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第3話
複雑な文様の絨毯が敷かれている。その先に玉座があり、ベルーサの国王と王妃が鎮座していた。左手に並んでいるのは王族だろう。アレッサンドロの姿も見えた。彼はレネに手を挙げてみせた。
みな同じ、健康そうな褐色の肌をしている。
「ルヴァンヌのリュカ王子だな。遠路はるばるよく来た。ベルーサは貴殿を歓迎しよう」
国王が言った。
レネは深く頭を垂れる。
「主君に代わりお礼申し上げます。ルヴァンヌ王国第三王子リュカ・ド・ジョアン、ご歓待ありがたくお受けいたします」
リュカは隣で居心地悪そうに立っている。
国王がまず王妃を紹介し、それから右手を広げた。
「こちらは我が世継ぎジョルダーノとその妃フランチェスカ、及び子どもたちである。リュカ王子とは年頃も近く、よき遊び相手となってくれることを期待しておるぞ」
「身に余るお言葉にございます」
「アレッサンドロとはもう会っておったな。何か失礼はなかったか?」
「いいえ、とんでもない。大変よくしていただきました」
アレッサンドロが肩をすくめている。
レネはリュカの手をそっと引いた。
「リュカ様。ご挨拶のお言葉を」
リュカは黙っている。唇を引き結び、頬が膨らんで、いつもの仏頂面になりつつあった。
「『ベルーサの皆様、どうぞよろしくお願いいたします』です」
小声で助け舟を出すも、リュカは押し黙ったまま動かない。きつく握った手が震えている。
嫌な沈黙が続いた。
重い静寂を破り、国王が快活な笑い声を上げた。
「船旅で疲れたのであろう。構わぬ。今日はゆっくり休むがよい」
レネは再び深く頭を下げる。
「お心遣いに感謝いたします」
退出を許された。レネはリュカと手を繋いだまま謁見の間を出る。
「お疲れのところ頑張りましたね。眠くなりましたか?」
リュカは首を横に振る。
「お腹が空きました?」
今度は縦に振る。
「そうでしたか。気がつかず申し訳ありません。早めにお食事にしていただけるよう頼んでみましょう」
リュカの指先が白くなっている。
初めての異国で、見知らぬ人々に囲まれて、やはり不安なのだろう。リュカはベルーサ語の挨拶の一文を完璧に覚えていたはずだった。ちゃんと練習してきたのだ。言えなかったのは緊張のせいだろう。
幼いながら、リュカのプライドは傷ついている。
「お部屋に戻りましょうか」
だが、いくらも行かないうちに足音が追いかけてきた。
「レネ。リュカ」
アレッサンドロである。
「これからすぐに食事だが、食欲はあるか?」
「ええ」
ちょうどよかった。レネもほっと胸を撫で下ろした。
「では食堂まで連れていこう。その間にこれからのことを話す」
「これからのこと、とおっしゃいますと?」
「明日は一日休む。旅の疲れが出るだろうからな。明後日からは王宮とマリノーニの街を見せてやろう。しばらくしてベルーサに慣れたら、キアラたちと遊んだり、一緒に勉強したり、まあいろいろだな」
「キアラ様とは、ジョルダーノ殿下の姫君でしょうか」
「ああ。一番前にいた三つ編みの子だよ」
確かに、髪を編んだ賢そうな娘がいた記憶がある。
「ベルーサにいる間は俺がお前たちの面倒を見る。何か要望があれば俺に言え。可能な限り対処する」
「ありがとうございます」
レネは理解していない様子のリュカにルヴァンヌ語で説明する。
「アレッサンドロ殿下が私たちを手助けしてくださいます」
アレッサンドロもリュカに歯を見せて笑った。
「お前に好き嫌いはあるのか?」
彼はリュカにもわかりやすいようゆっくり喋った。食事の話だと示すために何かを食べる動作まで付け加えた。
リュカは首を傾げる。
「ごはん?」
ベルーサ語だった。
アレッサンドロが破顔する。
「そう、ごはんだ。なんでも食べられるか?」
「おなか、すいた」
「そうか。よし、行くぞ」
不思議な人だ。強引で豪快なのかと思えば、その一方で優しい気遣いを見せる。
琥珀色の瞳がレネを捕らえた。
「まだあまり顔色がよくないが、体調はもういいのか?」
「はい。問題ありません」
「それはよかった。せっかくのご馳走が食えないなんてもったいないからな」
彼の言葉通り夕食は豪華だった。貝や魚をふんだんに使った料理はルヴァンヌの都ではあまり食べられないものだ。リュカも気に入ったらしい。夢中で食べて、満腹になったら目をこすり始めた。
部屋に戻り、なんとか風呂にだけは入れて、寝支度が整う頃にはリュカはもう沈没寸前だった。レネは小さな身体を抱き上げて、ベッドに横たえた。
第二章 太陽と海の国
波の音が聞こえる。
アレッサンドロの言った通りだ。波の音とともに眠り、波の音で目が覚める。海に馴染みのないレネでさえ、寄せては返すこの音を聞くとなぜか懐かしく穏やかな心地になる。
が、いつまでも寝そべってはいられない。レネはベッドを出て顔を洗い、手早く着替えた。ふたつの部屋を繋ぐ扉を開けて、リュカを起こす。
「おはようございます、リュカ様」
ベルーサ語である。
リュカの枕元には王子と従者の人形が置かれている。リュカは毛布の端を両手で掴み、小さく唸った。
「ゆめ、みた」
リュカもベルーサ語で返してきた。
「どんな夢ですか?」
「しらないっ」
これは朝からご機嫌斜めだ。昨日は一日ゆっくり休んだものの、やはり落ち着かなかったのだろう。
リュカにはベルーサにいる間はふたりきりの時もなるべくベルーサ語を使うようにと話してある。が、不安も大きかった。まだ五歳、母国語もおぼつかないのに、外国語を使わせてよいものだろうか。外国語であるだけに思いが上手く伝えられず、苛立っているのかもしれない。
――そもそも五歳の子を遊学させるのが問題だ。
レネは無理に笑顔を作った。
「お着替えしましょう。朝食ですよ」
レネはリュカの膨れた頬を拭き、着替えを手伝って、巻き毛を櫛で梳いてやった。
食事はベルーサの王族とともに食堂でとる。今朝はパンとスープ、それに甘く煮たりんごが出た。リュカの分は食べやすいよう小さく切られている。ジョルダーノの娘キアラは大人と同じ大きさのものを食べていたが、年下のふたりの王子はリュカと同じものだった。
キアラが七歳、真ん中のチェリオがリュカと同じ五歳、末のニコが三歳だそうだ。
「リュカ。今日は約束通り街に出るぞ」
アレッサンドロが言った。
「支度をして待っていてくれ。迎えにいく」
「かしこまりました」
答えるのはレネである。リュカはだんまりを決め込んでいる。
部屋に戻ると、レネはリュカに上着を着せて待った。いくらも経たず、アレッサンドロがやってきた。
「支度はできているか?」
「はい」
レネは左手に鞄を提げている。万が一のための薬や包帯に加え、リュカの着替えが入っていた。もう片方の手はリュカと繋ぐ。
「アレッサンドロ殿下。本日も歩きなのでしょうか」
「マリノーニを見るなら歩いた方が断然面白いぞ。それと、ひとつ言っておくことがある」
彼は屈託なく笑う。
「殿下なんて堅苦しい呼び方はやめてくれ。背中がかゆくなる。アルでいい」
レネはまたしてもあっけに取られた。
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