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傷あとよりやわらかく
「……宇都峰 、お前、それ」
いつものように名取 へおはようと声をかければ、今日ばかりは挨拶の前に酷く驚いた声が返ってきた。
それも仕方がないな、と自分でも困ったような表情になるのが分かる。
「虫に刺されたみたいなんだけど、強く引っかいちゃって」
絆創膏では患部がはみ出してしまうし、家には小さなガーゼの類も常備しておらず……。
家にあったものだけで処置をしたらいやに仰々しくなってしまった。この見た目じゃあ名取が驚くのも仕方がない。
幼い頃からずっと、夏になると一度はやっている気がする。
「残らないといいな、それ」
「うん。俺、自分で思ってるより力加減が下手らしい」
「まあ、案外簡単に傷つくしな」
「……名取はそういうの、あんまりないよね」
「一応、気を付けてる」
名取の言葉に一人納得をして彼の方をじっと見る。制服から覗いている肌はそれなりに白い方で、季節問わず日焼け止めを欠かさないらしい。
らしい、というのはクラスメイトの女子が話していたのを聞いたからだ。借りた、とか言っていたと思う。日焼け止めの貸し借りってあるんだと少し驚いた。
「虫刺されもないよね」
「あー……まあ、あんまり?」
引っかき傷を作るような姿も見たことないし、虫刺されもない綺麗な肌がほんの少しだけ羨ましかった。これに慣れてはいるけど、やっぱり煩わしいのだ。
でも、俺は名取みたいに肌を気を付けたりケアしたりするほどマメではないから、純粋にすごいなと思っていた。ああ、懐かしいな。
……すり、と目の前に無防備に晒された白い首すじを撫でていると、そんなことが頭をよぎった。
「ん……なに、して……ッおい」
「あ、ごめん」
「……ちゃんと塗れたか?」
「もちろん」
眉間にしわを寄せた名取が俺を睨みつける。刺々しい声音で彼が怒っているのが分かって、誤魔化すように笑みを浮かべた。
……今のは全面的に俺が悪い。高校時代のことを思い返しながら、なんてことを。
「人の首撫でやがって気持ち悪い」
「ごめん」
「お前がやるとか言い出したくせに。バカが」
大学へ進学して、名取とより長い時間を過ごすようになってからは俺もハンドクリームと日焼け止めくらいはしようと思って持ち歩くようになった。まあ、殆どお守りみたいな感じにはなっているけど。
それに加えて虫刺されの薬も持っていたのだけど、まさか名取に貸す時が来るとは思わなかった。
目に見える位置……首を虫に刺されたらしい。かれこれ6年くらい一緒にいるけど初めてのことだ。
「そんなに怒るなよ。塗り薬を持ってたのは俺なのに」
「それとこれとは話が別だろ」
「……別か、確かに」
あれ。
怒って俺を責め立てている名取が顔を赤くしている。それどころかうなじから耳まで真っ赤になっている。
これは、彼の性格上それなりに見慣れた表情だ。でも、いつ見てもやっぱり可愛い。
今までの経験もあって、恥ずかしくて顔を赤くしているのだろうと容易に想像がついた。白い肌ってこういう時も分かりやすいんだ、なんて見当違いなことを考えてしまえば、そんな思考と目の前の名取が可愛らしくて、じわじわと口角があがりそうになる。バレたら絶対に火に油だ。
にやけてしまうのを必死に我慢して顔に力を込めれば、別にこんな顔をしたいわけじゃないのに険しい表情になってしまう。
どうかバレないでくれと思っていれば、一瞬名取が訝し気にこちらを見つめてきた。
……どうやら我慢できていなかったらしい。
「ッお、まえ……! ニヤついてんじゃねえよ! バーカ!!」
真っ赤な顔をした名取が勢いよく立ち上がり大声で叫ぶ。
授業のある時間帯で人が少ないとはいえ、周囲はこちらに視線を向けていた。
彼は自分の鞄を引っ掴むとそのまま歩いて行ってしまって、俺も大慌てで荷物をまとめて後を追う。
「名取! 待って、おいていくなよ!」
「うるせえッ! ついてくんな!!」
あの頃に比べて今は名取に簡単に触れてしまえる距離にいられて、名取もそれを許してくれている。その嬉しさとどことない優越感があって、あんなことをしてしまったんだと思う。
いや、今は怒らせているからあんまり近付けないんだけど……。たぶん、明日には落ち着いている、はず。
「ごめんって。可笑しくて笑ったんじゃないよ……駅前のカフェに行く約束してたろ? なんでも奢るから」
「一人で行く!」
良かった。他の人の名前が飛び出して来たらどうしようかと思った。そもそも名取は約束を破るようなことしないけど。
……結局まともに俺の顔を見られなくなっていた名取に「二度とするな」と顔を背けたまま釘を刺され、カフェは俺の奢りになった。
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