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ユウからの飲みの誘いに秒で、行く、と返信をして、七音 は急いでスタジオを出た。
待ち合わせ場所に行くとユウの側に背の高い男性が立っているのが見え、あれが噂のスパダリか、と興味津々で声をかける。
「ユウ君」
「あ、七音君。お疲れー。こちら僕の彼氏の美青 君」
「初めまして、大隅 美青です。いつもユウがお世話になってます」
すっきりと刈り上げた短髪の頭を下げてきっちりと挨拶をする。
「あ、ども。久遠七音です」
こちらも頭を下げて挨拶を返した。
七音と同じくらいの身長だが、鍛えているのであろう分厚い胸板と締まったウエストに均整のとれた体が羽織った上着の上からでもわかる。
「すっごい体っすね」
「ふふ、でしょ。美青はスポーツトレーナーなんだよね」
「あー、それで」
こりゃ確かにスーパーだな、と納得した。
「んじゃ、行こっか。アキさんはまだ編集さんと打ち合わせだから先に行っててって。ちょっと時間かかってるみたい」
「よく3人で飲みに行ったりするの?」
居酒屋の個室に案内され、七音は訊いた。
「んー、たまに。僕らの家でご飯作って一緒に食べたりねー」
「へー、めちゃくちゃ仲いいじゃん」
「まあね、美青がアキさんの心配いっつもするからさー。たまに健康チェックも兼ねて」
「別に、そういう訳じゃ。ちゃんとした生活してるかどうか、ユウだっていつも心配してるだろ」
「え?アキさん、そんなひどい生活してるようには見えないけどな」
「んー、まあひどい生活してるわけじゃないんだけど。アキさんはショートスリーパーっていうより、不眠症気味だから」
「そうなんだ」
「うん、アキさんから元カレさんの話、聞いた?」
「あ・・、スペイン人の。四年前に亡くなったって」
「うん、そう。で、未だにその人のお母さんから電話かかってくるの」
「え?元カレの母親から?へー、すご。親しいんだな、今でも電話するなんて」
「違う違う、逆だよ。恨み言の電話」
「は?恨み言って、なんで。アキさんのせいってどういうこと?」
思いもよらない話に驚いて七音は尋ねた。
「別にハビちゃんが亡くなったのは車の事故でアキさんのせいでもなんでもないんだよ?なのに、ずーっとアキさんのこと恨んでんの。ほんとにアキさんおかしくなるんじゃないかって思ってさー。ブロックするか番号替えるかしなよって美青とも散々言ったんだけど、アキさん絶対しなくて。電話かかってきたら絶対取っちゃって、ただ黙って相手が怒鳴るの聞いてるんだよ?夜中にかかってくることが多いから眠れなくなっちゃうの。ほんと信じらんない」
ユウが怒って弾丸のように話すのを聞きながら、あの時の電話か、と雨の日にナナシで見た悲しそうなアキの姿を思い出した。
「でももう四年も前だろ?未だに電話してくるっておかしくない?何を言ってくるわけ?」
「だからおかしいんだって。ハビちゃんが死んだのはお前のせいだ、とか、お前が代わりに死ねば良かったとか、ひどいこと言うんだよ」
「なっ、なにそれっ」
「変態とか、怪物とかっ」
「おいっ、ユウ。もうそれぐらいにしろ」
美青の声にユウがむう、と口を噤む。
そんなことがアキの身に起こっている、という恐怖にも似た衝撃が胸を冷たくして、七音はブルリと震えた。
「あ、悪い」
驚かせたと思ったのか、美青が声を落として七音に謝った。
「でもこういう風に本人がいない所で話すの良くないと思うから」
「あ、そか。だな」
「んで?七音君はアキさんと順調なの?」
ユウがケロリとして身を乗り出し訊いてくる。
「え?あー、よくわかんないけど、まあ、嫌がられてはないと思う」
「は?まだ告白してないの!?」
「うえ?いや、そういうのは全然」
「えー?もうてっきりつきあってんのかと思ったのに。なんで?早く告白しちゃいなよ」
「ちょ、ユウ。またお前は無神経なっ」
「でも、七音君、アキさんのこと好きなんでしょ?」
「あ、えーと・・・」
鼓動が早くなる。
