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混乱(1)
城前の広場は、深い黒で埋め尽くされていた。喪服に身を包んだ兵士、侍従、民衆たちが、ひとり残らず沈痛な面持ちで並んでいる。中央の壇上には、白百合と黒薔薇で飾られ、赤い軍旗で覆われた棺。その背後には、鋭い眼光を宿すヴィクターの肖像画が掲げられていた。
もちろん、棺の中は空っぽである。ヴィクターが絶命するのを見たのは、ジョナサンただ一人。実感の無い中、悲しみのやり場をどこに持っていけばいいのか、クラリスは戸惑っていた。
空は曇り、教会の鐘の音がゆっくりと響く。まるで国全体がため息をついているかのように聞こえた。
壇上に立つのは、まだあどけなさが残るステファン。喪主として弔辞を読むその声は、最初こそ平静を装っていたが、数行を過ぎた辺りから震え始めた。
「父上は……我らの誇りであり、この国の――」
喉が詰まり、続きが出てこない。唇を噛み、俯きそうになる背中に、クラリスがそっと手を置いた。
「……この国の未来のために、戦ってくださったのです」
耳元に届く低い囁きで告げると、ステファンはわずかに持ち直す。再び顔を上げ、涙に濡れた瞳で民衆を見渡した。
「父上の遺志を継ぎ、この国を必ず守ります」
その言葉に、嗚咽が広場の至るところから漏れた。兵士の頬にも、侍従の袖にも、静かに涙が落ちる。
戦況は芳しくなかった。次々と防衛線が破られ、敵は領土を侵食しつつある。この城に迫るのも時間の問題だった。民衆たちの安全も確保しなければいけないが、南には山々が迫るし、周囲に友好的な国はない。どこに逃がせばいいのか見当もつかなかった。
その時、沈黙を破るように、竜の鳴き声が響いた。見上げた群衆の頭上に、青い翼が影を落とす。竜は旋回してから広場に舞い降り、その背中から黒い服に身を包んだエルネストが降り立つ。片手には山百合を携えていた。
「どけ、邪魔だ!」
鋭い声とともに、民衆を押しのける。その歩みは迷いがなく、まっすぐクラリスの前で止まった。
「何の真似だ!」
クラリスが声を低くして睨みつけると、エルネストは山百合を放り投げた。その衝撃で花弁が地面に散る。
「弔いに来たのさ。そして……迎えに来た」
舐めるような視線が、皮膚をなぞるように這う。壇上のステファンを探すと、驚愕に固まったままこちらを見つめていた。ロボアールとジョナサンが庇うように左右に立つ。
「ふん、あの小僧……おまえのことが気になって仕方ないらしい」
エルネストが一歩踏み出す。クラリスは腕を広げ、烈しい風を起こした。突風が周囲の旗を引き裂き、兵士や侍従たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「こんなもんで怯むと思ったか!」
風で頬を切られて血が滲んでも、エルネストの目は獲物を捕える獣の光を放ち続ける。クラリスは、周囲を巻き込むまいと力を制御した、それがいけなかったのかもしれない。気がつけば、エルネストは目の前にいて、正面から体を強く抱きしめられた。風が止まる。
「捕まえたぜ……」
血の匂いが鼻をかすめ、熱い息が耳を撫でる。体は、鋼のような腕に締め上げられるばかり。
「クラリス様!」
ステファンの声が響く。だがロボアールとジョナサンがそれを押し留める。誰も助けに来ない現実が、胸を鋭く刺した。
「見捨てられたようだな」
愉快そうに囁くエルネストが、ベルネアを呼び寄せる。竜はクラリスを見て嬉しそうに鼻を鳴らし、低く身をかがめた。
「さぁ、乗れ」
クラリスは最後にもう一度、ステファンを見た。――ヴィクターと約束したのに、守れなかった。だが、自分がいなくなれば、この混乱は収まるかもしれない、とも考えた。
しかし、ステファンは諦めていなかった。ロボアールとジョナサンを押しのけて駆け出す。次の瞬間、ベルネアに飛び乗っていた。
「僕は、貴方を離しません!」
若い力でクラリスを抱きしめる。その必死さに、胸が熱くなった。しかし、このまま連れていくわけにはいかない。けれども、ベルネアはすでに空高く舞い上がっていた。
どうしたものかと困った表情を浮かべた時、クラリスは城の周りを禍々しい妖気が囲んでいることに気づいた。もしかして……と思った瞬間、耳を裂く爆発音が響く。鉄を焼く匂い、断末魔のような悲鳴――空が歪み、黒い靄が渦を巻く。
イグナーツたちに違いなかった。「戻って!」と叫ぶクラリスに、エルネストは鼻で笑う。
「死ぬ気かよ。バカ野郎」
ベルネアは、ひたすら山賊のアジトを目指す。クラリスもステファンも、滅びゆく城を声もなく見つめるしかなかった。
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