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執着(3)
翌朝、まだ靄が辺りを覆っている頃、クラリスは城門の前に立っていた。同行するのは数名の兵士だけ。見送るのはヴィクターとロボアールだけだった。
「では、行って参ります」
クラリスはヴィクターを見つめる。ヴィクターはその肩に手を置き、何か物言いたげな眼差しをした。口にしないのは国王の威厳を保つためか。それでも、言いたいことは伝わる。そこには二人の絆が確かにあった。
ロボアールが小さな護符と治癒薬を手渡す。
「道中、必ず身につけておくのじゃ」
クラリスはそれを有難く受け取り、腰に据え付けたかばんに収めた。
「では、行って参ります」
深く一礼し、踵を返す。まだ空が白み始めたばかりの冷たい空気の中、クラリスは軽装のまま駆け出した。向かう先は、ステファンが囚われている森の中。心の奥にヴィクターと交わした誓いを刻みながら。
*
目的の森が見えるか見えないかのところで、クラリスは同行してきた兵士たちと別れる。誰もが心配そうな顔をしていた。
「やはり、我々も一緒に行った方が……」
「いや、人数が多いと敵を刺激するかもしれない。ここは私一人で行く。もし何かあったら、その時は頼む」
意を決して、薄暗い中を進む。
(最悪の場合、自分は捕まるか命を落としても構わない……)
ふと、そんな考えが頭を過るが、ヴィクターの顔を思い出して首を横に振る。
(いけない。しっかりしなくては)
森の中へ足を踏み入れると、そこは一段と暗くなっていた。鬱蒼とした木々が怪物のように迫ってくる。ここからは至るところに罠が仕掛けてあるかもしれない。慎重に歩みを進めていかなければならなかった。
きっと山賊たちは木々に隠れて息を潜めているはずである。いつ攻撃を仕掛けてくるか分からない。クラリスは両手に魔力を貯め、いつでも発動できる状態にした。
ステファンが捕らえられている罠は、すぐに見つかった。まるで巨大な蜂の巣のように、太い枝からぶら下がっている。つまり、その周りには山賊たちもいるはずだった。
太い縄で編み込まれた網。魔法で根元を切り落とせば、落下の衝撃でステファンはケガをするだろう。となると、山賊たちを倒してから下ろすしかない。
ようやく、罠の真下までたどり着いた時だった。
「クラリス、待っていたぜ」
静寂を引き裂くように甲高い声が聞こえた。声の方に顔を向ける。
「やはり一人で来たか。おまえらしいな」
エルネストはクラリスの真正面に立ち、ほくそ笑む。その顔は獲物を前にして気持ちがはやる獣のようだった。
「王子を返してもらおう。話はそれからだ」
クラリスが声を張ると、ステファンが目を覚ました。
「クラリス様、なぜここに……。危険ですから逃げてください!」
その叫びには、疲れが色濃く滲んでいた。クラリスは唇を噛む。
「坊ちゃんが、なんかほざいているぜ」
エルネストが笑うと、子分たちも一様に笑った。声の位置からすると、クラリスはすぐ近くで四方八方から囲まれているようだった。
「さぁ、クラリス。俺のところへ来い。抱きしめてやる」
差し伸べられた手に向かって、クラリスは一歩踏み出す。
「クラリス様、ダメだ。行くな!」
ステファンは何とかして罠から抜け出そうともがいた。けれども、動くほど罠の締まりは強くなるばかり。
息がかかるほど近づいた時、エルネストはクラリスの体をかっさらうように抱きしめた。懐かしいぬくもりが伝わってくる。
「俺のクラリス。もう離さないぜ!」
エルネストの喜びとは裏腹に、クラリスは冷たい眼差しで睨み返すだけだった。
「王子は無事に返してくれるのでしょうね」
「ああ、もちろんだ。おまえさえ手に入れば、もう用はないからな」
そう言ってエルネストは罠を地上に下ろすよう、子分たちに命令した。ステファンが解放される。
「クラリス様、どうして……」
その顔は涙で濡れていた。