「でも俺なんか、相手にされてないって感じだし。それにアキさんもてるんだろうな、って。かっこいいし、優しいし、あんな綺麗な顔でさ」
「へえ、七音君でもそんなこと思うんだ。そりゃあ、もてるよー。あ、でも、七音君、アキさんに顔の事は言っちゃダメだよ」
「え?顔の事って?」
「うん、綺麗な顔って、言われるのアキさん嫌がるから」
「でも、あの顔じゃあ言われるだろ」
「若い時にデビューしたことあった、って言ったでしょ?その時、小説よりアキさんの顔の方がすごく話題になっちゃってー。当時、ナントカ王子っていうのが流行った時だったから、アキさんも文学王子、とか言われてさ、色々、嫌だったみたい」
「ふーん、それで今は顔出しNGにしてるんだ」
「うん」
「別に俺、アキさんのこと、顔で好きになったわけじゃないけど」
「やっぱ、好きなんだ」
そう指摘されてビクリとする。
「最近アキさん、明るくなったっていうか、元気になったよねー。こないだ二人でいる時もすごく楽しそうに笑ってたし、七音君のこと・・」
「ユウっ、無責任にそういうこと言うなっ」
「わかってるけどー、美青は二人がうまくいって欲しくないわけ?アキさんに幸せになって欲しいじゃん。アキさんがこのままずっと一人だなんて、僕、嫌だもん。アキさんハビちゃん亡くして、その後ご両親も亡くしちゃったし」
「まぁ、そりゃ、そうだけど、人の気持ちは周りが勝手に言っていいことじゃない」
「もうっ、美青ってば、なんでそんなに冷たいんだよっ」
ユウが不満げに口を尖らせた時
「お連れ様がお見えになりました」
と声が聞こえて襖が開いた。
「あ、アキさんだ」
ありがとうございます、とにこやかな笑顔を店員向けてお礼を言うと、ジャケットにネクタイ姿のアキが入って来た。
「今晩は、アキさん」
「美青君、今晩は。元気にしてた?」
「はい、元気です」
今度は笑顔を美青に向けながら七音の横に座る。
「お疲れっす」
「あー、ほんま疲れた」
七音には砕けた声で言いながらジャケットを脱いでふう、と息をついた。
「なに?新しい連載、大変そうなの?」
「んー、まだちょっと模索中」
すでに飲み物を注文していたらしく、すぐにウーロン茶が運ばれてくる。
「お疲れ様でしたっ」
乾杯してアキがゴクゴクとウーロン茶を喉を鳴らして飲んだ。
「連載の打ち合わせって大変なんすね」
「長く担当してくれてる人だともっと楽なんですけど、新しい人だったからね。最初は色々と探りを入れながらで気疲ればっかりしてしまって」
ネクタイをほどいて首元のボタンを外す指に、冷たいアキの指先の感触が喉元に蘇る。
「七音君?で、どうだった?お買い物デート」
「あ、うん。アキさんに一緒に行ってもらって助かった」
「えー、いいなー、僕もアキさんにスーツ見立ててもらいたい」
「ユウ君は美青君に見立ててもらえばいいじゃない」
「美青はスーツとかはわかんないもん。体のことはよく知ってるけど」
「おいっ、変な言い方するなっ」
「別に今更照れなくてもいいじゃん」
「照れてるわけじゃないんだよ。誤解を生むような言い方はっ」
「あー、はいはい」
「相変わらず仲いいなー、二人は」
「アキさんは?最近、ちゃんと眠れてますか?」
美青が話を逸らすようにアキに尋ねた。
「うん、眠れてはいる。不規則だけどね」
「もっと自分の体、労わって下さい」
「はい、気をつけます」
「まだハビちゃんのお母さんから電話かかってきてるの?」
ユウがいきなり訊いた。
「うーん、最近はだいぶ減ったけどね。まあ、時々」
「もう、早くブロックしちゃいなよ」
「ユウ、いい加減・・」
「だあってさあ」
「ありがと、でも大丈夫」
「あの、ハビって・・」
と七音は我慢できずに会話に割り込んだ。
「うん。僕の亡くなったパートナー。ハビエルって言うんです」
「ハビエル」
「そう」
「その、ハビエルさんは、なんで亡くなったんすか?」
聞きたくないのに聞かずにはいられない。
「泥酔して車運転して、ガードレールに突っ込んでしまったんです」
