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初陣(2)

城下町は祝福のざわめきで満たされていた。城門の前にはすでに人だかりができ、老いも若きも手を振って歓声を上げている。勝利を祝うように教会の鐘が鳴り響いた。 「クラリス様だ!  我が国に勝利をもたらした英雄だ!」 投げかけられる声援に、クラリスは戸惑いの表情を浮かべて応える。その奥には、戦場で得た手応えと、もう稚児ではいられない寂しさが渦巻いていた 城の中では、兵士たちが列を作って待ち構えていた。胸を拳で叩き、敬礼を送る。ロボアールは、自分の弟子であることを誇らしげに周囲に吹聴している。ジョナサンはいつもより口数少なく、ただ静かに隣を歩いていた。もはや、以前のような好奇や嘲りの眼差しでクラリスを見る者はいない。 謁見の間に入ると、ステファンが駆け寄ってきた。頬を紅潮させ、目を輝かせてクラリスを見つめる。 「本当に……すごかった! 貴方が戦場に立つ姿を、僕は一生忘れません」 胸の奥から絞り出すような声に、クラリスは思わず瞬きをする。 「……あの時の貴方は、光そのものでした。僕も、あんな風に強くなりたい」 そう言いながらステファンは、わずかに唇を噛みしめる。その瞳には、戦場の興奮だけではない、別の熱が潜んでいた。 「……あんなにまぶしい人を、僕は他に知りません」 照れくさそうに視線を落とす仕草が、戦場を見てきた者とは思えぬほど幼い。そのまっすぐな称賛に、クラリスはただ微笑み返すしかなかった。 「……私は、そんな立派なものじゃない」 小さく呟くと、ステファンはきっぱりと首を横に振った。 「いいえ。僕は、貴方を誇りに思います」 その言葉は、不意に胸の奥を温めたが、同時に二人の関係を変えてしまいそうな予感も秘めていた。 ステファンに続いて、兵士たちも口々にクラリスを呼び、肩を叩き、背中を押す。歓声は渦のように広がり、勝利の熱気が城を包み込んだ。 ──しかし その輪の中に、肝心の姿が見当たらない。勝者を迎えるはずの、あの人の姿が。 「陛下は……?」 小さくつぶやいた言葉は、祝福の喧噪にあっけなくかき消された。どれだけ周囲を見渡しても、漆黒の髪と闇色の双眸は見えない。胸の奥で悪い予感が広がってゆく。このまま手の届かない存在になってしまうのか。 ──なぜ、私に会いに来てくれないのですか。 喜びの真っ只中で、クラリスの心は不安に沈み込んでいった。 * ようやくクラリスが祝宴から解放されたのは、夜半を過ぎた頃だった。戦いの熱はまだ胸の奥で燻り、昂ぶった心は鎮まりそうにない。けれども、わずかな期待を抱いて自分の部屋へ戻る。 扉を開けた瞬間、足が止まった。灯りは消え、月明かりだけが部屋の中を静かに照らしている。鎖も枷も錘も魔封じの腕輪も片付けられ、どこにも見当たらない。不自由で息苦しい日々の象徴でありながら──確かに、繋ぎ止められていた証でもあった。 (……私はもう、稚児ではない) そんな現実に、胸の奥がひどく締めつけられた。一人前の戦士として認められたはずなのに、なぜか満たされない。 戦士としてヴィクターと肩を並べたい。けれども、愛される存在でもいたい。腕の中に閉じ込められているときだけ、自分が世界で一番大事にされていると感じられる。その感覚を手放すのが怖かった。 そんな贅沢を望むのは間違っているのかもしれない。ただ、それが自分なのだと、今は言い切れる。 「どうした。明かりも点けずに」 背後から低い声が響く。振り向くと、ヴィクターが立っていた。わずかに酒の匂いが漂い、長い髪は乱れ、頬には戦の疲れが色濃く残っている。それでも、闇色の双眸はしっかりとクラリスを射抜いていた。 「陛下……!」 思わず歩み寄ると、ヴィクターはベッドに腰掛け、笑みを浮かべる。 「うん、よくやった。おまえは……我の自慢の戦士だ」 酔いのせいか、呂律が回っていない。 「大丈夫ですか?」 クラリスが膝をつき、そっと体に触れると、大きな手のひらが頭を撫でた。そのぬくもりに、緊張の糸が解ける。 「おまえは……もう我の稚児ではないのか。残念だな」 伏せられた瞳。その声は意外なほど弱々しかった。 「そんなことはありません」 衝動のまま、クラリスは自分から口づけた。一瞬、ヴィクターは目を見開いて息を飲む。 「約束しただろう。敵の首を取れば一人前とみなすと。……我は約束を違えぬ」 その響きに戦場の王の面影が重なる。だがクラリスは、首を横に振った。 「私は……陛下に抱かれたいのです。陛下に抱かれなければ、意味がないのです」 「……嬉しいことを言う」 ヴィクターの口角が吊り上がる。 クラリスは、自ら服を脱いだ。月明かりが滑らかな肌を照らし、影が柔らかく揺れる。あの日のジョナサンのように、滑稽だと思っても自分を止められない。 「……きれいだ」 低く囁く声。 「陛下、私を抱いてください。この身は、いつでも貴方のものです」 ヴィクターはゆっくりと立ち上がり、クラリスの顎を指で持ち上げる。 「……永遠に忘れぬぞ、今の誓い」 その瞳には覇気が戻り、表情は猛獣のそれに変わった。 力強く抱き寄せられる。肌を撫でる手が熱を帯び、吐息が耳を焦がす。 「今夜は稚児ではなく、我が伴侶として抱く」 自信に満ちた笑い。月明かりをかき消すように影が覆いかぶさる。 「……お望みのままに」 クラリスの吐息混じりの声は、軋むベッド沈んでいった。 「我はおまえを誇りに思う。そして、愛している」 ヴィクターの囁きに、胸が熱くなる。唇が重なり、二人の呼吸が混ざり合う。荒々しい支配ではなく、互いを確かめ合うような口づけ。肩に回された手のひらは力強くも優しく、鎧のようにクラリスを守ってくれた。 「この腕の中こそ、おまえの居場所だ」 熱のこもった声に、ただ頷く。 その夜は、長く、穏やかで――静かだった。

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