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臆病者
「ごちそうさまでした」
「ん」
毎度綺麗に食べ切ってくれるのは嬉しい限りだ。作り甲斐がある。
嫌いなものは特に無いと聞いているし、何を出しても多少失敗しても美味しいと言ってくれるからメニューに困ることはあるが、それもまた嬉しい悩みというものだ。
空になっていたグラスにお茶を注いで差し出せば、宇都峰 はお礼と共に口をつける。食事しているのをただ眺めていた俺は、席を立って食器をシンクへと運び、そのまま洗い物を始めた。
「今日のご飯も美味しかったよ」
「そりゃ何より。タッパーに作り置き分も入れてあるから、明日の朝と昼に食えよ」
「いつもありがとう。明日が楽しみだ」
その声は本当に嬉しそうで、宇都峰の顔が見えていなくてもそれが嘘ではないということは、はっきりと分かる。それでもついさっき死にそうな顔で帰宅したことには変わりないし、きっと明日も憂鬱な顔をして仕事へと向かうのだろう。さっさと辞めてしまえと言いたいのに、やはり言えないままずるずると時間が経ってしまっていた。
コイツは所謂ブラック企業と呼ばれるような条件をいくつも揃えた会社に勤めている。そして、これのせいで俺と宇都峰の関係性はあっさりと変わってしまった。自分でも理解しているが、この言い分は殆ど八つ当たりみたいなものだ。
「何かリクエストあったら教えろよ」
「うん、ありがとう」
家事を全て引き受けると決めたのは、大学を卒業して一年も経っていなかったと思う。
連絡は細々と取り合っていたがメッセージでのやり取りだけ。宇都峰も俺も忙しくて会う頻度は極端に減っていた。久しぶりに会った宇都峰が酷くやつれたように見えて初めて後悔をしたけれど、その時にはもう手遅れで。少しも経たないうちに関係性が変わったのをよく覚えている。
それでも好きでいたいのだと辛そうに言う宇都峰を突き放すなんて選択肢は始めから無かった。伝えてこそいないが、俺だって好きなままだ。そうじゃなかったらこんな事……いや、していただろうな。
「お前、プリン好きだっけ」
「うん。名取 の作ってくれるものなら何でも好き」
「はいはい。寝惚けてねえでさっさと歯磨いてこい」
「本当だってば」
キッチンの方までやってきた宇都峰からグラスをぶん取れば、寝惚けてないからね、と念を押してから洗面所へと向かっていった。それを見送り、最後の洗い物を済ませて細々とした後片付けをしていく。エプロンを外して鞄へ突っ込み、その足でハンガーからコートを抜き取った。
戻ってきた宇都峰が立ったままこちらを見ている。不思議に思いつつも帰り支度を整えていれば、その間も宇都峰はそばを離れなかった。何か言いたいことでもあるのだろうか。さっきのは……多分違う。一度念押ししているから終わっていると思う。
「明日はプリン作っておいていいか」
「え、あ、うん。嬉しい」
「……何だよ歯切れ悪い」
「ごめん……本当に嬉しいよ」
「別に疑っちゃいないけどな。……何か言いたいことあんなら言えよ」
宇都峰は少し考え込んだあと、それでも迷いながら、やっと言葉にした。
「その……もう少しだけ、居てくれない?」
「……」
「だめ、かな」
すぐには、返事を出来なかった。
俺も宇都峰も明日は当然のように仕事があって、俺はともかく宇都峰はいつも通りにいけば明日も早いのだろう。きっと何かをしたい訳ではなくて、単純に居て欲しいだけなのだということは察せられる。それでも、俺はこれに頷いてはいけない気がした。
だって、変だろう。別れ際にただの友人を引き止めたり、友人を優先して引き止められるのは。それも一緒にいたいだなんて、まるで。
「……明日も早いんだろ? もう遅いし寝ろ、戸締まりもしておくから」
「でも」
まだ理由を重ねようとする宇都峰の顔に手を伸ばす。指の背でほんの少し頬を撫でると、じわりと体温が伝わってきた。まさか触れられるとは思っていなかったのか、目を見開いて驚きの表情を浮かべている。
「また明日、な」
「……うん。また、明日」
ひどく落ち込んだような声をしながらも笑うのだから、コイツの変な器用さは変わらないなと思ってしまった。きっと俺は上手く笑えていなかっただろう。だけど、むしろその方が俺の考えは伝わっているかもしれない。
……これは拒絶じゃない。線引きだ。時折分からなくなって、感情が勝手に前へ出てきてしまうのを押さえつける為のものだ。あんなことを言われて、そそくさと帰りたいなんて思う訳がない。出来るならここに、宇都峰の近くに居たい。
だけど、それを良しとしてしまえば、きっといつかお互いに傷ついたり悩んだりすることになってしまうはずだから。
「俺が、の間違いかもな……」
そう零したひとりごとは、白息と共に冷たい夜の空気に混じって消えていった。
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