七音の息が苦しくなる。
「アキさんは・・、アキさん一緒にいたんすか?」
「ううん、その頃、僕、親の介護で日本に帰国してたから」
「・・・そう。それで、なんで、それがアキさんのせいになるんすか」
「七音君、それは、今は・・」
「いいよ、美青君。うん、まあ、正確には僕のせいではないんですけど。でも、それでも心の整理がつかないことってあるでしょう?理不尽なことがあると、どうしてもどこかに理由をつけて、誰かのせいにしたくなる。もし、僕があの時、一緒にいれば事故に遭わなかったかもしれない。もし、前からもっとお酒を飲み過ぎないように注意していれば死ななかったかもしれないって。彼の母親は僕と出会わなければ、あんな目に遭わなかったかもしれないと思っているんです。僕を選ばなければもっと幸せになれたかも、普通に結婚して、子供がいれば違っていたのにって、思い続けているんですよ」
アキの柔らかい声に七音は苛立った。
「そんなの部外者が自分勝手に言ってるだけじゃん。人のせいにして。それにアキさんを選んだのは、ハビエルさんの意思だろ」
「まあね。でも人のせいにしてしか生きていけない人もいるんだよ。そうやってしか悲しみを癒せない人も」
「だけど、自分が悲しいからって人を攻撃して傷つけてもいい理由にはならないと思う。なんで、アキさんは黙って受け入れてるんすか」
「僕たちだけがこの悲しみを共有しているからです」
「それ、共有っていうの?俺には共有してるとは思えない。共有って、もっと分かち合うっていうか、一緒に大事にするもんじゃねーの?そんな一方的なもんじゃないし、ましてや傷つける為に使うとか、違うっていうか・・」
腹が立ってたまらない。何で俺はこんなに腹がたってるんだ、と訳がわからぬまま、鼻の奥が熱くなってグズッと七音は鼻をすすった。
「なんで七音君が泣くの?」
アキが優しく訊く。
クソッ、こんな時でもこの人は優しく話す、とますます腹を立てる。
「泣いてない。怒ってるんす。なんか腹が立つ」
「なんで?」
「わかんねーけど。多分、アキさんが怒らないから。アキさんがもっと怒れよっ」
グズ、と今度は美青が鼻を鳴らした。
「わぁ、美青、もらい泣きしてんの?」
とユウが声を上げた。
「え?嘘やろ?」
「泣いてません」
美青がこぶしで鼻を拭きながら横を向くと、ユウがよしよし、と言いながら美青の頭を撫でた。
「二人とも、カワイイなー。いいね。若い子泣かすの、ちょっと気分いいかも」
「きゃはは、アキさんドSー、僕も泣かせて欲しいっ」
「なんやー、ヒィヒィ言わしたろか」
「アキさん、エッロ。僕も美青のことヒィヒィ言わせちゃおっかな」
アキとユウがふざけて言い合うのを聞きながら、七音はジンジンする鼻の奥の痛みをビールと一緒に流し込んだ。
ああ、俺はこの人に愛されたい。
他の誰でもなく、俺を好きになって欲しい。
そう確信した時にはもう、アキへの気持ちが溢れるのを止められなくなっていた。
* * * * *
七音はアキへの気持ちを無視できなくなっている自分を持て余していた。
幾度となく、アキの指の感触と唇の感触を思い返す。
買い物デートをしてから欲が出たのか、焦っているのか、アキを独り占めしたい気持ちがどんどん強くなる。
ナナシに来ればこうして会えるし、二人きりで話もできる。だが、それだけでは足りなくなってきていた。
もっと明確な何かが欲しい・・。
「今度、二人で飯、行かない?」
隣でパソコンに向かっているアキについ、そう声をかけてしまった。
「え?うん、いいけど?」
「ほんと?」
「うん、お腹すいたの?」
「え?あ、いや、今じゃなくて」
「夜?いいよ」
「え?今日?」
「え?行かない?」
「行く」
なんか嚙み合ってなくない?と七音は首を傾げるがアキはお構いなしだ。
「何食べたい?」
「ん?いや、マジで?今日?何だろ、わかんない」
なんか違うな。もっとどこ行きたいかを色々探して、待ち合わせしたりするはずなのに。
何でアキさんといるといつもみたいな予測ができないんだ?
