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雨声を知らず

直近で決まった宇都峰(うづみね)との外出の日は、やはり雨だった。事前に調べて降水確率の低い日を選んだものの殆ど意味はなかったらしい。 梅雨入りをしているから当然と言えば当然だが、それでも雨の日の外出はハードルが高くなる。じめじめするし、ヘアセットも決まりにくいし、足元は濡れるし、嫌なことだらけだ。 しかし今日に限ってはそれも軽く飛び越えられてしまえる高さに感じられた。 なんだかんだ毎年恒例となった夏の旅行前に組まれた、宇都峰との遠出の予定。梅雨に出かけるなんて、コイツとの予定じゃなければ全部断っている。それぐらいには嫌だし、それぐらいには浮かれていた。 人の手によって管理され綺麗に咲く紫陽花を見られる施設。併設されている飲食店で提供される美味しそうなランチメニュー。 偶然にも宇都峰との予定を潰された雨の日に見たお昼の番組で、梅雨の時期こそ楽しめる場所として紹介されていたそこへ行くことがすぐに決まった。 「名取(なとり)、お待たせ」 今回は現地集合で施設から一番近い駅で待ち合わせることになっており、一足早く到着していた俺はスマホでこれから行く施設のホームページを見ながら待っていた。 顔をあげれば宇都峰が軽く手を振って穏やかに微笑んでいる。表情を崩さないために力を込めれば自分の眉間にしわが寄るのが分かった。視線を少し落とせば、珍しいものを手に持っている。 「お前、すぐ壊れるからビニール傘嫌いって言ってなかったか」 「そうなんだけど……。今日に限ってはこっちの方がいいかなと思ってさ」 「確かに。その方が見やすいだろうな」 だろ、と言って少し嬉しそうに笑うと、今度は不思議そうに俺の手元や近くの手すりなんかを見始める。 スマホを鞄にしまい、宇都峰の方へ視線を向けるとばっちり視線が交じり合った。何を言われるのかは既に分かっている。 「……そういう名取は、傘どうしたの?」 「来る途中で風に煽られてぶっ壊れた」 「ああ……だからちょっと濡れてるのか」 ある程度拭ったはずが足りなかったらしい。一歩近付いてきたかと思えば宇都峰が俺の前髪に触れてきた。 ……今年に入ってから、なんだかやたらと距離が近い気がしている。恐らく気のせいではないだろう。 前髪に触れるのと同時に指先が額を掠めて、驚きのあまり腕を掴んで引きはがしてしまった。そうして飛び出したのは刺々しい声音の拒絶だ。 「おい、触んな」 「あ、ごめん」 「……さっさと行こうぜ、人増える一方だし」 「そうだね」 こういう時、コイツは気にする素振りが一切ない。いつものやつね、といった風で手慣れているというかなんというか。 それが有難くもあって、咎められないからか、少々気まずくもあった。素直に受け止められればどんなに良かったのだろう。受け止めたところで、どうにかなるとも思えないけど。 考え込みながらも駅の構内を歩いていけば、すぐ目の前に施設の入り口が見えた。 駅の出口から屋根付きの通路が施設まで伸びており、地面に紫陽花の模様が描かれて分かりやすく示されている。入り口には既に入場客がぽつぽつと集まっていた。 「案外いるな」 「まだ時間早いのに。テレビの影響もあるのかな」 「そうだろうな」 「今日は一日雨だし、多少は少ないと思ってたんだけど……」 「普段の客入りがどんなもんか分からねえけど、そんなぎゅうぎゅうにはならないだろ」 「だといいね。まあ、雨も降らなくて人もいないんじゃ贅沢言いすぎか」 入場すればすぐに一面に広がる紫陽花の花畑が目に飛び込んでくる。白、青、紫と色ごとに区画が分けられていた。 花畑はなだらかな坂になっており、隙間を歩けるように舗装された道が作られているらしい。どの位置からも楽しめるように考えられているようで手に取ったパンフレットを眺めながら感心してしまった。 「宇都峰、先に売店行ってくるからここで待っててくれ」 「え? 俺の傘じゃだめ?」 「は? 何言ってんだお前」 「結構でかいやつだし、今雨も弱いからいけると思うけど……」 「……なに、を好き好んで、お前と相合傘なんて」 「売店の傘、可愛い紫陽花柄のばかりだけど」 「……」 「それでもいいなら」 最初から俺に逃げ道がないことを分かっていたのだろう。俺が売店に傘を買いに行こうとすることも、一緒の傘に入ることを断るのも分かっていて、俺の言葉を待っていたはずだ。 にまにまと笑う宇都峰が妙に腹立たしい。でも、自分でもコイツの言葉を待っていたのもあって思わず心中で来た、と零してしまった。 「……傘、入れてくれ」 「うん、いいよ」 「たすかる」 宇都峰が傘をゆっくりと開いて差すと、傘を少しずらして俺が入るスペースを作ってくれた。 バレないようにひっそりと深呼吸をして一歩踏み出して並べば、肩がとん、とぶつかる。 「その位置濡れない?」 「濡れていい、別に」 「いや、駄目だろ」 「お前が濡れるから」 「平気だよ。遠いと傘差しにくいから、もっと……」 傘を持ち換えると、腕が俺の方に回されるのが分かった。あ、まずい、引き寄せられる。 そう思って身構えた瞬間に突風が俺たちの間を駆け抜けていった。バキッという音と共に傘がひっくり返ってへし折れると、強風によって勢いを増した小雨が身体にぶつかってくる。 「うわ」 「マジかよ、そんなことある?」 「ふ、ははッ……やば、使い物になんねえじゃん」 「あー、もう。だから嫌なんだよ、ビニール傘……!」 一瞬にして不燃ごみとなった傘を手にした宇都峰が心底嫌そうな声をあげた。ああ、身構えていた自分がなんだかバカみたいだ。 ものすごくタイミングの良い風に面白くなってしまった俺は、宇都峰の腕を引いて声をかける。 「おい宇都峰、戻って可愛い傘一緒に差そうぜ」 「そうするかあ」

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