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急上昇、急降下、急停止

朝、家を出る直前に名取(なとり)から「遅れる。先に行ってて」と端的なメッセージを貰った。 手で丸をつくったゆるい犬のスタンプを送ってスマホをポケットにしまう。今日の授業は名取と被っているものだけだし、間に合わなくても授業内容の共有はできるなと考えながら家を出た。 それにしても珍しいな。遅刻はしないし、病欠も覚えている限りでは殆どなかったはずだ。電車遅延の時はそう付け加えてくれるから、きっと違うんだろう。 何かあったの、と送ろうとして急いでいるであろう相手に連絡を返してもらうのも手間か……?と悩んでいるうちに、最寄り駅に着いていた。それからすぐに電車が来て満員電車に乗り込めば、スマホを確認する余裕なんてなくて。次にスマホを開いたのは大学に着いてからだった。 「え」 通知を確認してみれば名取から新たに「風邪ひいたから休む」とだけメッセージが来ていて、思わず声が漏れてしまう。病院には行けたんだろうか。薬は常備しているって前に言ってたけれど、今はどうなんだろう。あの辺りスーパーとかの類は少し離れていたような。 授業開始までそう時間もないというのに、あれこれと脳内に駆け巡っていくのは名取の体調のことばかり。聞きたいことも伝えたいことも沢山あるのに、病人に対してメッセージをいくつも送るのは憚られて文字を打ち込む指がぴたりと止まってしまった。 咄嗟に言葉をまとめられない自分にもどかしくなりながらも、なんとか「お大事に」「授業の心配はしないで」と返してスマホを鞄にしまい込む。正直授業どころではないけれど、俺がちゃんと授業を聞いてないと名取も困ることになるのだから。すぐに切り替えて正面を見据えた。 *** あの後、名取にいくつかメッセージを送ったが既読のアイコンこそついてもメッセージが返ってくることはなかった。一番最後に送った「家行くね」というメッセージには「来るな」と即座に返ってきたけれど。 インターホンを鳴らして少し待っても応答はない。ドアをノックする訳にもいかなくて、そのまま廊下で待っていれば、ガチャッとドアが開く音が聞こえてきた。 「あ、良かった……名取、体調はどう? 病院には行けた? 何か食べられるものあるといいかなと思って……」 「帰れ」 「うつらないようにマスクしてきた」 「そういう問題じゃ……はぁ、くそ。もういいから、入れよ」 「うん、ありがとう」 多分、このまま外に放置しておくと今度は俺が風邪をひくと思ったんだろうな。あと、俺がそう簡単に引かないとも。 名取に促されるまま部屋に入ると、「お前過保護にもほどがあるぞ」なんて文句を言いながらさっさと歩き出す。この家の何がどこにあるかまで大体把握しているから今更案内は必要ないけど置いていかなくてもいいのに。 後ろ手に鍵を閉めて名取についていけば、ベッドに腰かける名取と目が合う。テーブルの上には処方箋と飲みかけのペットボトルが置いてあって、どうやら病院には行ったらしいことを察した。 すると、名取に体調はどうかと聞く間もなく部屋にインターホンの音が響く。名取が立ち上がろうとしたのが見えて「俺が行くよ」と制して玄関へ向かった。 「待て宇都峰(うづみね)」 「何か頼んでた? 運び込むぐらいやるから気にしないで」 「そうじゃなくて」 何だろう、定期配送とか?それとも洋服だろうか。何にせよ病人を動かせるのは気が引ける。 げほ、ごほ、と辛そうに咳き込む名取を背に玄関を開けると、配達員ではなく見知らぬ誰かが立っていた。俺も想像していなかった相手だし、向こうもきっとそうなのだろう。お互いに少しだけ見つめ合って、先に口を開いたのは俺だった。 「どちら様ですか?」 「あ、いや……あれ? ここ、名取の……」 「わるい、いる」 少し枯れた声の名取がそう声をかけると、目の前の人はあからさまにほっとした様子を見せる。この人は誰だろう。俺の知らない人だ。だから多分、小中辺りの名取の友人だろうか。 「っぶね、間違えたんかと思った……これ、良かったら」 「どうも」 「お大事に! お邪魔しました!」 「ん、ありがとな」 俺がビニール袋を受け取ったのを確認すると、背後の名取に向けて挨拶をし、律儀に俺にも軽く頭を下げて去っていった。……ああ、嫌だな。俺の知らない名取がいる。あの人はきっと知っているのに。 「あれ、誰なの」 「小学校の同級生」 「へえ」 自分の発する声が酷く冷たい自覚があって、だけどそれを取り繕うこともできなくて自己嫌悪に陥った。先ほど受け取った袋から要冷蔵のものをしまうことを口実に名取に背を向ける。分かってる、そんな権利もないのに嫉妬しているってことぐらい。 「怒ってんのか」 「違う」 「……じゃあ、嫉妬か?」 「……そうだ、って言ったら?」 「ふ、」 「い、ま、笑ったな……」 「バーカ」 恨めしそうな顔をした俺を小さい咳交じりにくすくす笑う名取が見上げてくる。薄らと笑ったまま「友達に嫉妬してんじゃねえよ」と、とてつもなく鋭いナイフを突き刺されてしまった。ぐ、と言葉に詰まって何も言い返せなくて、その場に蹲ってしまいたくなるほど苦しくなる。 「こんな時に部屋に入れるのは宇都峰しかいねえから。べつに、嫉妬なんてする必要ない」 「な、とり……」 「ふふ」 「い、いますぐ体温測って!」 「あ?」 近くにあった体温計で強引に熱を測らせると37度後半を示している。大慌てでベッドに寝るよう促し布団を首元までしっかりかけて氷枕を敷いた。すっかり静かになった名取はどこか辛そうにしながら目を閉じていて、俺はなるべく音を立てないように息を吐き出す。 この短い間にものすごい感情の変化があって、どっと疲れが襲ってきた。さっきの言葉は熱に浮かされていたから出たもの?……それとも、本心だと信じていいんだろうか。ベッドを背もたれに座り込み暫く考え込んだけれど、結局答えは出てこなかった。

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