なぜかいつも予想外の展開になってしまう。
「じゃあ、アレックスの店、行きませんか。こないだ二人で来いって言われたし」
「別にいいけど・・」
「ほんと?じゃあ、電話してみます。今日、土曜日だし、いっぱいかもしれないから」
とすぐさま携帯を片手に庭に出て行った。
「8時に席、予約できました。良かった、今日、満席らしいです」
戻ってきたアキがいつも以上に上機嫌に見える。
「あ、ありがとう」
なんか、俺が誘ったのにアキさんに誘われたみたいになってるし、とまた首を捻る。
「久しぶりで楽しみ」
アキの横顔に、あの色男に会えるのが楽しみなのかも、と嫉妬がチリチリと胸を焼いた。
【Contigo 】と書かれた木の看板を通り過ぎ、小さな川にかかった木の橋を渡る。その先に白い壁に赤い西洋風の瓦の屋根の一軒家が現れた。
川に面した壁にはゆるゆると水車が回っている。
中に入ると入口すぐのウェイティングバーに奥からアレックスが颯爽と姿を見せた。
分厚い胸板にぴったりの白いシャツ。腕まくりをした逞しい腕を大きく上げ大歓迎だ。
「!Hola ! !Caballeros ! (よお、紳士諸君!)」
アレックスが近寄って弾けんばかりの笑顔でアキをハグした。
「いらっしゃい」
七音には笑顔で握手をして肩を抱き寄せる。
「今晩は」
相変わらず、距離感バグってるな、と力強い手に抵抗する気力もなく七音はされるがままグラグラと肩を揺すぶられた。
ウェイティングバーから中に入るとほの暗いレストランの奥には小さなステージがあり、ギターと椅子が並べてあった。
アレックスが予約テーブルに案内してくれる。
「何飲む?」
「僕は水」
アキが言うと、アレックスが大げさにため息をついた。
「アキ、お前、何しにここへ来たんだよ。今日は週末だぞ?楽しめ、もっと」
「わかったよ。じゃあレモンビール。ビール少なめでね。七音君はビールでいい?ワインにする?」
「あ、ビールで」
「じゃあスペインのビール試してみない?」
「うん」
「じゃあ彼にはEstrellaを」
「Vale (了解)」
ウインクしてアレックスが立ち去った。
外国人のウェイトレスにアキが手慣れた様子でいくつか料理を注文して、運ばれてきたグラスを手に取る。
「じゃ、お疲れ様」
グラスを合わせて、一気にビールを喉に流し込む。んー、おいしい、とアキが声を漏らした。
「どう?おいしい?Estrella 、星っていう意味のビールなんだけど」
「うん、うまい。なんか雑味なくって飲みやすいっていうか」
「そう?良かった」
「アキさんのは?」
「僕のは、レモンビール。ビールをレモンジュースで割ったものです」
「へえ、初めて聞いた」
「スペインではわりとポピュラーなんだけどね。飲んでみる?」
「うん」
アキからグラスをもらって口をつける。
「甘い。あ、そっか、アキさん、苦いの嫌いだからビールも苦手なのか」
「ええ。でもこれは甘くて飲めるんです」
タパスと呼ばれる小皿に乗った料理が次々と運ばれてきた。
「Buen provecho (召し上がれ)」
「Gracias (ありがとう)」
にこやかにウェイトレスに返事をして
「さ、食べよ」
と明るい声を出すアキに頷いた。
生ハムやスペイン風オムレツ、ソーセージやエビのアヒージョをつつきながら飲むビールがたまらなくおいしい。
店内は半分以上が外国人で、それぞれがおしゃべりに夢中になっており、まるで海外のレストランに紛れ込んだような雰囲気だ。
七音もアキと二人で料理をつつきながら飲むビールにすっかり気分が良くなった。
「どれもうまい」
「でしょ?良かった。僕も久しぶりに来たけど、やっぱりおいしい」