「王子。どうか、逃げてください。森の外で兵士たちが待っています」
「貴方はどうするのですか!」
「私のことはご心配なく。だから!」
クラリスが語気を強めると、ステファンは悟ったのか、足早に森を駆け抜けていった。その背中を見送り、安堵する。
「さあ、クラリス。俺たちと一緒にアジトへ帰るぞ」
歩き出そうとするエルネストの体を、クラリスは突き飛ばした。エルネストは呆気に取られた顔をする。
「何の真似だ!」
「私は城に帰ります」
毅然とした眼差し。その言葉が本気だと見抜いて、エルネストは冷ややかに笑った。
「つまり、俺たちを裏切るってことか」
「そう受け取っていただいても構いません」
「分かった……。おい、おまえらクラリスをこらしめてやれ!」
かつての仲間に、子分の誰もが躊躇する。エルネストは痺れを切らして、もう一度叫んだ。
「クラリスをこらしめろって言ってんだ! 手加減はしなくていい。許しを乞うまで痛めつけてやれ!」
それを合図に、子分たちが次々と襲ってくる。クラリスは魔法で対抗した。
見知った顔。だからこそ弱点も知っていた。例えばセイド。勢いはあるが、狙いが甘くて空振りが多い。クラリスが素早く身をかわすたびに、斧は宙を舞った。
「ちっ! すばしっこい奴め……」
反動で体を開いた隙に強力な衝撃波を打ち込む。うずくまって倒れるセイド。これでしばらくは起き上がれないだろう。
「クラリスの兄貴、ごめん!」
そう言って、斬りかかってきたのはティア。彼は逆に動きが早くて、手数も多い。ナイフには毒が塗ってあって、一撃を食らったらおしまいだ。それでも、自分の速さに頼り過ぎるあまり、足元の防御が疎かになりやすい。クラリスが衝撃波を何度もぶつけると、動きが止まり、やがて崩れた。
「兄貴、どうして……」
次々と山賊たちがクラリスに挑みかかっては倒され、人間の山を築いてゆく。いつのまにか残されたのはエルネストだけになった。
「畜生……強いじゃねぇか」
エルネストは一撃必殺で、確実に敵の弱点を狙ってくる。だが、そこに至るまで時間稼ぎをしなければいけないのが欠点だった。クラリスはすかさず、弱い雷を放って痺れさせる。呻き声を上げて、エルネストは倒れた。
これで、すべて終わり。クラリスは背中を向けて、立ち去ろうとした。
「ま……待て」
エルネストが力を振り絞って呼び止める。
「とどめを刺さないのか?」
「無用な殺生はしたくありません」
「つまり、俺を愛していると受け取っていいんだな?」
体には強い痛みが走っているはずなのに、エルネストは嬉しそうだった。踵を返して歩き出すクラリスに向かって、力の限り叫ぶ。
「俺は、おまえを諦めないからな!」
その声は、クラリスのいなくなった森の中に延々とこだました。
森の外に出ると、ステファンたちはすでにいなくなっていた。おそらく先に城へ戻ってしまったのだろう。ふと、体が自由に感じられて、どこへ帰るべきなのか迷う。そんな弱さにつけこむように、竜の鳴き声が響いた。
顔を上げるとベルネアが下りてきた。かつての主を見つけて、懐かしそうな顔をする。
「ベルネア、元気だったか」
頭を撫でると、嬉しそうに頬を寄せてくる。
「一人ぼっちにさせて、済まなかったな」
おそらく、エルネストを乗せてきたのだろう。自分以外には背中を預けるのを許さなかったのに。その目は、山賊のアジトへ帰ろうと促しているようだった。けれども……。
「ごめん、ベルネア。私は帰れない」
(だって、私には……)
泣き出しそう顔をするベルネアに、もう一度寄り添う。
「どうか、エルネストを頼む。あの人は寂しがりだから」
そこまで言って、クラリスも涙を流した。もう行かなければいけない。
クラリスが歩き出すと、ベルネアは何度も鳴き声を上げた。それでも振り向かないと悟ると、翼をはためかせて飛び去ってしまった。
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