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花冠(2)
そして、式の前日。ステファンは朝から虚ろな顔をしていた。迫りくる現実に、今にも押しつぶされそうである。食事にも、ほとんど手をつけなかった。
城に行ってもそれは変わらず、何を聞いても上の空。思わずロボアールが叱り声を上げた。
「王子。明日は国王になって妃を娶るのですぞ。気を確かに持ちなされ!」
「国王……妃……」
ステファンは恐怖を露わにすると、城を飛び出してしまう。慌てて家臣たちが追いかけるが、すぐに見失ってしまった。
執務にあたっていたクラリスの元に知らせが入る。クラリスはため息をついて席を立ち、城の裏口にいるベルネアのところへ向かった。今では鬼の国の移動手段や監視役として頼もしく活躍している。クラリスの姿を見ると、嬉しそうに声を上げた。
城下町を上から見下ろす。すぐに町外れの小高い丘でステファンを見つけた。ベルネアを下ろして近づいても、顔を上げようとしない。ただ、咲き誇る赤い野花を毟っては、花びらをちぎっていた。
クラリスは何も言わずに、ステファンの隣へ腰を下ろす。同じように野花を積むと、丁寧に編み始めた。
「何を作っているのですか?」
「じきに分かりますよ」
ステファンは、じっとクラリスの指の動きを見つめていた。そして、ぽつりぽつりと呟く。
「僕は怖いのです。今さら可笑しいでしょ。すべては僕自身が決めたことなのに」
クラリスは首を横に振った。
「ステファンの気持ち、痛いほど分かりますよ。私もそうだから」
「クラリスも?」
「ええ。私も自分で決めた生き方なのに、迷うことがあります。本当にそれでいいのかって。けれども、生きるってそういうことなんですよ」
ステファンは分からないと言いたげな顔をした。
「選んだ生き方が必ずしも正しいとは限りません。それはみんな同じ。大切なのは信じることなんです」
そこでクラリスは顔を上げ、ステファンをまっすぐに見つめる。
「私はステファンを信じています。だから、ステファンも自分の選んだ生き方を信じてください」
ステファンの目から大粒の涙がこぼれる。よほどこらえていたのだろう。それは留まるところを知らなかった。クラリスはハンカチで拭ってあげた。
「貴方に涙顔は似合いません。どうか笑ってください」
その言葉にステファンがどうにか笑顔を浮かべると、頭にクラリスが作った花冠が被せられた。赤い花が風に揺れている。
「この冠には、私の願いと祈りを込めました。どうか、未来に輝く王として、国を導いてくださいね」
「ありがとう、クラリス。ありがとう」
また泣き始めたステファンに、クラリスもつられて泣いてしまった。穏やかな陽だまりが、ただ優しく二人を照らしていた。
*
ベルネアを先に返して城に戻る途中、二人は教会の前を通る。どうしても外したくないと、花冠を被ったままのステファン。子どもが興味深そうに指を差すのを、母親が慌てて止めた。
扉は開いていて、誰でも入れるようだった。きっと、祈りたい民に向けて開放しているのだろう。クラリスはステファンに手を引かれて中に入った。
「明日はここで王妃を迎えるのですね」
何気なく口をついた言葉に、クラリスは寂しさを隠せない。
「貴方でないのが残念です」
ステファンはため息をついた。
「そうだ。ここで予行演習をしませんか。僕、うまくできるか自信が無いのです」
突然の申し出にクラリスは戸惑う。結婚式は二人でするものではない。指輪も用意されていなかった。
それでもステファンは、クラリスと向き合って両手を包み込む。そして、自分で考えたであろう誓いの言葉を述べた。
「僕は、この先どんな未来が待っていようとも、心は貴方と共にあります。たとえ形に縛られても、愛だけは自由でいたい。クラリス、僕の命が尽きるその日まで、貴方を愛し、貴方に支えられ、生きていくことを誓います」
時々詰まったり噛んだりしながらも、心のこもった誓いにクラリスの胸が熱くなる。ステファンの眼差しに促されて、思いつくまま誓いの言葉を述べた。
「私の心は、常に貴方の隣にあります。どんな時も、貴方の背中を支えていたい。王子、いえ、ステファン。貴方が進む未来に、私の魂を捧げることを、ここに誓います」
ステファンは満足げな表情を浮かべていた。そして、唇が重ねられる。いつもよりも長い口づけ。
「誰かに見られたかもしれません……」
「構わないですよ。僕は貴方が本当の相手だって、みんなに知って欲しいのですから」
その時、偶然にも教会の鐘が鳴り響いた。まるで二人を祝福するみたいに。おそらく時を告げる鐘だろう。それでも、二人の旅立ちには格好の始まりだった。
「さあ、城に戻りましょう。明日こそ本番ですよ」
「また、ロボアール様に叱られるのか。嫌だなぁ」
二人の笑い声が、誰もいない教会の中で響いた。
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