そう言っている間に木の皿に乗った山盛りのタコが運ばれてきた。
「Gracias 」
「De nada (どういたしまして)」
「きたきた」
アキが嬉しそうに言う。
「え?タコ?スペイン料理で?」
「そ、スペイン語でタコのことプルポっていうんだけど、これがうまいんだよね。これ、食べたかったんだ」
そういうとアキは爪楊枝でタコを突き刺し、口に入れた。
七音も真似をして爪楊枝で刺して食べてみる。
「やわらかっ。うまい」
「でしょ」
アキが笑う。
「残ったオリーブオイルをパンに浸して食べるとそれがまた美味しいんです」
顔を寄せ合いながら話をして、ビールを飲んで、料理をつまんで、笑って、また飲んで、を繰り返す。
2時間ほどして料理をほぼ食べ尽くした頃、店内が暗くなり、ステージにライトがついた。
「今日はフラメンコギターの演奏があるんだって」
「へえ」
フラリと腕にびっしりタトゥーを入れた男がステージに上がった。ギターを手に取るといきなり弾き始める。
もう一人、男がステージに上がりギターに合わせて手拍子と足を鳴らしながら歌い出した。ギターの音と、手拍子、歌声が絡み合う。
音がぶつかってくるような演奏に圧倒される。ギター一本と手拍子と声。それだけなのに部屋中に振動が伝わってきて音と声が響く。ギタリストとカンタオールがお互いを見ながらリズムを刻む。リズムが早くなっていき、演奏が突然に終わった。
「!Ole !」
観客から声がかかり、ピューピューと指笛が鳴る。
「すげー。初めて生でフラメンコギター聞いたかも」
「すごい迫力ですよね」
「うん。鳥肌たった」
「もう一杯飲む?」
アキが耳元に口を寄せて訊いた。
「うん」
「じゃあ、カウンターで飲みませんか」
そういうとアキはアレックスが立っているカウンターバーに向かった。
「おかわり、アレックス」
「Vale . ? Quieres , Aki ?(オッケー。いるか、アキ?)」
アレックスがタバコをアキに差し出した。
んんー、と少し迷ってトントンと指で机を叩き
「Si (うん)」
とアキはタバコを一本、抜いた。七音にも差し出されるが、七音は首を横に振る。
アキがアレックスが差し出す火に顔を近づけ、酔いで少し赤くなった目元を伏せて火を点けた。
本当に綺麗な人だ、と口には出さないが七音はアキについ見惚れてしまう。
「タバコ吸うんだね、アキさん」
「たまに、ね。会社員時代の悪癖。お酒飲むとどうしても吸いたくなっちゃって」
フウッとタバコの煙を形の良い唇から吐いた。
アレックスが新しいビールを七音の目の前に出す。
「フラメンコギターどうだった、ナナオ?ナナオもギター弾くんだろ?」
「うん、すげーなんていうか、固い音っていうか。強い、音が。迫力すごいね」
「だろ?美しいだろ」
「うん、めちゃくちゃカッコいい」
「!Hey Alex ! !Venga vamos !(おい、アレックス、来いよ)」
ステージ上のギタリストがレックスを呼ぶ。
「?Yo ? No no (俺?いやいや)」
アレックスが肩をすくめ首を振った。
「Si si Tu (そう、そう、お前)」
ギタリストがニコリともせず、アレックスを指さす。客席からもドンドンとテーブルを叩く音が響き出し、アキも笑いながらカウンターを叩いた。
はぁー、やれやれ、と言った様子でアレックスがステージに上がってギターを手に取ると歓声が上がった。
「え?嘘、マジ?」
「アレックスはフラメンコギターのプレイヤーなんですよ」
アレックスが大きな体でギターを抱えるようにして足でリズムを取り、演奏し始める。
今度は二人のギタリストの掛け合いのような演奏が始まり、お互いの手元を見つめて一心不乱に弾いている。
