8 / 39
接近(2)
部屋の扉を開けた瞬間、橙色の灯りが揺れた。嫌な予感が背筋をなぞる。ベッドの脇に、裸のヴィクターが腕を組んで立っていた。
「どこへ行っていたのだ。主を待たせるとは感心しないな」
低く笑い、歩み寄ってくる。肩を掴まれ、そのはずみで抱えていた本が落ちる。ネグリジェを脱がされると、そのまま、ベッドに縫い留められた。
「……何をしていた」
熱を帯びた声が耳元に落ちる。吐息が首筋を撫で、背中に回された腕の力がじわりと強まった。
クラリスは迷った。言えば怒らせるかもしれない――それでも、言わずにはいられなかった。
「図書室で……ステファン様にお会いしました」
その名を口にした瞬間、ヴィクターの動きが止まる。間を置き、喉の奥で笑いが転がった。
「ほう……我が息子と」
腕の中の体を簡単に転がし、正面から覗き込む。闇を含んだ双眸が、クラリスの瞳を深く射抜く。
「何を話した?」
「本を探すのを手伝っていただきました」
ヴィクターの唇が皮肉げに歪む。
「甘いな。あやつはいつもそうだ。誰にでも手を差し伸べる……だが、それでは王にはなれぬ」
そう言うと、指先でクラリスの感じるところをなぞる。思いがけず甘い声が漏れた。
「忘れるな、クラリス。おまえは我のものだ」
囁きが耳朶を震わせ、骨の奥まで染み込む。
「……あやつが何を言おうと、何をくれようと、だ」
唇が首筋をかすめ、牙が肌に触れるほど近づく。クラリスはぞくりと背筋が粟立った。
「……だが面白い。あやつにどれほどおまえが揺らぐか……見てみたくなった」
囁きと同時に、両手が腰をしっかりと押さえ込み、太い杭が体の中に侵入してきた。それはまるで、逃げ場を封じた上で獲物の反応を楽しむ捕食者の所作だった。
「さすがだ。我好みの器になっているぞ」
満足げな声と同時に、口づけが落とされる。クラリスの呼吸を奪い、支配の鎖を心と体の両方に絡めていく。がんじがらめにして、両手を動かすことさえ許してくれない。
唇が離れると、ヴィクターは試すようにクラリスを見た。
「さあ……おまえの居場所がどこか、忘れぬよう刻みつけてやろう」
その言葉と共に、背中を撫でる手が、ゆっくりと確実に所有を主張する。
「……おまえは、こうしていればいい」
ヴィクターの腰が乱暴に動く。腕の中に閉じ込められ、どこに視線を移しても、深い闇色の双眸から逃げられない。覗き込まれるたび、体の奥がじわりと熱を帯びていく。
「……ステファンの眼差しに惑うな」
囁きが、髪を揺らす。
「甘さは毒だ。おまえは甘さで生き残れる場所にいない」
クラリスは、ヴィクターが自分の息子に嫉妬していることに気づいた。なぜ嫉妬するのか不思議に思う。相手はまだ年端のいかない子どもなのに。それでも――ステファンの穏やかな笑みが脳裏を過ると、胸の奥がひどく掻き乱されるのだった。
ヴィクターの腰の動きが早まる。
「おまえは、我の色でしか生きられぬ!」
そして、絶頂の間際に太い杭は抜かれ、唇に宛がわれると、クラリスの顔を白く汚した。後に残るのは荒い呼吸。
傍仕えの兵士に後始末をさせると、ヴィクターはクラリスを強く抱きしめた。
「今宵は朝まで一緒にいよう。何度でもいかせてやる。嬉しいだろう?」
クラリスはあいまいに頷く。確かに一人よりも、体臭とぬくもりに包まれているのは安心できた。それでも、ヴィクターがいつまでも執着するので、なかなか眠れずにいた。
*
「私が読みたいのは、これではありません」
クラリスは本を持ってきた兵士を窘める。兵士は肩を落として、しょんぼりとした。これでは、また退屈するだろう。肩を落としたいのはクラリスの方だった。
「ステファン様、いけません!」
ふと廊下から声がして、クラリスはベッドから起き上がる。すぐに扉が開いてステファンが入ってきた。
「ステファン……様」
驚くクラリスに、ステファンはニコニコしながら一冊の本を渡した。
「貴方が読みたいと思って持ってきました」
それはまさしく、クラリスが求めていた本だった。
「ありがとう。助かるよ」
クラリスが満面の笑みを浮かべると、心なしかステファンの顔が赤くなったように見えた。
「私はこれで……」
そう言って、そそくさとまるで何かを隠すように部屋を出ていってしまう。“なんだったんだろう……”と疑問に思いながら、本をパラパラとめくると、一枚の折り畳まれた紙が挟まっていた。
クラリスは傍仕えの兵士たちに見られないように、本で隠しながら紙を開く。それはステファンからのメッセージだった。
『クラリス様
この前、図書室で少しだけお話しできてうれしかったです。
僕はまだ、貴方のことをあまり知りません。
それなのに、不思議と気になります。
遠くからお姿を見かけると、胸が少し苦しくなります。
話しかけたくて、どうしても足が止まってしまいます。
そんなこと、今までなかったのに。
貴方がどんな本を読むのか、どんなことを考えているのか、
もっと知りたいと思います。
ただそれだけです。
でも、その「それだけ」が、僕にはとても大事なことに思えるのです。
これはおかしなことかもしれません。
けれど、この気持ちを貴方に知ってほしいと思いました。
ステファン』
拙い文字は少し震えていた。何度も書き直したのだろう。書いては消した跡がうかがえる。それでも、ステファンの真心はしっかりとクラリスに伝わった。あまりの嬉しさに涙がこぼれそうになる。
けれども、このメッセージをそのままにしておくことはできなかった。誰かの目に触れたら、ヴィクターの知るところになるだろう。自分が罰を受けるのは一向に構わないが、ステファンが叱られるのだけは避けたい。
クラリスは紙を小さく折り畳むと、傍仕えの兵士たちの目を盗んで口に含んだ。紙の角が舌の奥をかすめ、喉に引っかかる。まるで、無かったことにされるのを抵抗するように。それでも強引に飲み込むと、胸の奥がひどく痛くなった。
「水をいただけますか?」
クラリスは涙目になりながら訴えた。コップに入った水が差し出され、一気に飲み干す。もう喉のつかえは無くなったが、ステファンの真心は確かに心の中へ跡を残していた。
ともだちにシェアしよう!

