立っている。今よりもずいぶんと若い姿の悠翔と璃空の姿もあった。  客人が写真まで歩いて行って、手に取る。 「オーナー、君と教授(プロフェッサー)はダンスができるのかね?」 「さあ、今はどうでしょう。長くやっていません。もうステップを覚えているかどうか」  苦笑いを見せて悠翔はシャンパンと紅茶を客人にサーブする。  しばらくして、スタッフが玄関先で新たな訪問者を出迎えた。 「お帰りなさい、教授」 「ただいま。客人はもう来てる?」  普通の日本家屋よりは高めに作ってある鴨居を少し頭を下げて、璃空がメインルームへと入ってくる。五〇を過ぎても決して緩むこともない無駄のないスタイルの、背筋がピンと伸びた長身にロングコートがよく似合う初老の紳士である。  悠翔は直接璃空からコートを預かり、それをスタッフへと渡す。璃空が茶色の手袋を外すと、左手の薬指にはプラチナの指輪が光っていた。 「お帰りなさい」 「ただいま、ダーリン」 「食事をすぐに」 「君も一緒にテーブルへついてくれるかい?」 「喜んで」  自然に悠翔と璃空は寄り添い、軽く頬にキスを与え合ってさりげなく離れた。

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