カンタオールが今度は手拍子と足拍子だけを刻む。どんどんスピードが上がっていくと客席も手や足を鳴らし、部屋中がリズムに溢れた。最後は二人でギターをかき鳴らすようにして終わると一斉に
「!Ole !」
と客席から歓声があがり、七音も興奮して立ち上がると思い切り手を叩いた。
その後、戻ってきたアレックスとギターの話で盛り上がり、アレックスの身振り手振りの話にアキと一緒に笑い転げたりして、ようやくバルを後にしたのは真夜中過ぎだった。
「駅まで酔い覚ましに歩いて、タクシー拾いましょうか。大丈夫ですか?」
「うん。あー、めちゃくちゃ楽しかった。こんなに笑ったの久しぶりかも」
酔った声で七音は答えた。
「うん、いい夜でしたね。久々に夜遊びしました」
アキの楽しそうな声を聞きながら並んでゆっくりと歩く。
「ハビエルさんともよく夜遊びしたんすか?」
「ええ、しました。スペイン人ってほんと夜遊び好きなんですよ。朝まで飲んで騒いで、話して」
「まだ、忘れられない?」
「まあね。思い出す時間は減るかもしれないけど、忘れることはできないです」
「まだ、好きなんすか?」
「そうですね。時々、すごく恋しいです。もう一度書くことをすすめてくれたのは彼だったから。とても大事な人なんです」
七音の心臓が鋭く痛んで息ができなくなり、聞くんじゃなかった、と激しく後悔する。
「亡くなってから他の人を好きになったりは?」
俺のことは?好きじゃない?
「ないな。もう、誰かを好きになるとかも、もういいかなって思ってしまって。誰かとつきあったりすることも、それに付随する、いろんなことも。喜んだり、つらい思いをしたり、そういうことがとてもしんどいんです」
「でも、俺と話をするのは楽しいって言ってくれた」
「楽しいよ。先の約束も期待もしない七音君との話はとても楽しいと思っています」
先の約束も期待もしない?それって・・。
なんか俺、今、突き放された?
酔いで頭が回らない。
「タクシー止めてきます」
アキはスタスタと先に行き手を挙げてタクシーを止めると七音をタクシーに押し込んだ。
「良い夜だったね、楽しかった。じゃあ、またナナシで。運転手さん、お願いします」
アキが後ずさると、バタンと大きな音を立ててドアが閉まる。
何も言えないまま七音は一人、タクシーの中に取り残され、窓の外に立っているアキが遠ざかるのをただ、ぼんやりと見つめた。
* * * * *
「!Ola Aki !」
ナナシでアキと並んで仕事をしていると、ふらりとアレックスがやってきた。
「アレックス、こんにちは」
「ちっす」
「よお、ナナオ」
アキの肩に手を回しながらアレックスが隣に座る。
だから距離感近いんだよ、とチラリとアキを見るが、気にしていない様子だ。
「こないだは楽しかったな」
「うん、久しぶりで楽しかった。ありがとう、わざわざ席、作ってくれて」
神島 が小さいカップに入った強い香りのコーヒーを運んで来た。
「Gracias 」
アレックスは神島の腰を掴んで
「? Que tal , Uli ?(調子どう?ウリ)」
と尋ねる。
「元気です。ありがとうございます」
神島も気にする気配もなく立ち去って行く。
大きな体で小さいカップをちんまりとつまむアレックスの様子がなんだかおかしくて七音は少し笑った。
ん?という様子でアキが七音を見る。
「何でもない。こないだ、席、作ってくれてたんすか?」
「うん、そう。満席だったんだけど二人だけならいいよって、わざわざ席、作ってくれたんです」
「へぇ、それは感謝。ありがと、アレックス」
「楽しかったか?ナナオ?」
「うん、めっちゃくちゃ楽しかった」
レストランを出た後の会話はアルコールのせいにし、めげずにこうしてアキの隣に何食わぬ顔して座っている自分を我ながら図々しいな、と思う。こんなにも人に執着するタイプだったっけ?と自分で自分が怖くもあるが、アキも変わらない態度なのをいいことに七音は鈍感なふりをする。
「だったら来月の京極山 、お前らも来いよ」
「え?何?」
「京極山のオーベルジュが夏になるとオープンするんだ。俺の友達がやってるんだけどな、毎年招待してくれるんだよ。店の連中誘ってみんなで行く」
「へえ。そんで、なにすんの?」
「シュラスコ食って、ビール飲んで、歌って、川で泳ぐ」
「はあ?」
「まあ、家族ぐるみでバーベキューパーティーするみたいな感じかな。ひたすら肉焼いて、食べて、飲んで、おしゃべりして。夏の夜を楽しむ、って感じです。外国人が大好きなバケーション」
「ユウとミオも誘ってみんなで行こうぜ。あいつら来たことなかっただろ。ナナオのバンドの仲間も連れて来いよ。ギター持って行って一緒に向こうで演奏するのはどうだ?」
「え、マジで?それはちょっと楽しそう」
「七音君、ユウ君と美青君と一緒に行ってくれば?バンドの人たちも誘って。きっと楽しいよ」
「ええ?そんなこと言うなよ。夏だよ?楽しまなくてどうする。アキも来いって」
おやつを取り上げられた犬みたいな顔でアレックスが言う。
「そうだよ、アキさんも行こうよ。楽しそう」
「いえ、来月の締め切りきついんですよ。いつもギリギリなのに来月は締め切り早いので無理です」
とアキは断固拒否の姿勢だ。
アキさんが行かないなら、行ってもつまらない。それならナナシでアキさんを独り占めしながら仕事するほうが断然いいに決まっている。
「七音君は是非、ご招待受けて下さい。素晴らしい場所なので」
「でもアキさんが行かないなら俺も・・」
「!Hey caballeros ! ! Vamos vacaciones ! (おーい、お前ら!バカンスに行くぞ!)」
アレックスが今度はアキの肩を両手で抱えて顔を寄せ、揺すりながら叫び出した。
「ああっ、声がでかい」
アキが顔を顰めながら、過激なボディタッチのアレックスを睨む七音の顔をチラリと見た。
「わかったよ。僕はユウ君と美青君誘うから、七音君はメンバーの皆さんに声かけて下さい」
根負けしてアキが七音に言った。
「!Muy bien !(よっしゃ!)」
アレックスが片手を挙げてハイタッチを求めてくるその手に七音はタッチしながら
「え?マジで?いいの?」
とアキに訊いた。
「だってうるさいんだもの。こうなったらうん、って言うまで引かないから」
アキが面倒臭そうに言う。
「ナナオ、ギター持って来いよ」
「わかった」
「一泊だけだからね」
「え?一泊するんすか?」
「一泊で十分です。どうせ朝まで飲んで、次の日はほぼ頭が機能しないまま帰ってくることになると思いますけど」
アキさんと一泊旅行!?と一気にテンションがマックスになる。
「あと、水着なー。川があるから」
「了解っ」
あとはー?サンダルとか?あ、日焼け止めと、グラサンもいるな、とはしゃぐ七音をアキが目尻に皺を寄せて見ていた。
「なー、アキさんが友達のやってるオーベルジュ?に招待してくれたんだけど、花丘 と玉名 も一緒にいかねえ?」
バンドの練習の後、よく行く中華料理屋で七音は二人に声をかけた。安くてウマい中華屋は深夜近くでも込み合っていてざわついている。小さなテーブルに楽器を押し込み、三人で身を寄せ合うようにして座ると早速七音は二人を誘った。
「え?なにそれ?行く、行く。行きたい」
花丘がすぐさま返事した。
「噂のアキさんに会えるならどこでも行く」
と好奇心丸出しだ。
「へえ、オーベルジュ。どこにあるんですか?」
玉名が訊いた。
「京極山だって。そこで、キャンプ?あ、バーベキューか。みたいなのやるからって。シュラスコ食うって言ってたぜ」
「シュラスコ?ブラジルの?へえ、京極山って、いいとこでやるのな。あそこ、金持ちの外国人が別荘とか買ってるとこじゃん。そんなところに招待ってさ、アキさんてもしかして、金持ちなの?」
「え?いやー、そんなことはないと思うけど?」
アレックスの友達がオーベルジュのオーナーだと言っていたから金持ちなのはそっちのほうだろう。
「フラメンコギター弾いてるスペイン人のハーフがギター持って来いってよ」
「はあ?何て?ちょっと意味がわかんない」
花丘が混乱した顔で呟く。
「フラメンコギター?え?スペイン人って本場じゃないですか。凄い」
玉名は嬉しそうだ。
「あー、うん。凄かった」
「凄かった?お前、何、演奏聴いたわけ?」
「うん。アキさんと一緒にスペインバル行ったら、ステージがあってさ。すげーの」
二人が七音を見る。
「アキさんとスペインバル!?お前、そのアキさんとつき合ってんの?」
「いや、まだ」
「あー?それで、まだ?なんだよ、それ。一緒にスペインレストランでパエリア食って、フラメンコして、別荘招待?付き合ってるようなもんだろ、もう。それともなんか複雑な事情でもあんの?やっぱ既婚者とかじゃねえよな。いや、待てっ。まさか、京極山・・、その人、金持ち外国人の愛人とかじゃっ・・。え?七音、愛人の愛人?」
「フラメンコも不倫もしてねぇよ。パエリア食ってねえし。それにアキさんは男なんだって」
「は?」
「アキさんは男の人なの」
「は?え?男の人で、えーと、金持ちスペイン人の愛人?え?え?まさかマフィア?」
花丘が完全にバグを起こしている。
「なんでだよ。どこでそうなるんだよ。アキさんは作家先生」
「はっ、あ?そっか。なんか、情報多すぎて全部一緒になっちゃった」
「情報はたいして多くないですよ。全部、花丘さんの妄想」
玉名が冷静に突っ込む。
「へ?そう?全部?」
「うん、ほぼほぼ全部な」
三人で一斉に爆笑する。
「金持ちスペイン人の愛人とか、笑える。なんだよマフィアって」
「だってさ、京極山とか言うし。スペイン人とフラメンコが急に出てくるし、シュラスコだし。もう俺ん中では金持ちの暇を持て余した年上マダムが若い男を侍らせてる妄想がグルグルしちゃって」
花丘が笑いすぎて息も絶え絶えに話す。
「誰だよ、それ」
「わっかんないけど、すげーでかい帽子とか被ってんの。ごっつい宝石の指輪とかつけて、真っ赤な口紅つけてシュラスコ食うみたいな」
「どんなイメージだよ。ちょ、もうやめて。腹いてぇ」
花丘の妄想に三人で身を捩って笑う。
「あー、めちゃくちゃ笑った」
「そうだった。アキさんが作家先生っていう初期設定がどっかいってたわ」
花丘が収まらない笑いを引きずりながら言う。
「そうだよ。アキさんは作家。スペイン人のハーフの友達がいて、その人がスペインバルのオーナーなんだよ。で、その人の友達がオーベルジュを夏だけ開くらしくて、来ないかって誘ってくれたの。オーベルジュのオーナーの方は俺も会ったことない。多分、その人が金持ちなんだろ」
「うわー、でもでも花丘さんの妄想ほどではないけど何かすっごい話ですね」
「だよな。アキさんの方は一緒に仕事してるイラストレーターの子とその彼氏、誘うって。みんなで行ってみねえ?」
「絶対行く」
「僕も行きたいですっ」
「よし、決まり。んじゃ、持ち物、発表するぞ」
夏休みの計画を立てる子供のように浮かれた声を上げ、三人は頭を寄せた。
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